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ジャズピアニスト荻原健登のブログ

Birthday Eve

誕生日前日、私と誕生日の近い姉、2番目の姪っ子3人合同で家族で祝って貰った。
母がシフォンケーキを焼いたのだが、分量が違ったかあまり思ったように生地が膨らまず、しかもトッピングのキウイフルーツがスーパーになくてブロッコリーで代用、姪っ子たちは衝撃を受けていた。
久しぶりの姪っ子たちや姉家族との時間。
若い感性をいっぱいに浴びたし、ふつうの家族なら私は叔父として姪っ子たちの相談に乗るのかも知れないがここでは逆で、私が姪っ子たちに話を聴いてもらって助言を貰ってスッキリしている。
姪っ子たちは頼もしい。
私が頼りないのかも知れないけど、まあいい。

あと2時間余りで誕生日。
今がチャンス。
誕生日を迎えてしまって来るべきこれからの未来について書くより、これまでの人生を振り返った方が遥かに贅沢というものだ。
良い人生だったな、と思う笑
まあ終わってしまえばなんとでも言えるし、どうせ言うなら良く言っておいた方が良い。
でもそういうことでなくても、今日は素直にそう思える。
仕合わせな47年だったな、と。

そして今まで生きてきて、今がいちばん仕合わせだな、と、なんとなく思う。

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私が音楽と出会ったのは12~3才の頃。
姉が当時流行っていたロックやポップスのCDを家で流し始めた。
狭い家だったから全部同じように聴こえていたし、私はそれまで感じたことのない快感を感じていた、こんなに気持ちのいいものがこの世にあったのか、と。
U2のボノがアイドルになり、私はなんでも、人がやっているのを観たり聴いたりするより、自分でやる方が好きだったから、歌を歌い、曲を自分で作り始めた。
13才のクリスマスに初めて曲を作り、ロックの歴史を掘り下げる中でジミ・ヘンドリクスに出会い衝撃を受け、14才で最初のギターを手にした。
アルバムのジャケットや曲目を観ながらCDアルバムを聴いては、新しい世界が出現するようにを感じたり、あるいはそこに自分の微かな記憶を見て取るような気がしたり、遠い世界、遥かに遡った古い世界、あるいは私がいるのとは全く違った世界を見てはその中に遊ぶように、私はCDを聴いていた。

私は歌を歌ったり、ギターを弾いたり、曲を書いたりするのに飽き足らず、それらをくれたCDというものを、今度は自分が作りたいと思った。
私はU2やジミヘンと同じことがしたかった。
その夢を叶えたのがアラサーの頃。
自主制作ではあったが、オリジナルのCDアルバムを量産した。
私はU2やジミヘンや、その他、無数にいる私のアイドルたちと同じことがしたかったから、歌詞も英語で書いた。
それまでの人生で、私は英語もけっこう勉強して、12~3才の頃には全く話せない、書けないだった英語が、アラサーの頃には多少は出来るようになっていた。
そうして大量のCDを作り、それは今も実家のロフトで埃をかぶった段ボールの中で眠っている。
ひとつ、重要なことは、12~3才の頃ひとりだった私は、その後たくさんの素晴らしい友人ミュージシャンたちに出会い、彼ら・彼女らの協力があって、素晴らしい作品を作ることが出来た、ということ。
彼ら・彼女らへの感謝の気持ちは変わらない。

一方で、私がCDによって人生を変えられ、CDに憧れ、そして自らCDを作るようになる頃には、時代はCDを聴かなくなっていた。
私は人ひとりの人生(半生)よりも技術革新の方が早く、人が夢を叶える頃には、その夢そのものがなくなっている、という状況に当時から気付いてはいた。
友人にそれを話すと、技術畑の友人は、それは現代誰もが感じているところ、と応えていた。
私は、近々、ご縁があって、とあるローカル局のラジオ番組に出演させて頂くことになっている。
私は少年時代、ラジオを通しても音楽を聴いていたし、まるで私に語りかけてくれるかのように話すDJたちに憧れ、一時期は自分がラジオのDJになって、世界中の人たちへ、いろんなお話を語りかけたい、と夢見ていた。
そしてそれがこの年にして叶うことになった。
私は自分がこの世界には珍しい、「遅咲き」だな、と思うし、ここに来てミュージシャンとして色々な芽が出て来ていることに、人生の妙を感じている。
私は自慢たっぷりに、姪っ子に、
“なあなあ、けんさん今度ラジオ出るんだよ!”
と言った。
“ふーん。”
姪っ子はスマホから目を離さずにニコリともせず言った。
その愛想の無さに義兄が笑った。
私は“え?凄くない?”みたいに言ったけれど、要するに、ラジオなんて姪っ子には縁も馴染みもなくて、これが例えばTik Tokで〇〇万回バズったんだよ、とかだったら反応ももっと違う、とのこと。
Tik Tokかあ・・、ようやらんな。
ラジオなんていちばんロマンチックな媒体にも思えるが・・。
そう考える私が古いのかな。

