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2年目の東北;女川・石巻を訪れて vol.6

2回目の東北ボランティア・バス・ツアーで女川・石巻を訪れた翌週、こんなイベントがあったんです。ズバリ、
おながわ秋刀魚収穫祭 in 日比谷公園!!!
です。
女川の瓦礫のうち、まず10万tにつき受け入れをした東京都に対するお礼にとして、女川でとれた秋刀魚10万tが無料で振まわれる、というイベントです。
おいしい女川の秋刀魚が、
焼き秋刀魚 5000匹
女川汁   10000杯
10匹パック 3000パック
無料で振舞われる、という大盤振る舞いです。

私もボランティア・バス・ツアーでお世話になっている法人から、秋刀魚の焼き部隊に誘われましたが、翌日の日曜が仕事だったため断念(だって焼き終わったら当然ボランティア仲間と100%とことん飲むでしょう。飲まないで帰るほど私はオトナではない。)、今回は楽しむ方、ということで握り飯持参でたっぷり女川の美味しい秋刀魚を堪能してきました。

ホントはこのイベントにもいろいろな人のいろいろな思いが込もっているのですが、今回の私の投稿では、ただただ楽しかったこの日比谷公園の雰囲気を伝えられれば、と思います。
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結局21万人もの来場者があったというこの日、行列に並んでいると、見えました!秋刀魚を焼く煙がもうもうと・・・。
そして!
やってるやってる!!!
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この秋刀魚の列が50mくらいかな、ずっと連なっていて壮観でした。
そして秋刀魚をゲットーッ!
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旨い!!!
女川の人は秋刀魚にしょうゆをかけないのですが、私もしょうゆはかけませんでした。しょうゆをかける必要がない程、新鮮で、生臭さがなく、塩を振るだけで本当に脂が乗っていておいしくコク・旨みもありながら、しつこさや生臭さが全くないんです。むしろしょうゆをかけちゃ勿体ない!という位そのままが美味しいです。
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T-シャツは女川福幸丸のメンバーが企画・運営する音楽フェスティヴァル、我歴ストックの手伝いで7月に女川を訪れた時に買ったもの、タオルは今月の2回目のツアーで泥カキをした蛤浜のタオル、手にもているのは女川のかまぼこ屋さんで震災直後から避難所を回って食料としてかまぼこを届けたり、最近では女川の再生のために多くの人々を従業員として受け入れている高政さんで買ったおいしいわさび塩。
ここには女川の小学生たちの夢が書かれている。
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女川の思い。
我歴ストック、来年もよろしく頼みます、飛べ!!!という女川福幸丸のメンバーの書き込み、さらには子供たちのヒーロー、リアスの戦士イーガーの、いいがあ~?おめだづ、よーっぐ聞け、女川の元気はオイが守る、というような書き込みもありました。
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ふと歩いていると、目を一瞬疑う。
え!?アレ!?えーと・・・、なんで!?
というのもそこにいたのはジャズ研の先輩で素晴らしいピアニストで作曲家のフクシマシュンさんが!!!
なんでも個人でこのイベントのボランティアに申し込んだそう。それで秋刀魚をボランティアで焼いていて、そこに秋刀魚を食べに来た私と鉢合わせた、ってわけ。
ビックリだ!
秋刀魚を焼くフクシマさん。
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もちろん忙しい中お話に応じてくれました。
フクシマさんも私たちとは別口で福島県いわき市にボランティアで行ったそう。
よく一緒に飲んでる時に、東北のことで心を痛めているのは知ってたし、よく話もしたけど、フクシマさんも現地に行ったんだなあ。
私“そっかー。まあ東京でヤキモキしてるより被災地に行っちゃったほうが心のモヤモヤが少し取れるよね。”
フク“うーん、現地のニーズに合ってて役に立ってたらいいんだけどなあ。”
私“オレが行ってるツアーのNPOの人は、ボランティアは参加した時点で成功、とも言ってるよ。”
などなどおしゃべり。
来年の女川・我歴ストックの手伝いのボランティアには一緒に行くことを約束して一緒に記念撮影。
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締めはコレ。
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女川汁ってなんでしょう?
お、何やら巨大なこのような鍋が何箇所かにあるぞ。
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そうです。
女川汁は、つみれ汁なのですが、女川汁のつみれは、や・は・り、秋刀魚のすり身を使っています。コレがまた美味しいんだあ・・・。
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見た目も綺麗でしょ?
ホントに味も綺麗で美味しい!!!

