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ソーシャル・インテグレーション~対象論を超えて

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先日訪れたバンコクは猛烈な開発ラッシュ。
1ブロック歩くと3割がたはこのような工事中の現場に出くわす。
この国では土建屋は大層なバブルだろうな…、などと思いながら漠然と福祉のことについて考えた。
東京でのこれからの生活のこと、家族のこと、もちろん仕事のことも。
わざわざ休暇とってバンコクくんだりまで行ってなにつまらないこと考えてるんだろう、ってな感じもしますが、一応思ったことをノートに書き留めてあったのでここで整理して記録しておこうと思います。

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私のウチはカミサンと二人暮らし。子供はまだいない。
皆さんご存知の通り現政権の政策として子供手当てが創設され、子供のいる世帯に一律で手当てが支給される。保育所問題などで生活維持の厳しい子供のいる世帯にとっては朗報だろう。
一方でウチはカミサンが今年ぎっくり腰をしてしまい、私が晩飯を作っても、お茶碗が持てず、座ることができず、軽い食器に移し変えて立って食べてもらうような状況が続き、労働からはしばらく遠ざかってもらって、腰の回復に専念してもらいたい、と思っていたので、来年は配偶者控除を使おうと思っていた矢先、子供手当ての財源の一つとして配偶者控除が廃止されるとのこと、全くもってタイムリーなことだ。

子供のいる夫婦と子供のいない夫婦ではっきり明暗が分かれたものだ。少なくとも政策的には。もっとも政策の意図するような結果が、各世帯で実感として現れるか、実効力があるかはまた別の問題だろうが。
ともかく子供のいない夫婦で私と同じくワーキング・プアやっているもう決して若くはないといえる同僚などは肩を落としている。社会保障重視の現政権に交代したと思ったら、思わぬ形で家計をダイレクトに圧迫された感じだ。

今まで自分は生存絶対肯定の哲学のもと、他を蹴落としても自分が生きていかなければならない、と思っていた。公務員は公務員の利益を、土建屋は土建屋の利益を、介護職は介護職の利益を、それぞれが当事者として自分の利益を追求して、生き残っていく、世界とはそういうものだ、と思っていたし、そういう世界観はいたって健全なものだとも思っていた。もとい、今も思っている。

でも少なくとも自分が社会福祉士となったことも一つの切っ掛けとして、少し違うよう思っていることもある。例えば、今回の配偶者控除廃止は痛いけれど(それも夫婦の生き方の一つの選択肢を政治によって消された、という意味で)、しかし、だからと言って、子供のいない夫婦(それもワーキング・プアと怪我人のコンビ)という当事者意識のもと、配偶者控除廃止に対していちいち反対の声をあげるつもりもない。

なぜなら、なんか芸がないな、と思ったのだ。
今回の場合、子供のいるひっ迫した夫婦、と子供のいない夫婦、という二つの対象のなかで、「福祉的」政策が、今回は子供のいるひっ迫した夫婦、が優先されたわけだ。
で、この手の対象論からそろそろ逃れたい、という気持ちが先に立ったのです。
大勢の色々な種類の、個別の苦しんでいる、助けを必要としている集団の中で、どの集団を「福祉的」政策の対象とするのか、優先するのか、みたいな議論に途方もない不毛さを感じたのです。

そろそろこの国でも、「福祉」=「老人ホーム」みたいなステレオタイプは減ってきたのだと想像するし、その証拠の一つとして今回の政権では公約の目玉として子供手当ての創設が挙げられてきた。もちろん障害者自立支援法の廃止、というこれはまた大きな転換が(に成り得るかはまだ謎)、障害者を対象として挙げられているが、目下のところマスコミを中心とした世論の最大の注目は子供手当て、という、つまり児童・子育てを対象としたものに向かっているのは確かだと思う。
この従来の「福祉」=「老人ホーム」みたいなステレオタイプの「福祉」から最近では高齢者はもとより、障害者、児童、公的扶助、ホームレス、在日外国人、難民、ワーキング・プア、雇用問題、ジェンダー、etc.あらゆる集団、あるいは個人が福祉の対象となっている。

