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夏休み

2018年、夏休み


8月、お盆休み、この季節に来るといつもそうなように、今年も先の大戦に関する記事を読んだり、作品に触れることが多い。

8月6日にはこうの史代さんの原爆投下から10年後の広島を舞台にした『夕凪の街、桜の国』のテレビドラマを、また先日は明石家さんまさん主演の地上戦が行われる中での沖縄が舞台の『さとうきび畑の唄』を観た。

こうの史代さんの『この世界の片隅に』のテレビドラマ化もしばらく前からこの夏毎週放送しているし、欠かさず見ている。

こういった作品たち、あるいはテレビや新聞の記事で天皇家や政治家たち、記者たちの言葉、あるいは先の大戦を経験した語り部たちの言葉に触れては、いろいろなことに思いを巡らせている。

しかし私は直接的な戦争体験者でも語り部でもないし、語り部たちからその経験を世代に渡って受け継ぐ新しい語り部となるには、言葉や文体を選ぶ能力に欠けているように思われて、なかなか積極的な発信ができないでいる。

その点、こうの史代さんのような良質な語り部が、新しい世代から生まれているのは喜ばしいことだ。『この世界の片隅に』は、かつての私たちの世代の『はだしのゲン』のようにこれからも長きに渡って読み継がれていく作品だと思われるし、それが21世紀を迎えた後に生まれたことも意義深いことに思われる。

自分も何かできないか、もどかしい気持ちもあり、無力を感じることもあるが、かと言って何の声も出さない、というのも違う気がする。

私たち夫婦には子供がいないが、それでも友人の子供たちや、姪っ子たち子供の世代といると、彼らが過ごすこれからの世界が平和なものであって欲しい、と思うし、彼ら自身も平和を愛する人間になって欲しい、と思う。

その手助けをすることはできることのひとつなのかな、と思う。


少し話は変わるが、私が初めてモンゴルを訪れたのは1992年のことであったか。その前の年にインターナショナルな私の両親が、モンゴルからの留学生の女の子を自宅にホームステイさせたのが切っ掛けだった。私たちは彼女と交流を持ち、日本中いろいろなところを案内し、友人たちに紹介し、父親は日本語を教えた。その翌年、今度は父親と私が民主化間もないモンゴルの首都ウランバートルに彼女たち家族を訪問したのだった。当時は生活も厳しく、パンを求めて買いに行くにもパンも物も店にはない、という状況だった。それにも関わらず、モンゴルの家族は、羊1頭を買い付け、丸々茹でて、お頭付きで振舞ってくれた。父親はお頭付きの羊に圧倒されてあまり食べ進められなかったが、当時16歳で恐いもの知らずだった私は、むしろその野性味に食欲をそそられ、羊の丸茹でを食べに食べ、モンゴルの家族にもその食べっぷりで喜ばれた。後日譚だが、やはり厳しい生活の中での羊1頭丸々買いは、彼女たち家族の家計をとても圧迫したらしく、その後しばらく彼らは経済的に苦しい時期が続いたと記憶している。

私たちはその他にも彼女たち家族に郊外の草原に連れて行ってもらったり、森の中をハイキングしてみんなで羊肉を食べたり、ウランバートルの共産圏独特の単調な集合住宅の街並みを歩いたり、町の南にあるザイサンの丘にのぼってウランバートルを一望に見渡したり、ウランバートル・ホテルの前のレーニン像を見たり、ラマ教の寺院を詣でたり、博物館でラマ教の曼陀羅のエロティックさに驚いたり、テニスコートに行って上手なロシア人の男の子とテニスしたりロシア人の女性と英語で話をして一緒に写真を撮ったりした。

また南ゴビに小さなセスナ機に乗って行って別の星かのような砂漠、草原の姿に驚いたり、馬やラクダに乗せてもらったり、馬乳酒やヤギやラクダの乳を飲んだり、遊牧民のゲルを訪れたりした。