と、麗らかに晴れた秋の日、日比谷公園で女川の美味しいものを満喫したのでした!
美味しかっただけでなく、秋刀魚の焼き部隊だけでなく、お客さんの誘導など、いろいろなところで東北で女川や石巻で活動を共にしたボランティア仲間とも一気にたくさん会えたりして、それも嬉しかった。もちろんいっぱいボランティア仲間と写真も撮りましたが、まあ一応WEBなのでここでは貼るのはなしで。フクシマさんはなんか許してくれそうだからヨシとして(笑)。

本当にこういう形で人々が繋がっていくのがすごく楽しいです。
ボランティア・バス・ツアーも、こういったイベントでも、みんな最後には仲良くなって、楽しいんです。
この日もそんな1日でした。

そして最後になりましたが、女川の皆さん、ありがとうございます!&また行きますね!!!
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by kento_ogiwara | 2012-10-28 18:33 | BLOG;社会福祉士として | Comments(0)

2年目の東北;女川・石巻を訪れて vol.5

7月以来、2回目の石巻・女川へのボランティア・バス・ツアーに行ってきました。
前回の素晴らしい滞在もあったので今回はカミサンも誘って2人で行きました。
行ったのは牡鹿半島にある蛤浜の再生プロジェクトに参加。用水路や排水溝に詰まった泥をスコップで掻き出したり、ゴミを拾ったりしてきました。それ以外にも、その日、朝、捕れた海産物を使って、浜の漁師のお母さんたちによる浜料理調理実習、女川町スタディ・ツアー、夜はまた特産品・秋の味覚をふんだんに使ったバーベキュー、とほとんどグルメ・ツアーというほど美味しいもの三昧でした。
翌日は石巻スタディ・ツアーと、個人的には初めての石巻市街地へ。ここでも楽しい時間を過ごしたり地域の人と語らったり、復興マルシェで音楽を聴いたり、充実した時間を過ごしました。
出会った全ての皆さんに感謝です。
今回は写真レポートの形で報告させていただきます。

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蛤浜。
浜とはここ牡鹿半島ではこうした海沿いの漁業集落のことを指すそうです。震災前は9軒あった家が今は3世帯になったそうです。これからは漁業で浜を維持していくのが難しいため、住居を使ってカフェにしたり、ゲストハウスにしたり、キャンプ場を作ったり、新しい形で浜を再生するために被災者の方や支援NPO、ボランティアなどが中心となって取り組んでいます。ご覧のように綺麗なところです。被災された方もこの浜がやはり好きだ、とおっしゃっていました。

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再生するにも泥かきだー!ゴミ拾いだー!浜に注ぐ用水路が、先月のツアー・メンバーたちがキレイにしたのに、つい最近の台風17号でまた泥が詰まってしまったとのことです。しかし支援メンバーの方も、“自然の力って凄いですね~”、とある意味涼しげな表情。どっしりしてました。そりゃー、スコップで用水路に詰まった泥をスコップで掻き出すべし、掻き出すべし。
でも改めて。震災から1年半以上経っても、まだこうやって泥カキをしなければいけないところがあることは、場所によっては復興どころか津波のあと片付けすら終わっていない、つまり復旧も進んでいない、ということを物語っているな、と思います。

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海外の浜に注ぐ用水路の中に詰まった泥をスコップで掻き出していきます。
このように用水路の中に中腰ないししゃがんで入り、腕の力だけでスコップで掻き出していたら、股間の筋肉・背筋・肘のあたりの筋肉といいった普段使っていないところが筋肉痛になりました。約50cmの砂が10m、現地の支援団体の方々の見積では、最初は入り口4mくらいでタイムオーバーかな?と思っていたそうですが、ほぼ開通してしまいました。現地スタッフから、
“おお、マンパワー、すげえ!!!”
と言われたときは嬉しかったです。来た甲斐があったってもんだあ~!
今は津波被害の復旧には重機を使ったものが多くなってはいる段階かもしれないけれど、まだこうやって、人の手でなければできないところ、作業もたくさんあると思います。
あんなせまい用水路、重機ははいれないもんね。

