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ジャズピアニスト荻原健登のブログ

だいぶ凌ぎ易くなってきました

夕方とかもちゃんと夕方らしく少し涼やかになってきたりしてますね。
日中のギラギラとした日差しはまだまだ強烈ですが。仕事柄、日中おもてに出ることが多いので、首周りと腕だけ日焼けして、さながら高校球児のようです。

さてボーっとしたまま受けた前回のレッスンの振り返り。
結局ボーっとしてちゃんと課題をやって来ず、バド・パウエルの“hallucinations”はまんま次回のレッスンに先送り、結局ファッツ・ウォーラーの“jitterbug waltz”のテーマだけ仕上げて、というレッスンになりました。
思わず、モトオカ師匠に「(何にもやってきてないですげど)・・・どうしましょう?」と言ったのだが、モトオカ師匠は「どうしましょう、ったって・・・」と、あくまで課題に基づくレッスンをするのみ、やらないならしゃべっていても意味ないし困るだけ、的なスタンス。
ホント、レッスンの時、私と師匠は音楽の、もっと言えば課題のことしか話さない。師匠はおしゃべりが好きではない。全て音で語れ、というタイプ。音は嘘つけないからね。少なくともレッスンの時は完全にそう。

でも結局時間が余っちゃって、とにかく何かやろう、ということで、色々一緒にやったのは、モンク。
レッスンにつく前はモンクばかり弾いていたオギワラくんだが、この日はモトオカ師匠に参った。“light blue”という8小節の非常にモンクのエッセンスが凝縮されたような曲を紹介されたり、“Pannonica”を一緒に弾いた。驚いたのは連弾しながらソロ回しに入り、うんうん唸りながら弾きまくるモトオカさん、困る私。“モトオカさん、ちょっとこれでソロって・・・”と言うと“色々聞こえすぎてきちゃう?”ときたもんだ。ホンモノのモンク好き。前からモトオカさんのモンクに対する造詣は並々ならぬものがあると感じていたが“Pannonica”のような曲でも構わず全く淀みなくフレーズしまくるモトオカさんに、“モンクもほとんどテーマ・フェイクぐらいのソロしかとってないじゃないですか。”と負け惜しみ。いやー参った。
“crepuscule with nelly”も弾いてみた。カウンター・メロディも内声も含めそらで弾くと“よく覚えてるよなあ・・・”と。あの人、私が(音の)記憶力がいいと完全に勘違いしてる。因みに“crepuscule~”はモトオカさんも昔バンドでやったことがあるそうだが曰く、「うまくいかなかった」。
他に結局前からモトオカさんに聴かせたかったエリントンにインスパイアされたエリントン・ライクな自作曲を見てもらった。気に入ってくれたようだった。作曲の時の私の中の流れも理解してくれていた。彼もああいう風に曲を書いたりもするんだな。曲は「奇妙な曲。面白い。モンクっぽくもある。」とのこと。前にトロンボーンのシバタ君がこの曲を聴いたときも「モンクっぽい。」と言っていたが、一般的にはあれはエリントンというよりモンクなのかな。まあどっちにもなれないけれど。

さてそんなスットコドッコイなレッスンで、なんとかこれからリズム面で退化したところを復旧すること、ハノンやって指を戻すこと、“hallucinations”と“jitterbug waltzs”をソロを含め仕上げていくこと、及び、たまたま弾いた“I wish I knew”が「いい」そうでこちらもサウンド作りからソロまで自力で、というのが課題になりました。
まあ、レッスンから1週間位経ち、“Jitterbug waltz”はソロ含め大体見えてきたかな、という感じ。スケールライクな曲だけど、あくまで3連譜のフレージングとフレーズの出発点及び特に着地点をはっきりとして弾こうかな、と。“hallucinations”もそれこそマイルス・デイビスが細かなコード・チェンジと細かいパッセージを嫌ってか、ブリッジを書き直して“Budo”として吹いた曲だけに、非常に難しい。だからメトロノームのテンポをゆっくりにして少しずつ練習している。まだまだだがね。大変だけど9月から始めるバンドでもやろうと思ってるので、その下心も最大限使ってモノにしようと思う。
“I wish I knew”も時々音作りして遊んでるけど、課題になった以上問答無用で弾けるようにしておかないといけないんだろうな。くわばらくわばら。

オマケ。
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先日所用あり、ついでにつらいことも楽しいことも音楽も仲間たちも、その他全てがあった母校のキャンパスを訪れた。母校は今は府中に移転していて、跡地には老健が立ったと聞いていたが、行ってみると、講義棟や教室があった高い方は巨大なマンションが立ち一階にはこれまた巨大なドラッグストア、グランドがあったところは公園になっていた。老健は教授室などがあった(?よく覚えてない)グランドの上あたりにあった。あれだけ沢山のことがあって、たくさんのことを飲み込んでいた大学が時代とともに跡形もなくなくなっていて、全く別の所になっていて、すごい違和感を覚えた。まるでそこだけ知らない地方都市にでも足を踏み入れたみたいだった。ガルシア=マルケスの『百年の孤独』を思い出した。あの小説はたくさんの物語のあと、最後に舞台となった架空の町マコンドが、そのもの消えてしまう、というものだったと思うが、『百年の孤独』を読んだ時は、そんなことありえない、と思って、本に書いてあったけれど私は信じてはいなかった。でもやはりありとあらゆる物語の舞台となった大学が跡形もなくあの世のことのように消え去っているのを見て、『百年の孤独』を思い出した。
カミサンは子供たちや老人たちが平和に憩う姿を見て、「よかったじゃない。」と言っていたが、私は懐かしさや感慨も覚えることができずちょっと戸惑いながら、こうやって私も大切なところを忘れていくのかな、とか思った。
by kento_ogiwara | 2010-08-10 23:38 | BLOG;音楽について | Comments(0)