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ジャズピアニスト荻原健登のブログ

Memo

皆様、お久しぶりです。
すっかり寒くなりましたね。
このブログの方もすっかり更新が滞っていました。
本来ならば記録しておきたいこともままあったのですが、どういう訳だかpendingのまま、怒涛のように過ごしてきて、ようやく色々片付いてきたところです。

この間書きたかったこと。

1.先月、夜学の同窓会で、元クラスメイトにまた色々ご教示(説教!?)いただき見えてきた、社協の知的障害者通所更生施設における、時系列を含めた社会構造の中での位置、特質、及び現状について。
自分がいかにある特定の、極めて稀で具体的な、よってあたかも浮島のような共同体の中にいるのかを痛切に感じたので、改めて補足の勉強を踏まえて、その社会構造の中における特質について書いておこう、と思った。
しかし補足的勉強がまだおっつかず、やはり未だpending。
私の予感では、確かに私の勤める社協による知的障害者更生施設とは、極めて特異な浮島のように確かに思われたが、おそらくこの世に存在する全ての共同体もまた極めて具体的であることが予想されるので、社会福祉士としても自分の仕事が現在の社会構造の中で無駄だとか、おままごととか、そういうことではない、と期待している。そういう面からも周辺知識を洗ってもう一度整理する必要がある。

2.先月、また別の障害者による当事者団体と縁あって、話を聞いたり、一緒に飲んだりして障害者自立支援法に対するいくつかの評価にふれたり、あるいは障害者一人一人がこの制度の給付にあたって、どのようにサービスを各自治体から受けているのかその実態などについてかなり踏み込んだ話を聞くことができたのでこれについても書いておこう、と思った。各利用者のこの制度の利用における実感、評価は、その人が属する各自治体、もっと言ってしまえば窓口によってまちまちで、かなりばらつきがあるようだ。中にはとある自治体にサービスの相談をもちかけてもまったく相手にされない、ということを痛切に訴えている障害者もいた。
窓口によって制度もなにもが恣意的にどうとでもなってしまう現実は、私がこのブログに3月に書いた『所信表明』でも触れているが、やはり実際の声として跳ね返ってきた。
公務員の方々にも色々な人がいるのだろうが、せめて自分の務める自治体がもっている介護給付のメニュー、使える上限など、最低限のことは全員が知っていて窓口対応に当たってもらいたいものだ。ただ追い返すのではしようもない。というか、それでプロとしてはどうか疑問だし、知識はもとより福祉職に携わる者が当然持っていて然るべき価値観を持っていない、と言われても仕方ないかな、と思う。
その点、今回接したその当事者団体は極めて勉強熱心で、自治体に直接コンタクトして難しさを感じている障害者にとって、極めて頼もしい援助や社会資源の紹介を行っている、と感じた。

このあたり、1.と2.は関連することも多いので自分なりにまとめていければ、と思う。

3.11月の下旬の連休を使って紅葉の京都に行ってきました。
今年のオギワラくんのテーマは、ズバリ、『ジャポネスク』だったわけですが、3月の明日香・吉野に始まり、無事、紅葉咲き乱れる京都で、その旅も終りを告げることになったのです。
京都の紅葉はそれは素晴らしく、人の多さにもびびりましたが、それ以上に素晴らしい滞在でした。明日香や吉野でもそうしたように、写真もさることながら、ICレコーダーで鳥たちの鳴き声や水の流れる音・お宮の鐘の音なども録音してきました。
写真も綺麗なのがたくさんとれたので以後このページにも貼っていければ、と思います。
京都から帰り、そのICレコーダーで録った音をフィーチャリングした曲を1曲書き、そして5枚目のアルバムにおける最後の曲の歌詞を書きました。