そんな中、町近郊の草原を歩いている時だったと思う。彼女の父親が、私の父親に、

「かつて、あなたたち日本軍がモンゴルに来た。」

と言った。

私たちはかろうじてノモンハン事件のことを聞きかじっていたから、そのことだとわかった。ホスト・シスターが聴きつけて、

「父があなたたちに良くないことを言ったかも知れないけれどすみません。」

と謝った。


アジアを旅していれば日本軍の侵略については嫌でも目に付く。

19歳の時には2か月ほどかけてインドネシアを一人で旅した。

ジャカルタのサトリア・マンダラ博物館では日本軍の侵攻や“Japanization”に関する展示があったし、フローレス島マウメレで仲良くなったインドネシア人女性とは過去の戦争のことについて話して、今では友達、でもお互い過去を忘れないように、と言い合ったりした。

フローレス島シッカ村ではエドムントゥスという老人に出会って当時の記憶を話してもらった。当時記していた日記にはこうある。


オランダ軍、日本軍の占領下をくぐり抜けてきたシッカの村長と話をした。村長エドムントゥスは日本語をよく覚えていて、南方軍の軍歌を歌ってくれた。椰子の木や南十字星といった歌詞が出てきた。50年前、旧日本軍の兵達もこの椰子の木を見たのだ。夜空を眺めて南十字星を探したのだった。50年後、ぼくは彼らと同じインドネシアの椰子の木々や夜空を前にしている。でも彼らの見るインドネシアとぼくのとでどんなに違いがあることだろう。不思議な気持ちになった。椰子の木と南十字星。

エドムントゥスは自分が日本語を学んだ経緯を「日本軍が来てわたくしは日本語を学んだ。ヤマモトさんがわたしに日本語をあげた。」と言った。ヤマモトさんは日本兵だった。当時日本海軍はエンデに、陸軍はマウメレにやってきて占領した。エドムントゥスは「ばかやろう。」「まえへー進め。」というフレーズも覚えていた。「もしもしかめよ、かめさんよ、」の歌も知っていた。「ベルリン、ローマ、トーキョーをつなぐ。」エドムントゥスは何度もそう言った。ベルリン、ローマ、トーキョーをつなぐ、ぼくがドイツ語を学んでいると言った時、エドムントゥスの表情がしばらく止まった。「ああ、ジェルマン・・・」とエドムントゥスは呟いた。「でも今はみんな友達。」エドムントゥスはそうも言った。

~中略~

エドムントゥスはせまりくる戦火の中、この小さなシッカ村で耐えに耐え、日本語とオランダ語を学んだ。そして彼の言語は語彙は少なかったが、それだけに彼の中に残された「普通学校」「わたくし」というかつての言葉は50年前の戦争を強烈に想起させるリアルさがあった。
エドムントゥスの写真、1995年8月、インドネシア、フローレス島シッカ村にて。

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その後も妻と訪れたソウルなど、私たちはアジアのあらゆる地で戦争の残した跡を見てきた。

妻が印象的だったところで話してくれたのは2人でインドネシア、ジャワ島を旅していた時のこと。私たちはしばらくジャカルタの喧騒を離れて郊外のチアテルという小さな町にいた。夏のある日、そのチアテルのルマ・マカン(安食堂)でスカルノやブン・ハッタといった英雄とともに日本軍が映し出されたインドネシア独立のドキュメンタリーを小さなテレビで見た。ルマ・マカン(安食堂)の親父さんが食い入るように見つめていた。食べ終わった後、私たちは彼に自分たちが日本人だと伝えた。彼はそれを聴いても私たちに変わらす親しく接してくれた。妻はそれでも親父さんのテレビを食い入るように見ていた真剣な姿が印象的だったそうだ。


最近は語られることが少なくなってきた先の大戦における日本の加害者としての姿、そこで犠牲になったアジアの人々のこと。夏が来ると戦争と平和について考えるけれど、そこでなかなかアジアの人々にまで思いが至らない。
今まで観た日本の戦争作品では、井筒和幸監督の『パッチギ! LOVE&PEACE』で描かれた南方戦線で、主人公や日本兵やアメリカ兵たちだけでなく、占領された太平洋の島々の褐色の肌をした原住民が登場したり、水木しげるさんの『ラバウル戦記』でラバウルの原住民が水木さんの友人として登場するのを見たほかは、私の見た限りではあまり現地のアジアの人々にスポットライトが当たった作品に触れることは少なかった。

