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music videos

I made some music videos.
check them during christmas holidays you may have some time!



this is a pianist, kento ogiwara's live recording, playing famous standard tune.
the photograph is the eclipse that occuered this year.
kento ogiwara took these pictures, which are like polka dots.
that is why kento ogiwara used these pictures for this tune.



last year, I made a small trip to Holland and Paris.
I felt like hearing Erroll Garner's piano walking in the streets.
I came to be involved in Garner's music then.
this is the standard tune that Garner often played.
the pictures are in Paris when I visited.



this is the tune named "Django" written by jazz pianist, John Lewis.
Django is a legendary gutarist, and as you may know, he had a handicap in his fingers. lacking 2 fingers, he made the history of jazz.
my father has similar handicap in his finger and once he tried to play guitar. these pictures are the places where he was brought up.
Sonate is by Beethoven, the famous "pathetic 2nd movement".
Both tunes are very classical.

hope you all have nice holidays!
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by kento_ogiwara | 2012-12-23 12:03 | BLOG;音楽について | Comments(0)

2年目の東北;女川・石巻を訪れて vol.8

なんとなく震災からしばらく経って、これからは東北が色んな意味で日本の、あるいは世界の中心になるな、と思っていたのですが、同じように感じている人は多いようです。東京の行政を無視するというわけではないですし、今日は選挙にも行きましたが、新しい形でコミュニティ・地域作りが、社会作りが、あるいは新しい民主主義の形が生まれていっているような気がします。そんな動きを端的に表しているイベント、“市民ひろば”が昨日と今日、日比谷公園で行われました。

以下、市民ひろばのホームページより転載~

日本の未来へ集まる、市民のチカラ、社会のチカラ自然エネルギーと共に、本当の復興へ、参加型民主主義へ
3・11東日本大震災を経て、市民社会は大きく成長しています。
エネルギーシフトと自然エネルギーの普及へ市民、NGO、NPOのチカラと、政府、行政、メディア、企業など社会のチカラが出会い参加型民主主義への可能性を広げ、日本と東北の本当の復興へ新しい持続可能な社会へのビジョンを共有する場づくりです。

以上。

始まりが震災だったのは悲しいことかもしれませんが、それ以降の日々の中で、これほどかというくらいに人々ひとりひとりが力を発揮して、連帯しあい、助け合い、新しい東北を自分たちの力で作っていっていることは、まぎれもない事実。私も国や政治を超えて、政治でもない国でもないその土地の人々が地域そのものを再生していく姿を目の当たりにして、新しい民主主義の形をみる思いがします。
私がボランティアで関わった宮城県牡鹿半島の蛤浜再生プロジェクトからも出展され、その発起人である亀山先生(先週末石巻で一緒にしこたま酒を飲んでガッツリ話をしてくれた方です。)もいらっしゃってお話をうかがうことができました。ボランティアで一緒だった同窓生とも会えました。もう会えるだけで嬉しい、というかもうこういう繋がりが、自然発生的にできているのが素晴らしいと思います。
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亀山先生、鈴亀姉妹としてアーティスト・ユニットを組む亀山先生の妹さんと、鈴木姉妹、それにボランティア仲間の茂木先生とカミサンと。蛤浜再生プロジェクトのブースにて。
会えて良かった!
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鈴亀姉妹の鈴の方のkimiさんがこの日のために、この蛤浜再生プロジェクトのブースのために描いた絵。可愛いですね。
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これも可愛いものが一杯。
すずかめ姉妹のボードの“handmade”の文字は小枝や松ぼっくりでできてるんですよ。kimiさんが、いい歳して“この枝は違う、とか言いながら小枝拾ってて怪しまれた、”とかおっしゃってましたが、ホント、ナチュラルで可愛い文字ボードですね。
写真にもありますが、亀山先生の妹さんはもちろんのこと、鈴木姉妹も石巻の方です。

蛤浜再生プロジェクトと再三書いてますが、いったいなんのことなのか説明しないといけないですね。下手な記事で申し訳ありません。
まず私とカミサンが行ったボランティアの様子をバックナンバーからご覧ください。蛤浜再生プロジェクトの一環として10月位に泥カキなどをしてきました。その時の模様はコチラです。蛤浜の説明も簡単ですが入っています。