とにかくCDを作れば世の中はCDを欲さなくなり、ラジオに出ると言えば姪っ子からピクリとも反応してもらえない私の時代と常にミスフィットした古さを感じ入る誕生祝いでの一コマだった。
まあいいさ。
井筒和幸監督の『パッチギ!Love & Peace』の中で、藤井隆が急にかしこまって、
“私は古い人間ですが、古いからこそ新しいことが出来るとも思うのです。”
みたいなことを言って、クレイジーなことをやるシーンがあって好きなのだが。
新しいこと、やっていきます笑
嘘です、やること、変えません。
そして今まで通り、マイペースで行きます。

あと1時間で48才。
新しい年は、どんな風になるでしょうか?
頑張れ、48才の私。
47才の私から。

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2024年1月21日 左から私、藍子、姉、茉子




# by kento_ogiwara | 2024-01-21 23:21 | 音楽のこと | Comments(0)

クリスマスが終わる。
私にとってのクリスマスの思い出はジョン・レノンの“Happy Xmas”、子どもの頃、クリスマスのテレビはどの番組も最後はジョン・レノンだった。
“War Is Over, If You Want It.”、
子供心にそれが平和を願う歌だとは気付いていなかった。
それよりもクリスマス独特のハッピーな雰囲気を最大限にかき立てられ、私はその音楽の響きが純粋に大好きだった。
今では殆ど聴かれなくなってしまった“Happy Xmas”、時代は変わったのか。
テレビでパレスチナを取材したキャスターが言っていた。
イスラエルとパレスチナは共存は出来ないのか?
現地の人に訊いて回った。そして全ての人が、「ありえない」と言い、ある人はそれが愚問だと言った。
キャスターが言うには、双方の間に積もった憎しみはそれほど深刻で、今日のクリスマスのベツレヘムにおける生誕祭で大司教が言った、
「暴力の連鎖を止める。」
は現実的な響きを持って来ないのだと。
もちろん誰もがそれを望んでいる、それでも出来ないのだ、と。
ジョン・レノンとオノ・ヨーコの、“War Is Over, If You Want It.”が支持されなくなってしまったのも、そんな世相を反映してるのだろうか。

久しぶりに“Happy Xmas”を聴いた。
子供の頃感じた、平和と幸福に満たされた思いはもう感じない。
世界が平和になっていくこと、世界中の人たちが幸せになっていくことを信じることが出来たあの頃は、まだ私は恵まれていたのだろうか。
昨今の子供たちはどうなのだろう?
この今の世界を見て、平和を信じることが出来るのだろうか?
出来ないのだとしたら、それはそういう世の中にしてしまった私たち大人の責任なのかなと思う。
でも私にしたって全てを諦めた訳ではない。
私は今でも平和を願っているし、そのために出来ることをしていきたい。
ジョン・レノンの“Happy Xmas”を貼っておく。
かつて感じた気持ちにはなれなかったとしても、子供たちのコーラスが美しい。