4.そうして今週の月曜に、めでたく5枚目のオギワラくんのオリジナル・フル・アルバム、その名も、
“La Musique Japonesque”
(ムジーク・ジャポネスク)
の録音が遂に終わりました!!!!!
なんと全42曲ものレコーディングでした。
40曲以上もの曲があってレコーディングしなくちゃいけない、と言ったら、師匠のモトオカさんは、
「オマエ、ほんとカミサンに心配かけんなよ~。」
と言われ、素晴らしいサックス奏者で、オギワラくんのことをとてもわかってくれているいとーさんは、レコーディングが終わったことを告げると、
「40曲以上!すごいですねー。もうどれくらい大変か想像つかないです。」
とねぎらってくれた。
まあまあハードワークで例によって創作にともなう凄まじい疲労で一時期危ない時期もあったし、この創作にかかった8ヶ月はずっと、特に疲労がピークにあった9月、10月などはもう早く逃げ出したかった位だけれど、どうにか終りが来たようです。はっきり言えるのは、
しばらくはオリジナルのレコーディングは絶対にしたくない、
ということです。
しばらくは何にも縛られず、人生を楽しむのだ!!!
まあ2枚組にしてプレスをかけようと思っているのですが、2枚組にしても収まりきらないと思うので、何曲か削って、できるだけ皆様に聴きやすいようにして今年度中にもリリースできれば、と思っています。
乞うご期待!!!
# by kento_ogiwara | 2008-12-03 22:11 | Comments(0)

ペシャワール会の会報が来て目を通した。
現時点で日本人ワーカーは全員撤退、とのことだ。
しかし哲さんだけ現地に残って一人孤軍奮闘とのこと。
本当に信じられない。
敬意を抱かずにいられない。

日本で漫然と暮らしている限りでは、パキスタンやアフガニスタンが安定に向かい、人々が平和で飢えることのない国になっていく道筋はまるで見えてこない。
日米などの軍隊によるアフガニスタン侵略が終わり、これら列強の侵略軍が撤退する、というのはまだ夢のまた夢のようだし、日々これら侵略軍の「誤爆」によってアフガニスタンの農民や女・子供が殺され続け、それに伴ない治安は悪化の一途を辿っているのが現状のようだ。
考えれば考えるほど出口が見えないように思われるのが実感だ。

そんな中、哲さんの言葉で、ハッとさせられるものがあったのでここに引用しておく。
私は非常に非力な人間だが、せめてこうやってっこのホームページを読んだ人に伝えることで、何か、ができれば、というかそれくらいしかできない。

以下。

このような事情の中でこそ、アフガン東部の限られた地域ではありますが、私たちは言葉ではなく、実のある行為と実績を以て、平和の何たるかを実証するでありましょう。
理念や信念の問題ではありません。目前で展開する事態に対し、いかに人間らしくかかわるかの問題であります。


この言葉を覚えておこう、と思う。
そして人生のあらゆる局面で、この言葉を思い出していければいいと思う。
# by kento_ogiwara | 2008-11-05 21:25 | Comments(0)

カミサンのピアノ曲

三連休はな~んもせんかった。
よう寝た。
なんでそがん寝れるとや?とゆーくらい寝た。

一応アルバムの作業を昨日した。
そしたら疲れて今日は12時間位寝た。

しかも今日起きてメシ食ってまた寝た。
そして起きてまたメシ食ってこれから風呂入って寝る。

最近のニュースで言えば、カミサンが生まれて初めて曲を作った。
5曲位ピアノの曲を作った。突然。

これがなかなかいい。

理論もへったくれもないし、理論的にはアヴォイドの嵐だし、こなれているはずもないし、高度なことなど何一つやっていないのだが、これがいい。
わても12,3才の頃、同じように何も知らないもまま鍵盤の前に座って、ただひたすら出す音出す音に気持ちよさを感じて、時に感覚を刺激する音が見つかると何度もその音を弾いたり、そんな風にしてあらゆるものから自由に音楽を紡いでいたものだけど、カミサンの音楽もそんなカンジでオギワラくんもそんなだった12,3才頃を思い出した。アレは作曲初心者だけの特権。凄く感覚的に研ぎ澄まされていて完璧。何も知らないから、ただ自分と音だけのシンプルな関係から生まれる結晶のような音楽。

もうあーゆー音楽はオギワラくんには作れないなあ、と思い、また、まあ始めたころのあの感覚にカミサンの音楽を通してまた出会えたようで、カミサンがそれらをピアノに向かって弾いている時は聴いていてなかなか悪くない気持ちがする。

なんかBGMにそのカミサンの曲使ってショートショートでも撮ってみようかな、と思った。

しかし同居人に作曲者がいてそういう風に新しい音楽を聴ける、というのは悪くないね。
まあ身内を誉めるのは九州男児たるオギワラくんの美徳にはそぐわないが、今やってる自分のアルバムが終わったら、ちょっとプロデュースしてカミサンのアルバムもカタチにしてもいいかな、と思ったり思わなかったり。
# by kento_ogiwara | 2008-11-03 21:18 | BLOG;音楽について | Comments(0)