この蛤浜再生プロジェクトの発起人である亀山先生のお話を聴く。
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震災前の美しい蛤浜の映像や人々の生活ぶりの映像を見せてもらったり、あるいは震災直後の壮絶な蛤浜の映像を見たり、そして、その後多くの人々の力で生まれ変わっていく蛤浜の映像を見せてもらいました。
亀山先生もおっしゃっていた通り、蛤浜は震災をひとつの切っ掛けとして再生への新しい道のりを歩き始めましたが、このような過疎化の進んだ、限界集落、超限界集落に関する普遍的な問題が私たちに突きつけられている状況だと思います。
国は被災した蛤浜に、漁業の方面で援助してくれるものの、9軒あった世帯が震災後の津波で3軒になった蛤浜では、もう漁業だけで集落を維持していくのが難しいそうです。
そのためにカフェを作ったり、キャンプ場を作ったり、海ではカヌーやシー・カヤックのマリン・スポーツを楽しんでもらったり、アイデアを出して、浜(牡鹿半島では漁村のこと)の維持と再生を考えているところです。私も新しい蛤浜が生まれていくのに、できるだけ力になりたい、と思っています。
もっとも先ほど書いたように、私はたまたま蛤浜と出会い、少しでも関わりをもつことができたし、その縁を大切に今後も関わっていけたら、と思いますが、同じような限界集落、超限界集落は日本中たくさんあります。極端な過疎化、集落が限界を超えてしまうこと、その影響についても、もっともっと考えていかないといけない、勉強しないといけないな、と思います。人口の10分の1が住む東京の人々だって、こういった浜でとれた魚などを食べてきて生きていけているのも事実なのだし、私たち東京の人間にとっても決して無縁ではない話だと思います。
このお話の時には鈴亀姉妹にもお話いただきました。
その中で絵本の朗読もありました。タイトルは“さんぼりんご”です。
とても可愛い話で、そもそも“さんぼりんご”とは、保育士をやっていらっしゃる鈴亀姉妹が、子供たちに、
“さんぽにいこう!”
と言ったら、子供が、
“さんぼりんご、って何?”
と聞き違えて答えて、その可愛い聞き違いに思わず笑いをもらってしまったことが切っ掛けとか。子供たちの笑顔が、震災のあと、鈴亀姉妹に元気をくれたそうです。それで、明るい、かわいい本にしたくて生まれたのがこの絵本です。
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2012もだいぶ更けてきましたが、最後までこんな素敵なものをありがとう、と思います。
そして亀山先生、鈴亀姉妹、来年もカフェができたら是非行かせてください。もちろん泥カキなど、必要なことがあったらまた力になりたいと思います。
最後に仙台放送が追跡した亀山先生と鈴亀姉妹の動画を貼っておきます。私の拙い説明では伝わりきらない蛤浜再生プロジェクトのことなど、被災地の雰囲気も含めてわかりやすいことと思います。



亀山先生、女川・石巻の友人たち、
もろもろ、
来年もよろしくお願いします!!!!!
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by kento_ogiwara | 2012-12-16 18:32 | BLOG;社会福祉士として | Comments(0)

2年目の東北;女川・石巻を訪れて vol.7

先週末、今年3度目、今年最後の被災地の旅をしてきました。

今回はボランティア仲間との同窓会を石巻で、というかなりユルい感じで、特に作業はしていません。
それでも今回も被災者の方から貴重な話を聴けたり、あるいは夜は石巻や女川在住の被災者、支援のNPO法人のスタッフたち、そしてもちろんボランティア仲間としこたま酒を飲んで、親睦を深めてきました。
被災者、と書きましたが、より今の感触でいうと、復興の担い手の方々、と言ったほうがいいかな、と思います。

震災から2年目の東北入りでした。
去年は凄まじい苦痛にこちらも耐えながら、カミサンが避難民を受け入れていた調布の味の素スタジアムでボランティア活動をしていたのでその間の生活を支えるべく、仕事を歯を食いしばって頑張っていました。震災は少なくとも直後は東京に住む私たちにもダメージを与えたし、気持ち的にダメージを受けた、という意味では私もまた被災者だったのかもしれない。
ただイライラしながら、気になりながら、それでも仕事に頑張ることしかできなくて、すっと東北に直に関わることができないでいた。むしろカミサンたちが、時に楽しく、ボランティア活動などをしている様子が、疎ましく感じられた。