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作業の後は、浜の料理を調理実習。何を作るかはその日獲れたものを使うため未定。講師は浜のお母さんたち、コースト・マザーズ JEENの皆様。さあ、今日は何が捕れたのでしょう?何を作るのでしょう?

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秋鮭です。定置網に3匹かかっていたそうです。朝まで海にいた秋鮭さんです。
秋鮭はメスでした。と、なると当然・・・、イクラです「!JEENのお母さんが最初鮭をさばき、まだ筋子状のイクラを取り出してくれました。ただイクラはそのまま食べてもいわゆるイクラの味はしないそうです。まず熱湯にさらしてイクラたちを覆っている膜をとり、さらに醤油につけて初めていわゆるイクラの味になるそうな。そのまま食べても鶏の卵と同じような味しかしないそうです。
頭やワタや筋子を取った鮭をみんなでワイワイガヤガヤ言いながら3枚に下ろします。ここでカミサン、立候補。そして、できた!!!

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喜ぶカミサン。
そしてさらに浜のお母さんたちのチャキチャキした指導のもと、ボランティア・メンバーたちでワイワイガヤガヤやって作っていき、ふんだんに秋鮭を使ってできた料理はコレだ!!!

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でけた!
左上はたこ飯。しょうゆ漬けしたイクラをガッツリとトッピング。昇天するほどウマイ。
右上は鮭の三平汁。幸せが滲み出るほどウマイ。
手前はさらに鮭とイクラとパン粉とチーズを蒸して簡単かつおいしいミニグラタン。これも美味しかった。
これをみんなでこの蛤浜再生プロジェクトのリーダーである先生の家で、さながら合宿のように食べた。ボリュームすごくあって、実際たこ飯は余った。余ったものは夜のバーベキューに回すということで釜ごと携帯した。
イクラはさすがに痛むのでその場でみんなでおかわりして食べた。
たぶんこのうまさは皆さんの想像する旨さを遥かに超えてくる旨さだと思います。正直私も、こんな旨いとは想像だにしていませんでした。

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午後、女川へ。
アーカイブされる予定の建物の基礎ごと引っこ抜かれて横転したビルディング。7月は歩いて下まで行けたのにこのように水の中にあったので、そのことについて訊くと、満潮だから、とのこと。・・・。地盤沈下で1mくらい地面が下がったこととかあるけど、ホントに海の近さがちょっと怖かったです。
女川に押し寄せた津波は18m。地盤沈下で地面が1m下がっていたことを考えると19m。
女川の津波を免れたかまぼこ屋さんで、震災後色々な避難所を極寒の中、ガソリンも少ない中回って人々にかまぼこを届けた高政さんを訪れたとき、店長の方が当時の映像を流しなからお話をしてくださいました。この19mの津波を、“壁”と表現していました。
このかまぼこの高政さんは女川の復興にかなりのリーダーシップを発揮している様子で、店内でのそのような映像とお話をいただけるほか、女川の雇用を確保するために、積極的に人を受け入れ、従業人の数は震災前よりも多いそうです。
かまぼこの試食もさせてもらって帆立のものなど凄く美味しかったです。あと塩も売っていて、わさびの塩が凄く美味しくて思わず買ってしまいました。