今の日本において、アジアにおける日本軍の加害者としての面については年々語ることがはばかられてきているような気がする。犠牲になったアジアの人々のこと。そこにいたはずのアジアの人々。実際政治の世界では、8月15日の全国戦没者追悼式において現首相は1993年以降歴代首相が触れてきたアジア諸国への加害責任に触れず、それに対する「深い反省」や「哀悼の意」などを表すこともなかった。これは2013年の現政権発足後、6年連続のことだという。

これからの世界、自分たちより若い世代にどのような世界が来るといいと思うか。私たちは彼らに何を残せるのか。何を受け継いでいけたらいいか、何を伝えたらよいか。過去から学び、どんな世界を未来に残していったらいいのか。


この間、友人の子供と色とりどりのイルミネーションを見ていて、私が「全ての色が混じると何色になる?」と訊くと、小さな彼は「虹色!」と答えた。私はその答えが気に入って、ネルソン・マンデラが非暴力でアパルトヘイトを克服し大統領になったとき、南アフリカが肌の色が異なる人々が共存する「虹色の国」になることを掲げたことを話した。小さな彼には難しかったことと思うが、彼の父親も虹色はLGBTの人たちにとってのシンボル・カラーだと話したり、虹色についての連想を大人たちで勝手にして楽しんでいた。いつか今は小さな彼も多様性を愛し、自分と異なる人たちに対して寛容な人になってもらいたいし、彼らの住む日本もそんな虹色の国であって欲しい。


今度友人の10歳になる男の子と一緒にライヴでジョン・レノンの“Imagine”を演奏することになっている。彼がピアノで私がギター。彼は夏休みは音楽よりサーフィンに夢中だそうだが、彼のヒーローでもあるネイマールが出演しているユニセフの“Imagine”のミュージック・ビデオは母親とともに見ているそうだ。

それまで私は“Imagine”という曲に複雑な気持ちを持っていたが、先日たまたまテレビでベトナム戦争のドキュメンタリーを見ていた時にはたと気がついた。同じ民族が南北に分かれて殺し合う、ベトナム人がベトナム人を銃で処刑する、そんな泥沼化する悲惨なベトナム戦争の行われていた世界で書かれた曲が“Imagine”だったこと。個人の命の尊さ、人々の日常の生活のありがたさ、国家や戦争、宗教を超えたところでの家族や友人たちとの愛。そんなことを歌った曲が凄惨な戦争の最中に作られた。だからこの歌は平和への祈りなのだ、と思った。戦争に自分たちの全てを奪われることなく、家族や友人たちを愛し、日々の生活を慈しむ人々の姿が歌われた点で、この曲はこうの史代さんの『この世界の片隅に』に通じるところもあるのかな、と思うようになった。

20年来の友人である彼の母親は、このあらゆる差別が横行するこの今の世界で、息子と私が“Imagine”を演奏するのは素晴らしいことだ、と言っていた。当日はジョン・レノンの歌詞を配って観客たちみんなにも歌で参加してもらおうと思っている。

それと私は彼に音楽を誰かと共演したら、終わった後は必ず共演相手と握手することを教えたい。加えてピアノ好きな彼に、私が大好きな、一家に一枚置いておきたいビル・エバンスのソロ・ピアノ・アルバム、『ALONE』を渡したい。まだ10歳の彼には早いと思うが、いつか年が経ってからでもこんな美しい世界があることを知ってもらえればいいし、気に入らなければそれはそれでもいい。

そしてアメリカの生んだ最も美しいアーティストで、私が最も敬愛するミュージシャンであるジミ・ヘンドリクスから、取っ付きやすい曲たちを見繕って1枚のCDに編集したのでそれも渡したい。心の自由をいかにして持つのか、あるいは国家や政治、出自からの自由、心の自由の尊さを歌った彼の作品は、今後、彼の気が向けば自分で、色々な作品を当たって聴いてみて欲しい。何せジミ・ヘンドリクスの作品は素晴らしいものが無限にあってどれか一枚のアルバムに絞るのは不可能、私の編集したCDはその取っ掛かりでいい。もちろん気に入らなければそれはそれでよい。