2年目、震災直後から決めていた2年目、ボランティアが激減するだろう踏んでいた2年目に初めて東北の地を踏んだ。
女川の我歴ストックという音楽フェスティヴァルの会場設営などのボランティア・ツアーだった。私は及び腰だった。どう振舞ったらいいかわからなかった。若干引っ込み思案で参加した最初のボランティア・ツアーだった。
作業を終えて翌日の我歴ストックの日、会場を回った。
被災者の方の話も聴いた。そもそもNPOスタッフから、被災の詳しい状況についての丁寧な説明ももらっていた。女川でも、石巻でも。
そして自分の足で女川のさら地となった海岸沿いを歩いた。19mの津波は私の想像を超えた。正直、東京に帰ってきて電車に乗るとき、ふと改めて被害の甚大さ、恐ろしいことが起こったことを目の当たりにして、心がキツくなった。ボランティアで一緒だった仲間に連絡して、辛さを分かち合った。そうして繋がりの中で自分を救った。
それくらい呆然とさせた女川での一人歩き、我歴ストックの会場に戻ると音楽がなっていた。アコースティック・ギターとジャンベと歌によるシンプルで力強くて美しい音楽だった。周りの女川の山々、女川の自然はきれいだった。しばらく熱中してその歌を聴いていた。
とあるところで歌手が歌った。

“曲がるべき角でぼくらは出会った
  長い旅路を共にするため”

その時、“そうだったんだ”、と全てが腑に落ちた。そして泣いた。ビデオカメラは回していたけどロクに撮影なんてできないほど泣いた。

その後、ボランティア間、NPOスタッフ、そして今回のような機会で、被災当事者とも繋がりは広がっていった。
初めの我歴ストックを主催する女川福幸丸の若いみんなからしてそうだったけれど、被災者、あるいは復興の担い手である石巻・女川の人々のすっきりとして無駄のない人柄から、私はいつも元気をもらった。去年の漢字に決まったという“絆”という言葉の意味はよくわからなかったけれど、自然と人々の繋がりの中に入っていけた、もしくは繋がりが生まれていった。

現地を見ないと何もわからない。
テレビの報道と直接現地に行くのは違う。
もっとも今では被災地の様子させテレビでやっているのか疑わしいが。

現地を見ないとわからない、と書いたが、もう一つ、
現地に行って初めて自分の言葉で今回のことが語れる。これからの長い復興あるいは興興というべきか、あるいは新しい女川が、石巻が生まれていくに当たって、ようやく自分の言葉で語り、長い旅路を共にするための下地が作れたのはとても良かった。
今年は仕事でもプライベートでも何かとターニング・ポイントだったように思うが、その激動の中でも、東北との出会いは私にとって最も幸運なものとなった。
このまま自分の言葉を持たず、いち早く関わったカミサンのことを疎ましく感じたように、東北の被害について知ろうともしないでアレルギーをもって、気持ちの整理などできやしないのに、頭と心の片隅に追いやったままにしておいては自分自身を傷つけ続ける数年をこれから、このこれからも何年もかかる復興までの歳月を送っていたかと思うとゾッとする。
この文章を読んで、私を疎ましく感じる人も多いと思う。
でももし、そう思うのなら、私が言いたいのは、いつ行っても遅くはないから、あなたにも被災地を訪れて欲しい。旅路は長く、復興までの道のりは遠い。東北に向かうボランティアたちを私を含めて疎んじる気持ちがあるということは、あなたの中にも何か引っ掛かりがあるということ。きっと東北はあなたを温かく迎えて、受け容れてくれることと思います。

先週末は素晴らしかった。
もちろん語り部の方から、壮絶な話を聴いたり、辛い思いを打ち明けられるのを聴いたり、楽しいばかりのツアーではなかった。でもそれ以上に今を生きる石巻・女川の、いつものようにすっきりとして無駄のない、接していてこちらが元気になるような人々と触れ合って、私もまた元気になった。そして今を生きる石巻・女川の人々の仕事に対する情熱や、未来にかけてのポジティヴでエネルギッシュな言動に触れて改めて希望を抱かせてくれた。