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夜はバーベキュー。
写真の帆立のほかに、女川の旬の秋刀魚が食べきれないほど、石巻のソウルフード・石巻焼きそばと石巻ホルモン、さらには東京で出てくるものが凍った丸い紙切れに思えてくるような本格的な牛タンなど、旬のもの、秋の味覚、ご当地グルメを満喫したのでした。もう今回のツアー、グルメ・ツアー?っていうくらい。
この時間はまたキャンプ・ファイアが焚かれていました。この火を囲んで被災者の方々のお話を伺うことができました。
今回もトリップを通じて色々な被災者の方々の話を伺うことができましたが、もう被災された皆さんの気持ちを思うとホントに言葉が出ないです。とにかく言えるのは、話してくれて本当にありがとうございます。私たちは伺ったお話や思いのことを忘れません、ということです。
翌日行った石巻市街では被災して家族を失ったおばさんが、私たちと話しているときに、“この間もボランティアの人が来てくれて話をしていたら、ようやく涙が出た”、とおっしゃって、やはり涙を見せていました。あの日から、泣くのに1年半以上かかった。それまで泣くことさえできなかったのに、ようやく泣けるようになってきた、というおばさんに、私は別れ際に“またね!”と声をかけてきました。
建物や道路、ハード面ばかりがクローズアップされがちな、“復興”という言葉。
心の面での立ち直りにはもっともっと時間がかかる、と思いました。私たち外部の人間は家族や友人を失ったり、目の前で死んでいく人を助けることができなかった被災者の方々の心を、どうすることもできないかもしれません。でもせっかくこの土地と出会うことができたのだから、長い時間をかけて、ゆっくりと、徐々にでも人々が立ち直っていくのを寄り添って見ていけたら、と思います。
この夜は結局午前零時までボランティア・メンバーやスタッフたちと酒を飲んで楽しみました。すぐに色々な年代の、いろいろなところから来た人たちと友達になれるのがこのボランティア・バス・ツアーのいいところです。遅くまで飲みました。誰かが買った、がんばっぺ!女川!という酒が旨かった。ほとんどボトルを手放さず、手酌でグビグビ飲んでしまいました。しかもものがいいのか、二日酔いなどにも一切ならなかったです。
宮城県は日本酒のおいしいのがたくさんあるらしいですよ。

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翌日、石巻のスタディ・ツアー。
被害が甚大で“壊滅”した、という石巻の門脇(かどのわき)地区。津波の高さは6m。ここら辺一体は何もありません。ところどころにわずかに数えられるくらい家が残っていますが、現在身元不明の方の住居で、個人のもののため、現時点でも取り壊しがされていない、という理由で残っているそうです。
被災者の方にここでも話が聞けて、辛いことを思い出させてしまいましたが、あの日のここでの状況について伺うことができました。写真は門脇地区でも高台近くの方で、高台の上に逃れた人は助かったのですが、その高台の下では火事が起こり、多くの人が火により亡くなられたそうです。高台に逃れた人々も、生きたまま火で焼かれ、助けを求める声を聴き、そしてやがてその声が消えていくのにどうすることもできなかったそうです。
とても辛い話です。
お話をいただいた方も、最初は話はガイドさんからもう聞いたでしょ、と言って、話したくなさそうでしたが、ふと堰を切ったように溢れ出てくる気持ちがどうにもならない、というように話してくれました。ほとばしるかのようでした。思い出すこともましてや話すことも辛いことに違いありませんが、話をしてくれてありがたく思います。私もこうした話を伝えていければ、と思います。
お話をしてくださった方から、ワカメを買いました。試食もさせていただきましたが、ホントに美味しかった!身もしっかりシャキシャキしていて、磯の香りが良かったです。このワカメは葉の先っぽの方ではなく、より芯に近い部分だそうで、そうでないとこのおいしさは出ない、とおっしゃっていました。ホント、私、三陸のワカメ大好きです。

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その後、石巻市街へ。
ここは魚屋さんです。たくさんおしゃべりしました。ここのこのおばちゃんが絵を描いたり音楽をこよなく愛し、フルートやバイオリンを弾くほか、歌も歌うとのこと。しかしそれにしてもおばちゃん自体が芸術でした。まずしゃべりがサイコー。様々なおばちゃんの描いた絵を見せてくれたり、ここは魚屋かよっ!?って感じでした。
で、始まっちゃいました。おばちゃんによるミニ・コンサート・イン・おばちゃんの魚屋。フルートによる演目は“白鳥の湖”です。このあともイタリア語でプッチーニの“蝶々夫人”から一曲お歌をいただいたり、ドイツ語でもいただきました。おばちゃん、まじすげえ。。。おしゃべりも抑揚が面白く、語尾が“・・・である”が多くて独特で面白かった。名刺もらったから魚を注文しようか考えている。