今年も勤め先の老人ホームのクリスマス会でピアノを弾かせてもらった。
コロナが5類感染症に位置づけられ、だいぶ規制も解かれて来た中で、今年は久しぶりに歌唱ありで良いとのお達しだった。
私は担当の介護職から心の込もった手紙を貰ってピアノ演奏・歌の伴奏をお願いされ、全面的に協力するつもりだった。
施設側としてもオールキャストで会に臨む様子で、司会・歌の盛り上げ役・プレゼント調達係・サンタクロース役・撮影係・歌詞を大きな模造紙に書くなどの準備係etc.、力の入りようがうかがわれた。
ところが当日、熱発者が何人か出た、ということで歌を歌ってのレクリエーションは取りやめになってしまった。
私はおじいちゃんおばあちゃんたちの歌を聴くのを楽しみにしていたからとても残念だった。
会が始まり、もともと予定されていたピアノ演奏3曲を終えると、司会の介護職の子が、
「これで最後の曲です。」
と言った。私は慌てて、
「歌の伴奏のつもりだった曲をピアノ演奏でやることも出来るよ!」
と伝えた。それならば、と続けて私はもともと歌の伴奏の予定だった「赤鼻のトナカイ」をピアノ独奏で弾いた。
すると何人かの方が歌っているのが聴こえた。私は演奏を終えると、
「なにやら歌も聴こえてきましたね!」
と笑顔で言った。
次の曲は「きよしこの夜」だった。
司会の介護職がつい、うっかり、気持ちが出てしまったのか、
「皆さん歌っていいです」
と言ってしまった。
「きよしこの夜」はおじいちゃんおばあちゃんたちの、さながら聖歌隊のような美しい声が響いた。
いつも思うがおじいちゃんおばあちゃんたちの歌心は凄い、気持ちの入り方がまた凄い、歌いたい気持ちが凄い。
「きよしこの夜」が終わって最後の「ジングルベル」になった。
介護職たち、すっかり心が動いて、一旦歌はなしと決めて奥にしまっていた歌詞の模造紙を出して来て、歌ってもらう気満々、私もおじいちゃんおばあちゃんたちに手拍子を要求。
そうして始めた「ジングルベル」は大団円になった。
みんな歌い、手を叩き、大盛り上がり。
楽しい曲だったが、楽し過ぎたのか、泣いてしまうおじいちゃんもいた。
素晴らしい時間だった。
ホントにいい会だった。

写真はクリスマス・イヴに家族と食べたローストチキン↓
イヴは残業が凄まじかったが家族が待っていてくれ、このひと欠けを切り分けてシェアした。

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去年だったか、広島の平和祈念式典の子供代表で、ある子が、「平和って何?」と言って、彼女が考える平和について素敵な話をしてくれていた。
平和って何なのか、私も何かひとつ具体例を挙げるとするのなら、このホームでのクリスマス会の様子を話せると思う。
これが平和だと。
おじいちゃんおばあちゃんたちにも凄く喜ばれたし、私もこの会に参加するまで、たくさんの人に励まされたり、介護職の皆さん始め、たくさんの人たちが関わって、その結果のいい会だったと思うので、あるのはやっぱり感謝、ここに加わらせてくれて有り難う、の気持ちだ。
素晴らしい経験をしました。

クリスマス会の後は若手介護職たちと忘年会がてら軽く飲んだ。
20代の女性ベテラン介護職が、
「(同僚たちとは)相談もするし、言いたいことも言い合う。それでも関係は壊れない。仲は良い。」
と言っていて感銘を受ける。
分断され、硬直した世界を乗り越えるヒントは若い世代が持っているのだろうか、とか考える。
愛・リスペクト・信頼、それを彼らは天性に持っているのかな、とか。
足下を見ても高一になったばかりの姪っ子たちが正月はソウルで過ごすという。
このフットワークの軽さ。
ヒップホップダンスのレッスンを受けるとかなんとか・・。巷の嫌韓感情などどこ吹く風。
そんな、希望も見えた今年のクリスマス。
じんわり幸せを感じながら、アパートでひとり過ごしてます笑
クリスマスの夜に、夜更かしして、徒然なるままに書いてみました。

最後にもう終わってしまってることと思うけれど、皆さん、メリー・クリスマス。
平和で、穏やかで、愛情に溢れた休日をお過ごし下さい。

Merry Christmas And A Happy New Year !!!


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# by kento_ogiwara | 2023-12-26 00:49 | 音楽のこと | Comments(0)

Frontier Mind

12月11日、久しぶりにさる名手ピアニストのレッスンを受ける。
今日はその備忘録。
と言ってもあらゆることを学んでその全てをここに書くことは出来ない。
また教わったことはいわば奥義中の奥義、軽々しくインターネット公開するものでもない。自分のために、自分の場所で記録はとっているので、ここではレッスンにまつわる思ったこと、あれこれ、周辺のこと、その程度にしたい。