VACATION

フィリピンから帰ってきた。

一週間くらい海辺でボーっとしてきた。
VACATIONの名の如く、アタマの中を空っぽにしてきた。

VACATION_f0153932_024035.jpg


























ふんでここ最近の自分って、
考えなければいけないことが多過ぎて、
にっちもさっちもいかなくなってたんだな、
と思った。
んで、なもんだからこうやってフィリピンでなーんも考えないで1週間過ごせてよかったな、
と思った。
日本での自分がだからよけいに他人事のようにやけにクリアに見えた。

もちろん旅する前から、自分のそんな日本での状況はわかってたけど、
でもどうすることもできなかったのだ。
考えてもしょうがないことはわかっていたけど、
考えざるを得ない状況があったんだ。
考えるのをやめてしまえばいいじゃん、と言われても、状況がそれを許さなくて、色々な周りのことに対処していかなくてはいけない、という。
それで自分の器から溢れてしまうほどに考えてて、
ひたすら重みに耐えながら、
なおかつその重みから抜け出すことができなかったんだ、
と思う。

これがフィリピンで見たオギワラくんの姿。

今は心がそんなこんなで軽くなって、
クリアになって、
VACANTで、
ああ、いいVACATIONだったな、
と思ってます。

VACATION_f0153932_012587.jpg

# by kento_ogiwara | 2008-10-17 17:26 | Comments(0)

とはかなり前に書いたオギワラくんの曲。
スタンダードの“come rain or come shine”に似ていてそれをもじったものだがその後は全く違ったように展開していく。
何故か演奏しないままここまで来ていて、今レコーディング中の5枚目のアルバムにも収録予定なし。

軽めに今年度上半期を振り返ってみて、まあこの曲のことを思い出しました。
楽しい旅が終わる時に新しい困難が音を立てて始まったり、楽しいことが始まる前に悲しいことが起こったり。人生そんなもんだ、と言ってしまえばそれまでだけど、こう、なかなかスッキリさせてもらえなかったな、と。

Ⅰ. Jazzとの関わり

前回も書いたけど、先々週マンハッタンで感じた敗北感は、例えばオギワラくんのピアノにはオギワラくんのカラーがあるから云々などの甘ったるい言葉では消せない、言ってしまえば相対的なものではなく絶対的な敗北感だった。
我が師匠、モトオカカズヒデさんが歳を経るごとに上手くなり、いやもうどんどん上手くなって凄みを増してしるのを目の前で炸裂させられて、オギワラくんは蚊の鳴くような声で、
「楽しそうに弾きますね・・・。」
と言うと、
「だって楽しいもん。楽しく弾くって決めたんだ。」
とモトオカさん。
セッションが始まる前、モトオカさんはイヤホンをつけて阿佐ヶ谷駅の前を歩いていて、それはいいんだけど、イヤホンから音楽を聴きながら右手にエッグ・シェイカーをもってノリノリに振っている。深夜の阿佐ヶ谷に、エッグ・シェイカーの音だけがしていた。このことをモトオカさんに言うと、
「バカでごめんなさい。」
と。
セッションが終わってモトオカさんが帰り、しばらく間を置いてオギワラくんも帰ると、朝焼けの阿佐ヶ谷に亡霊のようにまだモトオカさんが前をチンタラ歩いている。さらに見ているとモトオカさんは立ち止まり、何が気に入ったのか知らないがこ汚い阿佐ヶ谷の路地を写メールしている。怪しげなその後姿はさながら仙人のようで、10年以上の付き合いになるのにオギワラくんは話しかけられなかった。あの人がどんどん遠くへ行ってしまってるのか、オギワラくんがジャズの世界の中で徐々に淘汰されて行っているのか、とにかくやれんかった。

少し落ち着いて考えてみた。

人生は一度だ。好きなことを頑張ればいい。
オギワラくんはジャズが好きだけれど、厳密に言えばジャズをやりたいのではない。オギワラくんが音楽を通してある種の美にとり付かれたのは12,3歳の時。すぐに曲作りを始めてピアノやギターを使って幾つかの曲を書いた。その時求めていた美、あるいは記憶と、今の32歳のオギワラくんの追い求めている美や記憶は結局大して変わらず、あの時からずっと同じようなものを探し求めている。むろんジャズをやる中で、モンクやバド・パウエル、その他数知れない人々の音楽に触れて、その記憶の片鱗に触れることができる。ヘンデルやハイドン、モーツァルトやベートーベンも然り。