そうした時代の中、あらゆるマイノリティを含む包括的社会の中で、ある集団が、「福祉」の恩恵に与れるかどうかで他の集団を攻撃する、って、そんな不毛なことなどあるだろか?
もちろん誰もが何かの当事者であり、その当事者がその当事者としての権利を主張するのは健全だ。当事者の力というのは強大だし、側面から専門家の支援があったとしても当事者の力があれば運動は始まり、ソーシャル・アクションになってやがては社会を動かす力にもなりうる。
ただ、誰もが何かの当事者であるからこそ、自分の属する当事者集団のことだけを考えていて、その当事者集団だけの権利を主張する場合、結局そこには先に挙げた対象論から逃れられていない不毛さが嗅ぎ取れてしまうような気がするのだ。
例えば私がワーキング・プアの知的障害者の介護職である場合、もちろん、知的障害者の介護職の給料をせめて食っていけるくらいまでは上げろ、と訴えることはできるけれど、もしそこで知的障害者の介護職の利益のみを追求して、他の身体障害者、精神障害者、高齢者などの介護職を除外したり、他の労働者の生活権、生存権を侵害しうるような主張を展開する場合、そこにはやはり先に挙げた対象論から逃げ切れていない、ということになろう。

まるで利他的、自己犠牲的、といった福祉にあってはならない概念の臭いが嗅ぎ取れる、と言われてしまいそうだけれど、福祉とは、本来、対象論を超えて、対象を選別せず、一般的に追求されるべきものだ。こうした考えを受け、昔からよく言われていた、ソーシャル・インクルージョン、という概念に代わって、ソーシャル・インテグレーションという概念が近年謳われている。社会にインクルード(内に含んでいく)あるいはエクスクルード(排斥する)といった社会と、あらゆるマイノリティである対象集団を、内と外という名のもと二分化するのではなく、あらゆるマイノリティ、従来では福祉の「対象」と見なされるであろう全ての集団たち、あるいはマジョリティ、全てを含んだ包括的社会を目指すのがソーシャル・インテグレーションの考えだ。

先程書いたように、土建屋は土建屋の利益を、介護職は介護職の利益を、それぞれが当事者として自分の利益を追求する。よく政治を、もっとざっくばらんに言ってしまえば選挙を動かすのは、「福祉」と「公共事業」だ、と言われる。もうそろそろこういった考えからも脱却してもいいのではないか、と思っている。福祉が包括的な社会、ソーシャル・インテグレーションを目指す以上、土建屋の利益を守るのも福祉だ。公共事業の実際の内幕はここでは置いておいて、土建屋や開発業者にとって、国がストップをかければ商売上がったりだ。開発に歯止めをかけようとする現政権の評価は別として、その公共事業打ち切りによって、末端の職人たちの生活に影響を及ぼすことは確実だ。
いったい誰に政治のせいだから、といって職人たちに転職を薦める権利が許されようか。

ある意味私も似たようなものだ。やっと自分の天職と思える仕事についたが、そこはメシもロクに食えないような低賃金だった。仕事は充実しているし、辞めたくはない。でも生活は厳然としてひっ迫している。思わず愚痴をこぼせば聞こえてくるのは決まって、
「それは自分で選んだことでしょ?」
自分で確かに選んだことだけれど、…、でも、そんなんでいいのか?
こんなに必要な仕事で、必要とされ、自分を必要としている人たちがこんなにたくさんいるというのに。

だから同じように私には子供を持った夫婦に子供手当てのことで悪態をついたり、もう開発の時代は終わったから、といって私が今の仕事を天職としてやっているように、天職として職人をやってきて、そして今もやっている職人のクビを切ったり、そういうことはできない。もししたとしたらそれはもう目も当てられないくらい不毛なことだ。最初に書いた対象論に不毛さを感じてきた、というのもそういう理由だ。

ソーシャル・インテグレーションとは言っても理念としては素晴らしく魅力的で、またものを考える時の示唆にも富んでいる。
結局財源の話になるのだが。
本来の福祉の姿のように、本来は対象の選別をせず、全ての当事者たちに平等に助けがいくようにするのが理想だ。しかし財源の問題があるから例えば子供手当ての創設と配偶者控除の廃止、という露骨に選別的な配分が行われた。しかし散々ここまで書いてきたように、その路線に乗っかって、対象論のもと火を吹き合うのは一言でいって不毛だ。
その不毛さを打開するためにも、私たちは当事者としてのみ生きるのではなく、他者への共感も大切にし、利己的に自分の生存を追及するのと同時に、他者、社会全体、そして世界全体のことも感じて、みなが飢え死ぬことのない、犠牲者を生まない、みなが心の安定を持って生きることのできる包括的な社会、世界を追及していくことが、私たちの福祉がどれだけ成熟したか、あるいは一社会福祉士として私が成熟しているのか、に繋がっていくように思われる。