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写真は73回目の終戦の日に作った天津飯と棒棒鶏。

夏休みは今日で終わり。









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by kento_ogiwara | 2018-08-16 17:52 | BLOG;その他 | Comments(0)

cooking 2018


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by kento_ogiwara | 2018-05-06 14:22 | BLOG;その他 | Comments(0)

長崎家族旅行

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もう先月のことになってしまったが、妻とその家族総勢15名で長崎に旅行に行った。
長崎は妻の家族方のルーツがあり、先祖たちの墓参りに行くのがメインの旅行だったが、それに合わせて観光もしっかりした。
長崎ではちょうど中国の春節に合わせて、ランタン・フェスティバルが行われていて、町中が紅いランタンで彩られてなかなかの旅情を醸し出していた。
写真は長崎空港。空港からもう長崎市のランタン・フェスティバルへの力の入れようがうかがわれる。
長崎駅で親戚一同待ち合わせして、長崎市近郊の墓参りへ。
長崎は坂の町、お墓も海沿いながら内陸へ階段を上ったところにある。足腰に難のある高齢者向けに、写真のような移送装置がある。
これを上っていき、墓参りを済ませて、振り返ると海が見えた。
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長崎には横浜ほど大きくはないけれど、中華街がある。
この日はチャンポンで有名な江山楼で食事、その後ランタン・フェスティバルに沸く新地中華街で展示を見て回ったり、屋台を冷やかしたりした。江山楼のチャンポンは意外に薄味でヘルシーな感じで良かったし、屋台で買った名物の角煮まんもおいしかった。
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泊まったホテル、マリン・ワールドの窓辺にもランタン。
このホテル・マリン・ワールド、一泊5000円と安い上、800円つければ美味しい朝食もついてくる。新地中華街など長崎の観光スポットへのアクセスも良くいい宿だ。

翌日は妻と二人で長崎港から出ている長崎湾クルーズに出かけた。
船旅はいつでも楽しい。
出島ワーフからはバンドの生演奏が聴こえ、雰囲気的にも桜木町を思わせる港町ならではの味わいが感じられた。
長崎湾内には三菱造船の船づくりの様子が見られたり、海沿いにせり出した教会やマリア像の姿を拝むこともできた。
帆船の観光丸は客の定員が満たなかったため、乗ることは出来なかったが、まあまたの機会に。
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長崎湾クルーズの後は、江戸時代から続く老舗の食事処である吉宗(よっそう)で、名物の茶碗蒸しとバッテラを食べた。義理の叔母が幼かった頃は、何かお祝い事があると、吉宗で茶碗蒸しだったそうだ。
さすがに人気店で、土曜日だったこともあり、2~30分ほど並んだが、ここで並んでいたときに隣のカップルからフィギュア・スケートの羽生くんが金メダルをとったことを知らされた。
茶碗蒸しもバッテラもおいしかった。ので東京に帰ってきてから、インターネットで吉宗の茶碗蒸しを取り寄せて、友人たちを招いて長崎のソウルフードの皿うどんなどとともに振舞ったりした。
義理の母の話では吉宗は銀座にもあるそうだ。またあの茶碗蒸しが食べたくなったら、今度は銀座の吉宗に行ってもいいかもしれない。
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吉宗で食べた後は、浦上天主堂へ。
今ある浦上天主堂は原爆投下の後、新しく建てられたもので、唯一、鐘楼の一部分だけが残って保存されていた。
平和町と名付けられた町を暫く歩き、平和祈念像が有名な平和公園へ。
資料館もあるので行きたかったが、時間があまりなくて、中途半端に見るのもどうかと思ったので、また今度時間があるときにということで今回は行かなかった。
平和公園の噴水に虹がかかっていたのが妙に印象的だった。
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その夜は長崎での夜景スポット、稲佐山にあるホテル・アマンディで温泉に浸かり、家族そろって義理の叔母の還暦や、義兄の誕生日を祝って飲んだり食べたりした。