私個人のことについても多くの助言をもらった。
コロナによる数年の空白は、私のピアノ人生に多くの変化をもたらした。人と合奏することが出来ず、一人で演奏する必要性からクラシックの曲を弾くようになったこと。コロナと時を同じくして始めたレッスンの仕事で、生徒との橋渡しとして五線譜にジャズのアレンジを書き込み始めたこと。もちろんどちらもポジティヴな変化だったと思う。ただその副作用として、それらに傾倒するあまり、ジャズのジャムセッションにそれほどの楽しみを感じられなくなっていた。
私はジャズは向いてないのかな、と思ったり、まあ正直極端なことも考えたりしていたが、そのことについてもとても良い意見を頂いた。
レッスンの前日に書いた“Frontier Mind”という曲を聴くと、彼女は、
「私はね、絶賛するよ。」
と気に入ってくれて、更に、
「センスが良い。ジャズをやっているから、単なるポップスにならない。」
と言ってくれた。そして、
「ジャズをやっているからそれがオリジナルにも影響するし、オリジナルの世界観もジャズに影響していく。」
と言葉を費やしてくれた。
私の中に息づくジャズやそれまで通って来た全ての音楽があり、その間で例えばジャンルによるラインはない。私としても、この曲はジャズ、この曲はボサ・ノヴァ、この曲はR&Bとか考えて曲を書くものでもない。私と密に繋がったところから出て来るものが私の分身たる私の曲と言うだけで、もといそこに線が引かれるはずがない。
オリジナルに関してはそれは自分でもよくわかっていたが、逆もまた然りで、オリジナルの世界観が私のジャズに影響を与えていくということを言ってもらって私は大いに腑に落ちた。なにもオリジナルだ、ジャズだ、と分けて考えることでもないのだと思うし、分けないで全てを包括する音楽と思って身を委ねている方がワクワクがあるし楽しい。
全てが分かち難く私の中にある、

私はジャズが楽しみになった。
彼女は私のピアノの中にあるバピッシュな要素を気に入ってくれていたし、私もいかに音楽にバップの匂いを漂わせるか、そのことばかり考えている。
ヴォイシングを考えるときもバドやモンクみたいなビバップの薫る和声に、ビル・エヴァンスみたいなバップの美しさをいかに漂わせるか、そのことばかりを考えている。そしてそれが出来て、五線譜に書き込み、改めてそれを自分で弾く時は至福のときだ。
書いていて自分を曝け出すようで恥ずかしくなる。
でもそれがジャズ・ピアノを始めて30年近く、私の変わらぬバッパーとしての姿勢。

同じくらい作曲が楽しみになった。
最近よく曲を書く。
疲れ果てて、アパートで孤独を持て余している時にまるで救いを求めるように私はエレピを弾く。
私の生きている微かな軌跡、それがあの曲たちの中にはある。そう言えばつい2~3日前にもその名も“Signs Of Life”という曲を書いた。彼女が言ってくれたように、ジャジーで、バピッシュで、私が通って来た全てがあるから生まれた音楽。だから私は変な話、自分の音楽が好きだ。いちばん好きな音楽、それは私が心を込めて書いたオリジナルだ、炎上するかも知れないが。自分がいちばん気持ち良いと思う音を極限まで選んで書いているから当たり前のことかな、とも思うが。
そこにジャズからの影響が、バッパーとしての影響があるのならそれは嬉しいこと。

同じくらいクラシックが楽しみになった。
最近はラヴェルの“亡き王女のためのパヴァーヌ”を毎日弾いているが、さる名手ピアニストも私のピアノ習得のためにも良い題材だと言う。
レッスンを受けてから、私は窓の外を見ながらピアノを弾いている。遠くにいる人まで、届け、との思いで。どこに視点を合わせるのかが自分にとって重要なこととなった。
新しい風が吹いて、マインドが開かれるようになってから、私はよりその時鳴っている音が聴こえるような気がするし、自分自身が空気の振動によってあからさまにその場の人たちに伝わっているように感じる。逆にその場にいる人達のことももっと感じやすくなっているかも知れない。
これは仕合わせなことだ。
そうすることが音楽家にとっての悦びであり、音楽家の特権なのかな、と思ったり。
もちろん一朝一夕ではないし、これから時間を掛けて、自分の中でものにしていかないといけないところだ。
もちろん技術的なところ、気持ちの持ち方、厳しい言葉も頂いた。
そこにこそ真髄が隠れているのかも知れないが、それについてはここでは秘密。

その他、ここには書き切れないことを学んだレッスンだったが、前述した通り、その大部分は門外不出かな、とも思う。
その方が贅沢というものだ。
私が彼女との繋がりの中で得た財産。
どうしてもこの記事を読んで気になったことがある方がいたら、私に直接訊いて下さい。
レッスンを通じて、クラシックであろうがジャズであろうが、良いものには共通していることが沢山あることを知った。
バリーとホロヴィッツが同じピアノの弾き方をしていること、そこから来る共通する音の特徴。
もちろん強烈なダメ出しも頂いたが、せめて、そこを意識していないと何も始まらないではないか、意識していれば変わって行くかも知れない、と彼女。
道程は遠い。
そして長い。
でもその道は楽しくもある。
これからの自分が少しだけ楽しみ。