日曜日に東京に帰ってきて、金曜日、また大きな地震が起こった。マグニチュード7超え、三陸沖、津波も発生した。私は動揺し、もう神様なんていない!とか、あんまりだ!とか思った。去年の巨大地震の爪痕を見た目だったし、もう津波なんて考えたくもなかった。それでも苦しい思いでテレビをつけて東北の情報を見て、さらにパソコンを開けて石巻の友人たちの消息を探した。ほどなく無事、という連絡が続き、安心した。もちろん寒かったろうし、避難も大変なことだと思うが、それ以上に石巻の友人たちの落ち着きぶりに感銘を受けた。もちろん私は例によって自分の肝の小ささを見るようで恥ずかしかった。そしてまたここでも石巻の頼もしい復興の担い手たちに元気をもらってしまった。凄いなあ~・・・、と。

そういう素晴らしい人々と、先週末も出会えて、ゆっくり話せて、沢山フランクに一緒に酒が飲めたこと、そうして繋がりがどんどん深まっていったこと、そして石巻や女川を訪れる度に、ホントに美味しいものに巡り合って、いつもお腹いっぱいで帰ってくること、全てがかけがえがないこと。もちろん最初は1人で行った女川・石巻も、2回目、3回目はカミサンと行けたのもホントに良かった。
みんなと。
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そして、

旅路は長い。
この繋がりを大切にして、来年も、その翌年も、東北がさらに美しい姿で生まれ変わっていくのを見届けていきたいし、その近くに身を置いていたい。
とりあえずは来年の我歴ストックかな。
石巻・女川のみなさんに、心からよいお年を、及び来年もよろしくお願いします。

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石巻、渡波地区の“わたほい”にて。
こののりを私たちのために朝一でとってきて用意して下さったのり漁師の相澤さんと。相澤さんから、震災の時、及びその後の壮絶なお話、のり漁師としてののりに対する情熱の話を聴きました。お話を聴いたあとはみんなで相澤さんの新のりをパクッ!のりのそれまでの既成概念を覆す旨さだった!!!
ホントにうまいのりはメインになれる位美味しいんです!!!実際のり汁というのりの汁があるのですが、これは石巻の人々でも滅多に食べれない贅沢品とか。私たちもちゃっかり頂いちゃいましたがホントに美味しかった!!!
相澤さん、本当にありがとうございます!
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by kento_ogiwara | 2012-12-09 22:43 | BLOG;社会福祉士として | Comments(0)

ソーシャル・ファーム~授産施設の今とこれから

職場の研修で、私の現場ともゆかりの深い授産施設の代表の方からお話を伺い、その刺激的さにしばらく眠っていた私の社会福祉士としてのアタマも呼び起こされて、思わずペンをとってメモしまくって話を聴いてきました。かなり興味をそそられる話だと思うので久しぶりに知的障害者を取り巻く世界について書いてみたいと思います。

まず授産施設とはなんなのか説明しないといけないですね。
授産施設とは、平たく言えば、作業所、知的・精神などで一般就労が難しい人々のために、比較的取り組みやすい仕事・作業などを提供し、工賃として安いお金ですがその施設の利用者に払う、というものです。もちろん工賃はとても安いため、それで生活していくのは不可能ですが、そうすることで障害者たちにとっての生き甲斐になっていたりします。

私の勤める施設は、まとまった作業量を確保できるほどには障害の程度が軽くない利用者なので、作業は行いますが、と同時に食事・排泄などの介護も常時行う、最近の言葉でいう、生活介護の施設になります。正直なところ、可能性がないとは言いませんが(授産施設にも色々なところがあると思うので)、今私が一緒に過ごしている重度知的障害者で、授産施設でまとまった作業をすることが可能な利用者はいないかな、と思います。

さて、そんな授産施設の方のお話、アンテナに引っ掛かったのは、新しく“ソーシャル・ファーム”という概念に触れたときです。今ヨーロッパで行われている考え方、働き方らしいのですが、これが今日お話をうかがった方の授産施設の目指しているところなのだそうです。
ソーシャル・ファームとは、例えば10人の従業員がいる職場があるとして、うち6~7人は健常者、3~4人は障害者、という風に、いわゆる健常者もいわゆる障害者も混ざって一緒のチームを作って働く、ということです。その中で得手不得手の役割分担もできるし、健常者が障害者が困っていることをサポートすることもできる。そこではすでに職場が成立しており、つまり障害者にとっても健常者にとっても就労が成り立っている、という状態です。
そこではやれ福祉就労だ、一般就労だ、やれ障害者も一般就労を目指せ、みたいな最近の空気とは異なった開放感があります。目からウロコが落ちる思いでした。