3日目は義母の従兄弟で、波佐見で窯元をやっている人がいて、そこを訪れて陶磁器の絵付けを体験したり、展示されている作品を見たりして過ごした。
波佐見は山深く、携帯電話の電波が届かない陸の孤島のようなところだった。
写真のお皿の五線譜は義理の母が描き、コードネームは私が足した。波佐見焼きはデザインもなかなか良く、センスがある感じで、特に気に入った透かし彫りの蛍茶碗をいくつか買った。
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絵付けした陶磁器は義母の従兄弟が窯が空いている時に焼いて、買ったものと一緒に送ってくれる手はずになっている。
まだ来ていないが楽しみに待っている。

この日の夜は父の育った、佐賀県伊万里を訪れ、父を育てた年の離れた伯母夫婦に会いに行った。
町は父の母校でもある伊万里高校の甲子園初出場祝い一色で、どこを見ても写真のように張り紙が貼ってあるところだらけだった。
しかし最近ニュースで見たが、なんと伊万里高校の初戦の相手は強豪の大阪桐蔭に決まったそうで、いったいどれくらいの大差で負けるのか今から楽しみだ。
伊万里の夜は、伯母にも連れて行ってもらったことのある伊万里牛の焼き肉屋、ハピネス村で妻と二人で食べた。
写真のようにこれだけ霜降ったお肉が一皿900円と手ごろな値段。東京で同じものを食べようとしたらたぶんもっとするんだろうな、と思う。
その後、伯母を訪れた。
“うれしか~!”
と何度も言って喜んでくれた。
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初めてだった長崎も気に入ったし、伊万里や帰りに寄った博多も好きな場所。
また何かにつけて訪れたいところだ。









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by kento_ogiwara | 2018-03-21 16:38 | BLOG;その他 | Comments(0)

立春

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きのうの立春の日、比較的暖かかったので近くの植物園に散歩に行くと、梅が咲き始めていた。
まだまだ厳しい寒さが続くそうですが、いつもこの梅が極寒のなか咲くのを観るにつけほんとうに驚かされる。
早めに咲く蠟梅はもうかなり咲いていた。
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芝生の大広場では先月の大雪の日に積もった雪がまだ残っていて、このように雪だるまがあちらこちらに立っていた。大雪の日は私の誕生日で、妻とは三鷹に出てタイ料理でお祝いの予定だったのですが断念、結局買い物すら行けず、家に有り合わせのもので作った麻婆豆腐と玉子スープで済ませたのがかえって印象深い1日となった。
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もう2月ですが今年が良い1年であるように。




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by kento_ogiwara | 2018-02-05 22:13 | BLOG;その他 | Comments(0)

2017 Winter


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by kento_ogiwara | 2018-01-05 15:12 | BLOG;その他 | Comments(0)

2017 Autumn

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by kento_ogiwara | 2017-10-26 17:34 | BLOG;その他 | Comments(0)

夏の江ノ島

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先週末は今年2回目の江ノ島。
この日の前日まで17日間連続で東京は雨だったが、この日の江ノ島は晴れていた。
ラッキー。
朝10時過ぎに小田急線の片瀬江ノ島駅についたので、妻の念願を果たすべく、片瀬漁港で魚を買ってその場で食べるというのをやりに行った。前情報だと、雑魚やハネものの魚が300円くらいでたくさん買えるとのことだったが、果たしてまさに写真の通り、これだけ入って200円というのが唯一売れ残っていた。
他の魚を丸飲みしかけたままの魚がグロテスクだが、他の魚をさばいていても、おなかの中に丸飲みした魚が入っているのがかなりの確率であり、日頃からいかに自分たちが商品・加工品の魚しか目にしていないかを感じた。自然って凄いな。
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ハサミを使ってアタマと肝やヒレをとる妻。
やればやるほど手際が良くなってスピーディーに魚をさばいていっていた。凄い。
私は下処理をした魚を水で洗う係。
青空の下調理されたアジやイワシを刺身でしょうゆをつけて食べる。
おいしかった。二人で言っていたのは、ワサビがあればよりおいしかったな、ということ。
次回はワサビ持参でまたチャレンジしたい。