あまりにも夢物語のようだ、と思われたかも知れないので補足。

まず政治に関してですが、簡単に財源不足で子供手当ての創設のために配偶者控除廃止、と書いたけれど、まず、財源不足、という言葉を簡単に使わないようにしたい。
政権交代以前から、私たちは少子・高齢化の単純で明快な原理から税収が減るのは明らかなので増税は仕方がない、と言っていた。
財源がないから増税、とはいうけれども、今回の天下り全廃を掲げる政権交代する前夜、駆け込みで関連する団体に天下った高級官僚が何人かいたけれど、ツメの垢をともすような生活をしながら「増税は仕方がない。」なんて言っていたころ、そうやって世界に悪名高い高級官僚の天下りたちが平気で税金で過ごしていたのだ。
まずそういう完全な無駄をなくしきるまで、「増税は仕方ない。」の言葉はとっておいたほうがいい。有権者として、納税者として。
私たち国民は意識して、このような無駄を許さないように見ていないと。
その点現政権の「財源についてはまず徹底的に無駄を省くことから。」というスタンスは評価している。残念ながら福祉業界は天下りの温床だが、このように日本中に散らばる社会福祉協議会や社会福祉法人などには必ず自治体から天下ってきた元役人がいるが、彼らを一掃できたら一体どれだけ本来の仕事である現場の利用者へのサービスが向上することだろう。職員の数を多くして手厚く介護することも、あるいは介護職の給料を上げて離職率を下げ、結果サービスの質の向上を目指すことも、あらゆることへの可能性が開ける。

また財源がなくても選別的にならないように、と書いたけれど、事実上それは難しい。
とにかくどこかで選別的にならなければならない場合、選別の原理は語り尽くされている。
それはナショナル・ミニマム(最低限度の生活を国家が保障すること)、とも言われ、一にまずは生存を保障することが最も優先されるべきことだろう。
生存の肯定、これは下記日本国憲法25条を見るまでもなく、人間としての最低限のそしておそらく唯一の一般的モラルだ。

日本国憲法

第二十五条【生存権、国の生存権保障義務】
1 すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。
2 国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない。