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この日は商店街は子供の街。ホコ天になっています。みんな元気。いっぱい遊んだり、AKBの歌を歌ったりしていました。そして商店街も栄えていて、初めて石巻の市街に来る私はなんだか凄く嬉しかったです。
ほかにも作品とお客さんのインタラクティヴなコミュニケーションが面白いギャラリーがあって面白かったです。、自分の“アイデア”を紙に書く、というスペースがありました。アイデアは実際に言葉に出して言ってみたり、紙に書いたりすることで、もうすでに実現しているのだ、と。何を書いてもいいので、私は、“石巻か女川に移り住んでジャズ・バーを経営する。自分でも時々ピアノを弾く。”と書きました。あとラブレター・コーナーもありました。カミサンも参加。誰かに書き、それを投函すると、誰かからのラブレターが出てくるようになっていて、カミサンも誰かにラブレターを書き、そして誰かからラブレターをもらっていました。
こういう空間を使った表現、ギャラリーって今まであんまり興味なかったけど、ぶっちゃけ面白かったです。ここのギャラリーをやってる方は女川在住とのこと。おもしろいアーティストが女川には多いなあ、と思います。このアーティストの繋がりは海外ともあるそうで、“Field Trip Project”、遠足プロジェクト、という名前がついています。興味がある方は検索して見てください。

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石巻復興マルシェ。10軒近くの商店が軒を連ねていて美味しいものたくさんおいてます。マルシェ、って市場のことらしいですね。ここではカニ汁食ったりソフトクリーム食ったりしました。
そして、ご覧のようにこの復興マルシェには、常設ステージがあるのです!私が行った時にも生演奏中、アコースティック・ギターとパーカッション、ピアニカによるレゲエバンドの素敵な演奏が聴けました。オリジナルの曲の中にボブ・マーリーの“get up, stand up”を挿入したりしていました。力強い演奏でした。いいなあ、羨ましい。こう、土地に根ざしたネイティヴなパワーが出てて。憧れます。
音楽がある町ってホントに素晴らしい。
この復興マルシェのステージには例えばオルガンのKANKAWAさんなども出演予定で、スケジュールを見ると、かなりそうそうたるメンバーが出演しています。私もいつかこの土地で、演奏できるようになりたいなあ。
オマケに写真をもう一枚はろうと思います。
石巻市街地、こどもの街石巻ホコ天での1枚です。

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足元を見れば・・・。
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by kento_ogiwara | 2012-10-18 23:11 | BLOG;社会福祉士として | Comments(0)