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2023年12月11日東京都内・某所にて


# by kento_ogiwara | 2023-12-17 22:24 | 音楽のこと | Comments(0)

喧々諤々の鍋

ミュージシャン仲間との伊豆1泊旅行終了

何年か前に友人に教えてもらって、築地で材料を揃えて自作した「わさび丼」をわさびの本場・伊豆で食べて感慨深かったり、
今なら時効だと思うので言うが2年前位の緊急事態宣言のさなか、バイト先の同僚たちとドライヴに行ったのだが、その時も降りた小田原の早川の港の辺りで今回もご飯を食べて(新鮮な鯵が絶品・・)、2年前と異なる賑わいや活気、そして今回はミュージシャン仲間と一緒であることも相まってこれも感慨ひとしおだったこと、
いろいろあるけれど(食べ物の話ばかりだが)、いちばん楽しかったな、と思う宿で自分たちでこさえた鍋について話そうと思う

一人がキッチン付きのコンドミニアムを安く借りれる、ということで始まった伊豆旅行だったのだが、夕食はキッチンを使って、簡単に鍋にしようということになった
地元のスーパーで材料を買ったが、ここで既に意見の食い違いが・・
白菜は4分の1でいい、いや半玉使う、マロニーちゃんは・・入れたいと入れたくないに分かれ白滝で折衷、豆腐は焼き豆腐が良いが普通のでも良いと言っていた、ニラの是非、etc.

宿に着いて、野菜を切る
切り方も十人十色
まず椎茸を洗ったところで驚かれる
帰京して母に聞いたがやはり母もキノコ類も洗うそうだ、私も毎回洗ってる
椎茸の飾り包丁は包丁で十字に切り込みを入れるだけでいたら、「荻原さん、椎茸がオトコだね」と言われ、もっと煮立った時にキレイになるやり方を教えてもらう
私、普段、厨房で働いてるのにカタなし
椎茸の石づきは縦に切るか輪切りにするか、そもそも入れないか、面白いように意見が分かれる
長ネギの青は使うか、使わないか、分かれる
白菜ってそう切るんだー、と私が言えば、もう一人が、お、ちゃんと白菜斜めに切ってる、と言う
関東・関西がいて、おまけに私は九州
山崎まさよしの『セロリ』じゃないけれど、
育ってきた環境が違うから~♪
みたいな感じ
最初に言っておくが私がまずそうなのだが、
みんなも大概頑固なので、意見をぶつけ合いなから、そして飲みながら、野菜を切った

                       ↓切った野菜

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鍋が始まって、一人が持って来てくれたあごだしのパックを入れる
鶏肉や野菜からも出汁が出て、煮立った頃にはいい味になっていた
味の好み
塩味を欲する人がいれば、私はそのままで美味しい、と言う
ニラを入れたい人がいれば、絶対に一旦食べ切ってからにしようと言ってあくまでニラを入れない人がいる
ミニトマトを入れる人、それが駄目な人、初めて鍋のミニトマトを食べる私
鍋そのもののやり方、鍋やすき焼きをやる時、一度味を作ったらそれは食べ切って、その後一から次の味を作るか、あるいは私や私の家族はそうなのだが、いつまでもグダグダと注ぎ足す
ニラの是非については最終的にひとしきり食べて、最後に水餃子を入れた時にニラも入れて折衷
白菜は私は4分の1で良いのではと思っていたが、確かに半玉使った

聴いていると、なんか全然楽しくなさそう、と思われそうだが、これが意外に、というか、まず鍋が美味しくて、けっこういい
そのせいか、それなりにみんなけっこう幸せそうで、
「ひとりだったら鍋とかやらないよな」
「こうしてみんなでワイワイやるからいいんだよな」
と話し、みんなで頷きあう
実際、私久しぶりの鍋だった

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写真がその鍋↑
しかし、まあ確かによくもここまで意見が分かれたものだ・・
もちろん宴が進むにつれ、いつものようにいろんなことについてたくさん話をして楽しんだし
忘れなそうな夕食だった
時間が経ったら懐かしく思い出すんだろうと思う


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# by kento_ogiwara | 2023-12-07 00:12 | etc. | Comments(0)

Holidays

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# by kento_ogiwara | 2023-12-05 23:30 | etc. | Comments(0)