現在の障害者自立支援法は、とにかく障害者たちを、一般就労へ結びつけよう、あるいは障害者福祉における国の負担を減らそう、という意思が明確ですが、実際、授産施設、自立支援法における就労継続支援施設に来て、一般就労にたどり着いても、そこで潰れてしまう障害者が多いそうです。それはそうですよね。今のこの国で、一般の企業に障害者たちを受け入れる体力も知識も、必要とされる配慮や意識も備わっているとは思えません。それが証拠に障害者雇用促進法で規定されている301人以上の企業に課せられる障害者の雇用義務を満たして障害者を雇うより、罰則の納付金をせっせと払っていくほうが企業にとってはリスクも少ないし、コストも残念ながら安いんです。なんの実効性もない法律、罰則規定なんです。

話が逸れましたが、民間の一般就労のこの雰囲気から言って、国がいくら授産施設をあの手この手で圧迫しても、授産施設のニーズがなくなることはないでしょう。もっとも今は「授産施設」ではなく「就労継続支援B型」と名前が変わりましたが。「就労継続支援B型」と言いましたが、じゃあA型ってなんでしょう?ということになりますね。「就労継続支援A型」とは、最低賃金が保証されている方、と思ってください。当然その分作業の難易度もB型より上がります。B型は最低賃金以下の今なら月1万3000~4000円などが工賃として、先ほど述べたような生きがいとして出ます。

いびつなことに、養護学校など(あ、今は「特別支援学校」か・・・)を出た知的障害者などは、就労継続支援施設に入所する際に、障害の程度に関わらず全員まずA型に入れられるそうです。そこで万が一通所が可能でそれが一般就労に結びついた時は補助金がさらに下りるらしいのですが、大多数のA型にフィットしなかった障害者は一旦A型に入った後、B型に落とされる、という経過をたどらなければならないそうです。不自然な手間ですね。

知的障害者を取り巻く環境とともに、国の政策の雰囲気も分かったことと思います。このまず一般就労ありき、の考え。そんな中でソーシャル・ファームの考え方は、全く別のコンテクストで、障害者が、そして健常者が働くことについてのヒントを与えてくれているように思います。

授産施設も頑張っていて、というか非常にスマートで、実に様々な活動を展開しています。
今日お話をうかがった授産施設の場合では、例えば作業の結果得た収益でJCV(世界の子どもにワクチンを日本委員会)と協同してポリオや3種混合、100日咳、はしかなどのワクチンをミャンマーに届けたり、職員や利用者も(!!!)ミャンマー入りしてワクチンを現地の子供たちに接種してもらったりもしているそうです。実際、ミャンマーを体験した利用者は、帰国してから、まず挨拶をしっかりするようになったり、作業に対しても、自分の作業がワクチン提供という形でミャンマーの子供たちに役立っていることを認識していて、前にも増してやりがいを感じて作業に取り組むようになったとか。

またそういう派手な活動だけでなく、施設の通所者の障害特性、個別性に従って、適材適所で作業を割り振るように工夫しているそうです。例えば、ある障害者に対して作業がしやすいように、機械を手作りで作ってしまったりもしているそうです。障害は言うまでもなく人により様々で重さも違うわけですが、その人その人の固有の障害をそのまま受け容れたままできる作業を、施設側が工夫して考え出しているわけです。障害者福祉の理念にそのまま則った方法ですが、実現させるには相当なスマートさ、創意工夫、および現実的な実務能力など全てが求められます。

もちろん私も、私なりに生活介護というまたちょっと違った形態の現場ですが、日々考えて、工夫して、神経を研ぎ澄ませて過ごしています。言葉を極限まで選んだり、あるいは言葉を発するべきか発さないべきか瞬時に判断したり。しかしそれを差し引いても今の授産施設の人々の苦労と創意工夫の素晴らしさ、スマートさは敬服に値します。ソーシャル・ファームの考えなども含めて、お役人や政治や国に付き合っていくより、こうして新しい方法論・哲学・コンテクストで独自に活動を展開していき、障害者だけでなく、ミャンマーの子供達や、連携している農家など、そしてそれを司る障害者たちみんながハッピーになれる現場を作っていっているのを目の当たりにして、久々に興奮してメモをとるペンが走りまくりました。