江ノ島に登る。
海は相変わらずきれいで、今回はトンビがたくさん海の上をゆっくりホバリングしていた。
この写真にも黒い点があるがこれもトンビ。
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江ノ島の頂上で売っている横須賀海軍カレーパン。
一個250円とちょっとするが、江ノ島に登るとついついいつも買ってしまう。
レンジの温めなおしだが、何気にかなりおいしい。

いつもの場所に夕日を見に行く。
この日は一日晴れたのだが、夕方だけ雲が多くて、日没の瞬間を見ることは出来なかった。
むしろいつもよく晴れていたんだな、と思う。
お日様も、水平線に浮かぶ富士山もいつも見えたもんな。
それでも日が落ちて全体がオレンジ色に色付けされているようなこの浜辺はやっぱり好きな場所。
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日が落ちた後、いつも行っているイタリアンの店で、生シラスのカルパッチョ、シラスと焼きネギのピザ、ゴルゴンゾーラのニョッキ、モッツァレラ・チーズとバジルのトマト・パスタを、二人で改めて“ここの料理、うまいよね。”と確認しながら平らげた。
夜は江ノ島の洲鼻通りにある民泊に泊まった。
流石に夏真っ盛りのハイシーズンで、前回江ノ島に来た時の一泊2人で5000円とはいかなかったが、朝食込みで1泊10000円のところに泊まることができた。洗面台やシャワーもあって快適、ダブルベッドもけっこう広くて、あっという間に眠りこけてしまった。

翌日はまず東浜でちょっと水遊び。
水が意外なほど澄んでて、足を浸すと気持ち良かった。
水温もちょうど良く、水着を持ってきて海水浴してもよさそうだ。
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海で遊んだ後は、洲鼻通りの忠兵衛さんで生シラス丼を堪能。
生シラスは1月~3月が禁漁期間だそうで、また秋になって行楽日和の日があったらまた生しらす食べに湘南に来たい、と思う。

二日目はヨットの停泊所である湘南ハーバーに行ってぼんやり過ごした。
特に何があるというわけではないのだが、風がずっと吹いているのが心地よかった。
私たち以外にも炎天下、この港で読書をするツワモノの外国人観光客や、よく日焼けした地元の人が何をするでなく座っていたりした。
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江ノ島に着いてすぐに片瀬漁港で買った魚は、とても全部は食べられないのでさばいた後保冷バッグを買って自宅にクール便で送ったのだが、ちゃんと肝を取ったり下処理をしていたおかげか、東京に着いても傷んでいなかった。
それの一部をアクアパッツァにしたがとても美味しかった。
買った魚の中で一番グロテスクな感じのダツは衣をつけて揚げてあんかけを絡めて南蛮漬けのような感じで食べたが、これが淡白な身で臭みがなく、あんかけにピッタリでおいしかった。一部にはサメより恐いと聞くダツだが、まさか自分がそれを食べることになるとは思いもしなかった。
約3日にわたり、湘南の美味しい海産物をいただいた。
写真はアクアパッツァ。
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勢いで買った大量の魚だったが、無事きちんと食べつくせてよかった。
次回漁港で魚を買う時は、その場で食べきれる範囲で、アジやイワシを1~2匹だけ買えるといい。






















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by kento_ogiwara | 2017-08-24 17:54 | BLOG;その他 | Comments(0)

2017 summer

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by kento_ogiwara | 2017-08-15 09:35 | BLOG;その他 | Comments(0)

