オギワラケントのCDアルバム

2004年 "kento ogiwara’s memorial album"

2005年 "post; out of the blue"

2006年 "life"

2007年 “Road Music”

2008年“kento ogiwara and friends”

2011年“Ellington's Mood”

2012年“Live In Tokyo”
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# by kento_ogiwara | 2007-10-11 18:41 | アルバムCD | Comments(0)

オギワラケントくんのプロフィール

3才でキャッチボールを始める。
幼い頃はかなり野球がうまく、小学校の友達たちと野球をやり、チーム分けをするときは、やはり野球のうまかったハギワラくんと、チーム分けのトリケンをやっていた。人数が奇数の時は、イルイラナイをやって、イラナイとか言っていた。
またこの頃かねてから応援していた阪神タイガーズがバース・掛布・岡田のバックスクリーン3連続ホームランで優勝し、熱狂的な阪神ファンとなった。

小学生の時リトル・リーグ、『川口レッドボーイズ』に入団。試合の日チームがA,B,C,Dと4チームに分けられ、オギワラくんは最もヘタなDチームに入れられる。ポジションはライトで9番とライパチ以下のライキューというものを体験。打席ではコーチのハナさんが
「オマエら、何やってもいいぞ~。何してもいいから、好きなことやってこいっ!」
と言ったため、セーフティ・バントをしかけるも失敗、涙を飲む。
やがて退団。

中学に入り、『キャプテン翼』の影響もあり、サッカー部に入る。
毎日2リットル入りの容器に紅茶を入れてそれを冷凍して部活に持っていっていたのだが、これが大好評、先輩や同期のみなが一口もらいにきた。
そんなある時、先輩の一人が、
「アイツは紅茶を持ってくるためだけにいる。」
と言うのをうっかり聞いてしまい、こころに深いキズを残す。
自分の代になり、やっとこさレギュラーの座を獲得。背番号は4。ポジションは未定。監督は、どこでもできる便利な選手、と言ってくれたが、真相はナゾ。
そして運命の公式戦で、試合はもつれPK戦へ。順番は6番目というビミョーなもの。案の定最初の5人で決着がつかず、サドンデスに突入、PKを蹴るハメになる。すでに順番が来てしまった時点でアタマが真っ白になっていたオギワラくんはさながらキーパーへの優しいバックパスのようなシュートを放ち、失敗。しかし相手の6人目も外してくれたので戦犯は免れたに見えた。
次に7人目を蹴ったTくんが外し、相手の7人目が決め、敗戦が決定。みな一斉にTくんを戦犯として責める。オギワラくんはこっそりやり過ごそうとしていたが、案の定Tくんが、
「ケントだって外したじゃねえかよ。」
と言った。しかしなぜだか皆はオギワラくんを責めることはせず、ただ気まずい雰囲気だけが残った。オギワラくんは何ともやり切れない思いになった。
しかし、今なら言おう。PKを外したのはTくんやオギワラくんだけではない。最初に蹴った5人のうち2~3人も外していた。君達が決めていればTくんやオギワラくんがバツの悪い思いをしないでもよかったのだ!!!

幾とせを経た現在、自主フットサル・サークル『ドリームス・フォーエヴァー』を立ち上げ、主将としてエースナンバー10番を背負い、華麗なプレーで人々を魅了し続けている。
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# by kento_ogiwara | 2007-10-02 23:03 | プロフィール | Comments(0)

オギワラケントくんの音楽的プロフィール

音楽好きの両親のすすめもあり、5才でピアノを始める。

11才で一旦レッスンをやめるが、13才の時、姉の影響で洋楽(ロック・ポップス)を聴き始める。当時はMTVが地上波でも見ることができたので、MTVを熱中して見て過ごす。
U2の“Rattle and Hum” を聴いてから完全に音楽にのめりこむようになり、その影響ですぐに自ら作曲を始める。また同じ頃、ジミ・ヘンドリクスに出会いショックを受けて最初のギターを手にする。

高校ではバンドを組み、ジミ・ヘンドリクス、ガンズ・アンド・ローゼズ、セックス・ピストルズ、ニルヴァーナ、メタリカ、レッド・ホット・チリペッパーズなどを演奏し、都内のライヴハウスを中心にライヴを行う。当時のギターの教科書はガンズ・アンド・ローゼズのスラッシュやスティーヴィー・レイ・ヴォーンなど。またこの頃ピアノのレッスンにも戻り、ピアノでの作曲やインプロヴィゼーションを楽しむようになる。

大学ではジャズ研に入部。ジャズ・ピアノを学び始める。ビバップのイディオムをコピーしたり、ハノンで技術を磨くなどして過ごす。当時よくコピーしていたのは初期のジョン・コルトレーン、ハンク・モブレー、チャーリー・パーカーなど。
ジャズを始めて3年目、ジャズ・ピアニストの元岡一英氏に弟子入りする。元岡氏に言われた、
「確かに音楽には不思議なところもありますが、まず1,2,3,4と数えることが大切だと思います。」
という言葉は大切な言葉になっている。
大学時代はジャズと同時進行でポップ・バンドでギターを弾き、オリジナル曲をバンドのために書いていた。その中でも『三田線に乗って』という曲は音楽系サークルの友人たちの間で人気になり、バンドの代名詞のようになった。

大学卒業後もジャズ・ピアノを中心に音楽活動をしていたが、録音やCD化は一切していなかった。もっとも好きなミュージシャンであるジミ・ヘンドリクスが亡くなった27才になったとき、
「自分は彼がもう死んだ年にきたのに何もやっていない。」
と思い、書き溜めてきていた曲から“kento ogiwara’s memorial album” を製作。続いて
1年半後にシーケンサーやクオンタイズを多用して無機質な質感を追求した“post; out of the blue” 、さらに2006年、全ギター・トラックを自分で弾いた“life” を製作。そして2007年10月、メイン・ボーカルを殆んど自分で録った“Road Music” が完成。2008年にはロー・ティーンの作曲を始めた頃書いたものからそれまでのジャズの集大成的なもの、さらにシーケンサーを使ってカジュアルに仕上げたものまで、60曲に迫る曲数をレコーディングし、2枚組に収めた“kento ogiwara and friends”を完成させる。2011年には師事する元岡一英氏とのジャズのソロ・ピアノ・レッスンからデューク・エリントンに影響を受けて、エリントン作品をフューチャリングした“Ellington's Mood”を製作。これらのオリジナル・アルバムは大学ジャズ研のOB、OGの友人たち、またそこから派生した他大学ジャズ研出身のOB、OGにも協力をいただいた。また2012年、元岡一英師匠とのソロ・ピアノのレッスンの成果を理想的な形で収めたリサイタルの実況録音と、10数年来の盟友との奇跡的な再会を果たしたトリオでのセッションを収めた“Live In Tokyo”をリリース。初の完全ジャズ・ピアノ・アルバム、及び完全ライヴ盤、そして初のジャズ・スタンダード集となっている。


現在も元岡一英師匠についてジャズ・ピアノの習得に励むかたわら、ぽつぽつ曲を書いているので、新作、ライヴなど、乞うご期待!!!
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# by kento_ogiwara | 2007-10-02 23:03 | プロフィール | Comments(0)