海と空の物語

ふと嵐が止んだ。
私はペン先を走らせる。何かを書き留めようとするわけでもなく、何かに駆り立てられているわけでもなく、私はここにいさえもしないのだ。じゃあ何がペン先とインクを生んでいるのだろう。これは興味深いことだが掘り下げるのは億劫なので止めるとしよう。
無音。
ここには誰もいなくて、私はいるのだろうけど、やっぱりここにはいないんだ。完璧な空間だ。人を欲しないというのは素晴らしいことだ。そこでは孤独と私は無縁だ。淋しいという気持ちも生まれない。もっとも私はいないのだからいかなる気持ちも生まれないが。
人を欲さない、欲せないことの苦痛、もっとありていに言えば人が関係性からは逃れられないこと、については古今東西ずべての人たちによって語り尽くされているだろう。それでも敢えて、人を欲さない、というのは掛け替えのないことだ。
私は誰も欲していない。
もう解放されたのだ。
自由なのだ。
嵐の中を駆け抜けて、私はここまでやってきた。
私だけの場所。
地球が生まれるより、宇宙が始まる前より、ずっと昔からあった場所。全ての以前からあり、これからも、地球が滅びても、宇宙がなくなっても、全ての以後にもあり続ける場所。もっともそれ以前とそれ以後に違いがあるとも思えないが。
ふと『2001年宇宙の旅』のことを思い出した。キッチン、台所から用意した肉料理を白いテーブルに運び、男はナイフとフォークで食べている。私はそれが若い女とその赤ん坊で、窓から日が差し込む中、編みこんだ髪を肩から垂らしながら赤ん坊を抱いている母親の像だ。女は鼻歌を歌っている。その旋律が白いテーブルに乗った肉料理、ナイフとフォークのように不可思議の宇宙の営みの中でほのかな温かみと優しさをもって色付けしている。
天文台の職員が語っていた。宇宙が始まるとともに時が生まれた。宇宙の文字は時と空間を表す。宇宙以前には時はなかったというわけだ。じゃあ宇宙が始まる前、という仮定は容易には成立しないわけだ。もちろんそうなのだろうが、私の空間、ここから言わせえもらえれば肉料理を食べてテーブルについている男も、赤ん坊を抱いて子守唄を唄っている母親は、宇宙のはじまり以前からいて、今も、そして宇宙が終わってもい続けるのだ。そういう所がある。
いや、全てが時間の中で語られることかって?
冗談ではない。そういう話はもうなしにしよう。
私が、いる、と言ったらいるんだ。私がそんな空間が起源以前から未来永劫ずっとある、と言ったらずっとあるんだ。そのことは誰にも否定できない。
そういうものなのだ。

母は老いて、老人になった。母は私が子供の頃は若く、そして私が生まれる前にも母はいて、母は子供だった。母は老いて、老いさらばえた。今では大人になった私のピアノの演奏を、一生懸命聴こうとしても、どうしてもおっつかない。演奏の前にその曲が『波止場に佇み』だと言って、母は目を閉じ、一生懸命耳を傾けて、波止場に佇む風景を思い浮かべようとしているのかもしれない。しかしそれもどうやら限界。おやすみの時間のようだ。
私が悲しいかって?
この話はつまらないかな。
しかし最初に言ったように、母は私が生まれる以前からいて、私の母として私を育てた日々があって、そして老いている今がある。そう考えればそれもいいんじゃないかな。
たくさんの物語の一つ。そこには始まりもなく終わりもない。
あるいはもうあったこともかもしれないし、これから起こることを私は見ているのかもしれない。
海の物語。
ミルトン・ナシメントの歌う『魚たちの奇跡』、宮古島のT-シャツデザイン・ショップ“Papaya”で買った私のT-シャツには2匹の魚が描かれ、対になって円を成し、小さく、“South Island Story”と書いてある。南の島の物語。

どうしてもまたか、という話をしておかなければならない。
母を救うために。
フロイトの3段階のこと、つまりes、自我、超自我。フロイトがesを性欲に限定した茶目っ気については各々好みで語ってもらうとして。このesが生に最も近いところ、そこから自我に目覚め、そしてさらに自我を超えたところで、例えば哲学、倫理、あるいは社会的規範などの知の領域がある。そして皮肉なことに、この超自我が最も死に近い彼岸原則と言われている。
私は一方向に向かって歩いているのか?そんなわけはないし、そんなことあってはならない。それまでの人生、経験してきたこと、それを積み重ねてても重みに耐えられないのなら、全てを捨ててしまえばいい。プロセスが大切と言われるけれど、別に私たちは何かのために生まれてきたのではない。私たちはそこにいて、あそこにもいて、ここにもいて、そこらじゅうにいる。子供の頃の母、ジャズ・バーの席で目を閉じ、寝ているのかピアノを聴いているのかわからない老いた母、それは過去にもいてこれからも居続ける母の像。
母は永遠に若く、永遠に子供で、永遠に老人。
そのどれもが同時に真実で、そこには過去も、今も、未来もない。あるいはそのどれもが過去であり、現在し、そして同時に未来にも在ることなのだ。
だから母も、そして私たちみんな、案ずることはない。
時が一方向に流れることなんてありはしないのだから。
母は昔からいて、その時は子供で、これからさらに老いていき、そして私を産んで、私を育てた。そのどれもが真実で、過去を生き、今を生き、未来を生き、そして時をこえて生き続ける。始まりもなく、終わりもないときの中を。
どこででも。