清歌集

最近小学校4年生になる姪っ子が百人一首にハマっている。
先日家で一緒に競技かるた形式で遊んだ。姪っ子はもう大方の歌を覚えていて、百首全て覚えるのは時間の問題のよう。もうだいぶ忘れている私は簡単に負けてしまった。百人一首に興味を持ったきっかけは漫画の『ちはやふる』だそうで、それで競技かるた形式で、ということらしい。
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私も小学4年生の頃は、やはり百人一首が好きで、百首全て覚えていた。
私はなんでも、誰かがやっているのを見るより自分でやる方が好きな性格だったので、すぐに短歌を自分で作って遊ぶようになった。
さらに行動的なところもあり、クラスを巻き込んでしまえ、と思って、担任のF先生にクラスのみんな一人ずつ一首短歌を作って、歌集を作ろう、と持ち掛けた。F先生は私の人生での最初のヒーローで、放課後に一緒にサッカーをしてくれたり、生徒たちで脚本から演技、撮影まで全てした、『飛び出せ!青春』という青春ドラマを一緒に作ってくれたり、子供心に、自分は将来小学校の先生になりたい、と思わせてくれた若い男性だった。
私の歌集を作りたい、との要望に見事なノリの良さで応じてくれた。
かくしてクラスのみんな全員が一首、57577のリズムに言葉を乗せて短歌を作り、それをF先生が『清歌集』と名付け、簡易製本してみんなに配ってくれた。先生に「清い歌なの?」と聴くと「清らかな歌かな。」と答えていたな。
もうこの『清歌集』、どこかに行ってしまってもう読めないのだが、もしあったら、自分の歌もさることながら、友達たちが、ああ、そうか、こんなことを思っていたんだな、とか、この人はこんな言葉を使うんだ、とか楽しめた思う。今ないのはちょっと残念。

F先生とは小学3,4年一緒で、5年生になるとき、私は別の担任のクラスになりF先生とはお別れになった。新しい担任が嫌だったわけではないが、5年生になってしばらく経ったころ、私はF先生に歌を詠み、送った。F先生との時間が楽しかったこと、5年生6年生もF先生のクラスでいたかったこと、どんな歌だったかは忘れてしまったが、そういう気持ちを歌に込めてF先生に送った。
すると暫くしてF先生から「返歌」が返って来た。
どんな歌だったか、忘れもしない。

思い出は 心のページに 書き記し 
力の限り 今を頑張る

思い出に浸ったり、あの頃は、と振り返ったりするのはもっと歳をとってからでいい。今その時を懸命に生きろ、と。それで大丈夫だから、だからF先生も私を手放したんだ、と母も言っていたのを思い出す。
ご存知の通り、私は懐古的な人間だ。恥ずかしながら小学5年生でその片鱗があったようでちょっぴり苦い思いだ。最近は特に懐古的になっていたから、この話を思い出して、時には「今を頑張る」ことを考えるのもいいかな、と思う。
何はともあれ、ふとそんなことを思い出させてくれた姪っ子との百人一首遊びだった。





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by kento_ogiwara | 2017-07-12 17:41 | BLOG;その他 | Comments(0)

飛鳥山公園

先日、紫陽花を見に飛鳥山公園まで行ってきた。
とそれは口実で、まず池袋で降りて滝野川大勝軒で昼ごはん。
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池袋に移転する前この店は私たち夫婦が住んでいた北区の滝野川にあり、よく二人で食べに行っていた。
食べ慣れた懐かしい味。

東池袋4丁目から都電に乗って、王子方面へ。
学生時代からよく妻やジャズ研の仲間たちと遊んでいた飛鳥山公園に行く。
紫陽花が見頃を迎えていた。
湘南新宿ラインなどの列車を背景に思ったよりたくさんの紫陽花を見ることができた。ここは知る人ぞ知る紫陽花の名所なのか多くの見物客がいて、紫陽花を背景にお互いを写真に撮ったりしていた。
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紫陽花を堪能した後、ここもかつてよく通った銭湯である飛鳥山温泉に行った。
ここはシャンプーとボディソープが無料で置いていて、タオル一枚あればぷらっと立ち寄ってもしっかり体を洗えていい。露天風呂もあって快適。
地域の子供たちもたくさん来ていて、おおらかな雰囲気が心地いい。
風呂の後はフルーツ牛乳で締めた。

飛鳥山温泉を出て、やはりかつて足繁く通ったゴリノスという洋食屋で夕食。
ビーフカレーとシーフードグラタン。
〆て1112円。
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お財布に優しく、かつ美味!
この店に初めて来た大学生のとき、ここのビーフカレーにサワークリームがかかっているのを見て、
「なんてオシャレなんだろう!」
と思ったよね、とか妻と話したりした。
シーフード・グラタンも美味しくて380円と圧巻のリーズナブルさ。
また来たい。










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by kento_ogiwara | 2017-06-22 22:24 | BLOG;その他 | Comments(0)