余談ですがなぜミャンマーなのかを質問したとこと、JCVの指定でドネーションを行っている国のうちで安全、と言える国が5つあり、中でも最も安全な国、と言われたのがミャンマーだったからだそうです。利用者を連れて行く限り、利用者の安全は絶対です。また長らく続いた軍事政権も終わり、今ミャンマーがホット、ということもあるようです。タイミングが重要ということもあったそうです。
なぜワクチンなのか。それは子供たちが病気や障害を持つことを防ぐためです。ミャンマーで、この授産施設の方が、“この国に障害者はいないのか?”と訊くと“nothing.”と答えられたそうです。その意味は、障害を持って生まれてきた子供は、死産扱いになるそうです。悲しい想像をしなければいけませんが、障害を持って生まれてくると、ミャンマーでは受け皿も生きていく術もないのです。
私が去年カンボジアを旅した時も似た話を聴きました。現地の人曰く“この街に障害者はいない。”。

これらの国が今後どういう道を歩んでいくのか、まだわかりませんが、障害者といわれる人々が、生きていることで、そして一緒に過ごしてくれることで、たくさんのもの、ことをもらえることを知っている私たちは、世界中どの国でも障害者が元気に生まれ、育ち、そして私のまわりでそうなように、みんなに力を与え、みんなにとってこの世の光にしてくれる、そんな国になることを願ってやみません。
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by kento_ogiwara | 2012-12-06 20:57 | BLOG;社会福祉士として | Comments(0)

LIVE SCHEDULE

もうすっかり冬ですね。
週末は宮城県の石巻・女川・仙台で過ごしましたが、東京も今日から急にまた冷え込んだとかでなかなかの寒さです。まあもちろん東北ほどではないですが。東北はもう空気が冷たくて、肌に何か冷たいものが直接当たってるみたいな感じでしたし。その分東京はまだ寒い中にも空気の感じがありますね。
石巻や女川でもいつか私のジャズ・ピアノを演奏したい、と夢見ますし、石巻の人々にはそういう願望を私が持っていることを伝えてきました。いつか叶えたいものです。その時のためにも日々研鑽したいと思います。

それに先立って、この冬のライヴ・スケジュールを公開しておきたいと思います。
皆さん、来てくれたら嬉しいです。



12月14日
J Mood
千歳烏山
19:30位から

pf  オギワラケント
ba サノヒデアキ

馴染みの店でしっとりとデュオ形式で。
チャージはミニマム1400円のオーダーすればOKでナシ。



1月3日
OPA
徳山
19:30位から

vo スミダユウコ(でんちゃん)
pf オギワラケント

学生時代からの盟友ボーカリストとデュオで。
こちらも飲み食いしてくれればOKとのこと。
旧友とセッションできることの喜びを噛み締めてピアノを弾きたいと思っています。



1月14日
スタジオフォー
大塚
午後(詳細未定)

成人の日に行われるジャズ・ピアニスト元岡一英門下生による合同リサイタル。
元岡師匠の弟子4人の一人としてピアノ・トリオで40分程演奏します。
チャージなど未定ですが、メシがうまくていいママさんがやっている店だそうです。
ベースとドラムの方はプロの方です。
メシも酒も出るのでまったりしていってくれたら嬉しいです。



2月23日
ナーディス

20:00~YUKARIのベース・ドラムスを伴ったトリオ演奏
21:30~オープン・セッション

ニューヨークで活躍するジャズ・フルーティスト、YUKARI主催のセッションに参加します。
私は21:30からのオープン・セッションでピアノを弾きます。

fl YUKARI
ba 安田幸司
ds 永山洋輔
pf オギワラケント



なんか東京以外でもこんなに演奏するのは初めてかもしれません。
静かに楽しみです。
皆さん是非お誘い合わせの上、おいでになって下さい。

それでは急に寒くなってきましたが風邪などをひかれませんように。
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オマケ;おととい石巻の日和山公園で咲いていた紅葉。
今年は夏から一気に冬になってしまった感じですが、今がけっこう紅葉の見所かも知れませんね。
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by kento_ogiwara | 2012-12-03 21:08 | BLOG;音楽について | Comments(0)