眠りにつく前に。
静けさ。
エアコンの音と、バスルームの換気扇、そして時計の音だけがする。
あの頃に戻りたいと思うか、って?
全てが完璧だったあの頃。
疑いも憂うつもなく、全てが喜びと楽しさと少しの悲しみによってのみ成り立っていた。
子供だった。
ヴィム・ヴェンダースが『ベルリン、天使の詩』を物語るとき、書き出しはいつもこうだった。
“子供が子供だったとき、・・・”
そうやって今では記憶に薄らいだ、あの頃に感じたこと、思ったこと、見たこと、聞いたこと、驚き、お願いごと、そんなことを一つ一つ思い出してみるのは楽しい作業だ。
変な話、生まれる前の記憶、ってありますか?おかしなことを訊くものだ、と思われるかもしれないけれど、私はその記憶たちを追想する。
子供だった頃、その絵を描いた。
ススキのような草の広がるどこまでも続く平原、遠くには深緑色の低い山々が稜線を描きながら見えた。空は曇り空で灰色に覆われ、太陽が白い斑点のように雲のむこうに2つ見えた。平原には人が一人立ってこちらを向いていた。
・・・。
きっととるに足らないんだろうね。まあなんだっていいさ。
そこにあったのは郷愁。
私はまるで胎内にいるかのような恍惚を感じていた。
熱にうだされたように、私は私のいたところにいたんだ。
過去にあったことは今もあり、そしてこれからもあり続ける。記憶は現在し、これからもあり続ける。
私は夢を見る。
記憶は幾度となく想起され、私をあの場所に連れて行く。これからも、未来も。あの場所はかつて私がいたように今もあって、そして当然これからもなくなりはしない。だから過去は過去であることをやめ、記憶は未来を生き、あの場所は今も現在する。
かつても、これからも、ずっと前から、ずっと、私のいたところ。
あの場所。
それが私の記憶。
だから、あの頃に戻りたいか、という問いは、その設問自体が誤りなのかもしれない。
行く、とか、戻る、とかじゃなくて。
私は旅する、時空を越えて。
あの場所を求めて。
何故ならあの場所は今でもあり、これからもあり続けるから。時を越えて、私もある時は若く、ある時は子供で、ある時は老人のように、この場所にいる。そして時々呼び覚まされる、あの場所に。
そこでは肉料理を白いテーブルに乗せて男がナイフとフォークで口にし、髪を編みこんだ母親は赤ん坊を抱いて窓からの日差しを受けながら優しく鼻歌する。そこではススキの平原がどこまでも続き、風が吹くごとにざわざわと音を立てる。南行きの船はどこまでも島伝いに南進を続け、港の市場の食堂で私は弁当に舌鼓を打つ。どこまでも南進し、インドネシアの空港から私は街並みを歩き、どこかで見た光景を見ながら海べりから舟でマングローブの森を抜け、半島をまわり、そして川からまた内陸に入り遡ると、池の真ん中に立つ東屋に到達する。東屋からは再び陸に行くために長い階段を上り、登りきったところで街道沿いの、東屋に続く階段の入口は、信仰心の強い金色を中心としたヒンドゥー的な門が立っている。南進を続け夜のイリアンジャヤの道を恐々と歩き、何軒かの商店を見つける。そうすれば海だ。私は道をぐるっとまわり、森の茂る半島の海沿いのバイパスを車でどこまでも行く。そして内陸に入るとそこは川と絶壁だ。その川は蛇行し、川沿いをどこまでも歩いていく。曲がりきってしまうとみんなが見えなくなってしまう。
私はそのどの場所も知っている。
私の記憶にある風景。
私がいた場所、私がいたあの場所、きっとこれはそのほんの一部分。

これが私のいる場所。
そしてずっと昔からあって、今も、そしてこれからもあり続ける場所。
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by kento_ogiwara | 2012-10-04 02:02 | BLOG;その他 | Comments(2)