その他、何が優先されうるかはこれ以上ここで書ききることはできないし、議論されてされつくされることはないので省略。

ちょっとまとまりのない文章になってしまいましたがこの辺で。
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by kento_ogiwara | 2009-10-12 21:23 | BLOG;社会福祉士として | Comments(11)
Commented at 2009-10-13 09:16 x
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented by kento_ogiwara at 2009-10-13 20:55
ゆき、さん。
まあ人生甘くないっすわ。荒波にもまれまくってマス。
こんなに人生シビアなものだとは子供の頃は思いもしなかったのにね。
でもこういう苦しい時にコメントうれしいよ。
なんかえーごでことわざあったよな、in need な時の友達がindeedとか。助かります。
ゆき、さんもtake care.
Commented by ゆうくんパパ at 2009-10-14 16:21 x
「手当の財源が必要だから」というような安易な理由で配偶者控除を廃止するのは問題です。
夫婦のみ片働き世帯の課税最低限をしらべると、アメリカ280万円、イギリス258万円、ドイツ288万円、フランスは何と370万円。
ところが、日本はいまでも156万円と一番低い。
配偶者控除が廃止されたら、114万円まで下がる。
どう考えても、こんなことは許されません。
だまってないで、声をあげましょう。
Commented by kento_ogiwara at 2009-10-14 19:23
ゆうくんパパも切実なのね。確かにこの国における課税の限度額の低さは実際の家計の実感からかけ離れているよね。非課税なんていうとそういう存在がいることさえ殆ど人々に知られていないようなのが実状だったりするんじゃないかな、想像するに。働いているのに最低限度額を下回っている人が実際腐るほどいることに世間の関心が向くことはまだあまりないように思える。
実際非課税については法的には皮肉なことに本文に書いた日本国憲法の生存権を根拠として説明される(利用される)ことが多いけど、単なるエクスキューズに過ぎないのは確かだね。
Commented by kento_ogiwara at 2009-10-14 19:23
そして今回のこの一連の動きの中には、ポピュリズムはもちろんのこと、暗に、というか露骨に、夫婦は子供を生まなければいけない、子供がいないのに専業主婦(あるいは専業主夫)をすることは許されない、母親はこどもがいても働かなければならない、というジェンダートラックの現代版のようなものの臭いが明確に嗅ぎ取れる。一方で女性の産休育休はほんの一部でしか通用せず、それこそゆうくんパパが挙げたような国々では女性の多くは生涯を通じて働くことができているのに比べ、日本の女性の就業率は出産を谷としたM字型、子供を持った女性の働く基盤がこの社会にはない、という完全な矛盾がある。
Commented by kento_ogiwara at 2009-10-14 19:24
これほどワーキング・プアが多くなって、社会問題として一般化されてきた昨今、この状況を生み出した数年前の政権によって定率課税が画策されていた背景もあるようだし、ちょっと分野はそれるけど障害者自立支援法でも定率負担を導入し、重度ならば重度なほど家計を圧迫する、というとにかくあらゆる弱いものからとる、という構図があの頃露骨だった。
Commented by kento_ogiwara at 2009-10-14 19:24
政権は変わったけれど政治が家計の実感から乖離しているのはなかなか変わらないね。そして私としては、働きたくても働けない人がたくさんいることをもっと政治家はもちろん、みんなに知って欲しい。そして誰しも働きたくても働けなくなることがありうることもしっかり踏まえて欲しい、と思っています。そこにあるのは他者への共感であって、それを考えられるのがその国の社会の成熟度だ、と思います。
Commented at 2009-10-16 04:37
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented by kento_ogiwara at 2009-10-16 22:16
Soonaさん。
Danke fuer dine Antworten.
Jetzt bin Ich total betrunken.
Wie geht es dir in Berlin?
Ich habe was fuer ein Sehnsucht, weil Ich war schon da.
O Deutschland, mein Heimat!!!
Hoffentlich bin Ich in Deutchland. Nur einmal ist schoen.
In Japan kann Ich nur trinken jeden tag.
Trinken ist Leben, oder?
Hoffentlich koennen wir Tofler in Tokyo sehen, und viel trinken und sprechen.
Eigentlich habe ich fuer dich und dein Familien denken. Weil du habe kein BLOG long schreiben. Ich wuste nicht dass du warst shoen oder nicht. Es ist OK dass du schoen bist, und dass du mir schoen antwortet hast. Ich bin froh zu deiner gute antworten becommen.
Wirklich Ich moechte dass du und deiner Familien ungenehm in Der Niederlande leben, und dass du und deiner Familien schoen sind.
Hoffentlich koennen wir sehen und trinken, in Tokio, Amsterdam, oder ueberal in der Welt.

Mit dem freundlichen Gruessen,

Kento
Commented by soona at 2009-10-17 16:54 x
あははは〜Ahaha, o kento kun
Ik begrijp jou Deutsch!!! Maar Ik kan alleen Nederlands schrijven... Je kan het via de Online dictionary vertalen. Het is heel Grappig... Nu ben Ik in Berlijn. Heel leuk! Vandaag ga ik naar Brandenburger Tor enzovoort...en Natuurlijk gaan we veel drinken net als jou!!!
Commented by kento_ogiwara at 2009-10-17 22:22
soonaさん、わたし、オランダ語わからんYO!
すなさんが今ベルリンだろうからわからない時はそこら辺歩いてる人に訊いてもらえればわかるだろう、と思ってドイツ語で書いたまでさ。しかしオランダ語、やっぱドイツ語と似ているなあ…。
以下、予想で意訳。全然違ってるところがあったら教えてちょ。

私はドイツ語は忘れちゃったよ~。今はオランダ語でなら書けるよ。オンライン辞書を使って読むことができたよ。今私ベルリンにいるけどGRAPPIGだね。人が沢山!昨日はブランデンブルク門に行ったYO!もちろんのことかつてのようにガンガンに飲みたいもんだね!!!

ってなところでは!?
もちろん間違ってるところあるだろうけど、オランダ語のおの字も習ったことないにしてはけっこうあってない?
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