オギワラくんが生まれもって心の中に持った美や記憶、それをどこまでも追求していくのがオギワラくんにとっての音楽なのではないかな、と。

ジャズをやることでそれをかなり実践することができる。
オギワラくんにとってジャズはそういう位置づけでいいのではないか、と。
本当は不安だ。そんなことを言っていてどんなジャム・セッション小屋でも何もできずに終わって泣いて帰るようになってもツライ。
アル・フォスターは「パーカーの匂いのしないものはジャズではない。」と言うし、全ての素晴らしいジャズ・ミュージシャンはマイルス・デイヴィスこそが信奉だ。オギワラくんにとってマイルス・デイヴィスは必ずしも絶対的な存在ではない。だからたぶんオギワラくんは素晴らしいジャズ・ミュージシャンになれない。
そして先日の我が師匠モトオカさんの完全なる自由、最高の悦び、という絶対的に素晴らしいジャズの演奏。
でも不安は多いけど、そして素晴らしいジャズ・ミュージシャンに対してとてつもない嫉妬を感じるけれど、自分の美意識やずっと心に持ち続けているある種の記憶への慕情がある限り、それを音楽にしていくのがオギワラくんにとっての音楽人生なのだと思う。
それがジャズなのか、ビ・バップなのかなどの問題は聴く人にまかせればいいし、もしかしたらそんなに重要なことじゃないのかも知れない。
ただ人生は1度きり、自分を信じて自分がやりたいようにやって、後悔がないようにしていきたい、と思いました。

Ⅱ.社会福祉士として

とりあえず社会福祉士になってもまずは現場から、と思い知的障害者通所更生施設での仕事を始めて半年。時には初心に帰って省みなければ。

オギワラくんが働いていて、何を目指しているのか考えた時、一つのことが多くを占めているように思う。
それは利用者の心の安定に繋がることを少しでもできるように、ということだと思う。
もちろん知的障害者かどうかを越えて心の安定は全ての人が求めるものだとも思うけれど。
むろん家族の介護負担の軽減、障害者の社会参加etc.いろいろなことが複合的に関係してくるのはわかっているけれど、少なくとも現場=臨床においては利用者一人一人の心の安定を目指すことがオギワラくんの行動原理になってきている。
人それぞれなので画一的には言えないが、一日のシェーマ(行動様式)や生活スタイルが確立されている人たちには、できるだけそれを守っていくだけの最大限の援助をする。
またオギワラくんにもっと力がついた時には可能ならば守るだけでなく、新しいシェーマを引き出してより快適な生活様式を導いていくこと。ただこれにはリスクがつきまとうこともあるし心の安定を揺るがすこともあり得るのでオギワラくん自身の今後の成長に期待。できるだけ自由を認めていきたいがあくまで事故や自傷他害のない範囲で。
ジレンマは「更生」という言葉をそのまま鵜呑みにしたようなアプローチが現場で見られた時でも、あくまでオギワラくんは利用者との対等な、尊敬しあう関係を貫きたいと思う。決して「更生」などと、利用者を上から見ない。おとなしく椅子に座っていられることが更生だとは思わない。健常者のように振舞えるように仕向けることが更生の起源かもしれないけれど、健常者のように振舞わせるために「更生」という「力」を使うのには反対だ。対人援助の7原則の一つ、自己決定の尊重はオギワラくんのフェイヴァリットだ。

ま、たかだか半年勤めて何か結論を出そうとするのも無理があるが、一つ、去年の夜学時代に習ったことで、重度心身障害児の支援にあたった糸賀一雄氏の名文句、
「この子らを世の光に。」。
「この子らに世の光を。」ではなく
「この子らを世の光に。」。
この言葉、習った当時は凄いなあ、と思ったけれど、今言えるのは、
この言葉はすでにシンプルに事実であり、日々現場で知的障害者と付き合うなかで、すでに利用者はオギワラくんにとって光のようなものであり、オギワラくんに元気をくれ、笑わせてくれ、力をくれる。オギワラくんにとって愛情の対象であり、よって光のようなものだ。
この糸賀一雄の言葉がとりたてて特別なことではなく、いたって日常的にごく普通の感覚に思えるようになったのは、つまり、「はい、確かにこの子らは光みたいなもんです。」とごく普通に思えるようになったのは収穫だったかな、と思います。
# by kento_ogiwara | 2008-10-04 19:59 | Comments(0)