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最近作った美味しいもの;ダイジェスト

トマトの串揚げ祭り!!!
約2週間前、私の職場では、時々近くにあるちょっとした畑に知的障害​者である利用者たちと一緒に行って、園芸活動を行ってい​るのですが、先日、あまりにもトマトが大豊作で食べきれ​ないくらいだったので、腐らせるくらいなら・・・、とい​うことで大量にもらってきました。家に持ち帰ってそのト​マトを使って串揚げ祭り!!!テンション上がったし、何​といっても見栄えが綺麗!いつもは畑で生っているトマト​を取って洗ってその場で利用者と一緒に食べたりもしてい​るんですよ。それがまた格別に美味しかったりもしますの​です!!!
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赤や黄色のミニトマトたちを洗ってザルに上げました。
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こんなふうにして竹串に刺していきます。綺麗!
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大量にあるのでどんどん竹に刺して、一気に油で揚げてし​まおうと思います。テンション上がります。
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トマトは素揚げも美味しいけれど、豚肉で巻いてみました​。中にはチーズも入れてみました。仕込みじゃ、仕込みじ​ゃ。
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そして揚げた!大量に仕込んだトマト串をどんどん揚げた​!!!串揚げ祭りだ!!!!!
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豚チーズトマト、トマトの素揚げ、さらにそのまま生でサ​ラダ!色々な食べ方。

先週くらいは、
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女川・石巻ボランティア・バス・ツアー参加者の皆さんや、運営するNPOの方々、現地の被災者も加わっての飲み会で出てきた石巻焼きそば。50人分。
この麺の茶色はソースではなくダシによるもので、コレにウスターソースを好みでかけて食べる。バカウマ!!!
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女川・石巻ボランティア・バス・ツアー参加者の皆さんや、運営するNPOの方々、現地の被災者も加わっての飲み会で、一緒にツアーに参加した高校の先生のくれた横須賀海軍カレー。
開けた瞬間、デッカイ肉がゴロっと出てきて肉もたくさん具だくさん。普段100円ショップのほとんど具なしのレトルトカレーばかり食べている私はビックリ。美味しかった~。先生、ありがとう!!!
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お手製ラーメン。
月曜に角煮を作ったのだが、その煮汁が旨くて、火曜日に角煮の残りを食べて、水曜はその煮汁でラーメンにした。煮汁は角煮の時に出た豚バラからのダシ、水と酒としょうゆ、それに昆布でダシをとって砂糖を加えた味。化学調味料とか使ってないし、とってもヘルシー。結果的にラーメンを素とか使わず1から作った珍しい体験となった。キレイな味だった。しかしこの元となった豚の角煮の写真を撮っていなかったのが悔やまれるな。まずその豚の角煮がものずごく旨くて、このように煮汁も使ってラーメンにしようと思ったわけだからな。できれば始まりの豚の角煮と、〆のこのラーメン、両方の写真が欲しかった。

おもてなし。
先週末は久々に家飲み。料理も頑張っちゃいました。とまあ​言っても難しいものや手の込んだものは一切作ってないけ​ど。でもどれもちょっとした工夫でビックリするくらい美​味しくなる私の鉄板メニューたちです。また飲みましょう​ね~。
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鶏肉のトマト煮。
フライパンにオリーヴ・オイルをしきニンニクを転がせる​。タマネギを炒め、鶏肉のもも肉も加えて炒めて塩コショ​ウする。いい感じになったらトマトのサク切りにしたもの​をブッ込んでヘラで叩き潰す。バジリコ、オレガノ、タイ​ムを加えて気の済むまで煮る。塩コショウで味を整えて完​成。友人の子が“カレー”と言いながら執念深く食べてい​た。きっと旨かったのだろう。
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ジャガイモとキャベツのスープ。
さらに余力があったので作った。ジャガイモ、キャベツ、​みじん切りにしたタマネギ、豚肉をブイヨンで煮て、塩コ​ショウで味を整えるだけ。この料理だけは地中海風ではな​く、ドイツとかオランダにありそうな素朴な味。これもま​たうまし。
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カボチャの煮付け。
ただカボチャを水で煮る。味付けは唯一、バターを溶かし​込む。煮汁と煮崩れ部分が微妙に残っていたが、友​人の子がそれも最後にキレイになるまで食べてくれたので​、片付けがラクだった。ありがとう、友人の子。
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モッツァレラチーズとトマトのサラダ。
モッツァレラチーズとトマトの輪切りを重ね合わせてレタ​スの上に盛り付ける。ドレッシングはオリーヴ・オイルと​酢を割って、塩コショウを加えてぶっかける。バジリコを​振る。うまし。

さらに今日、意味もなくご馳走。
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職場でまた大量にトマトが収穫されて持って帰ってきた。​甘味の強い、フルーツ・トマト、とまでいかないけど、サ​ラダにぴったりのトマトだから、そのまま生で食べた。お​いしい。味付け不要の自然の美味しさ。
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職場のトマトをまたしても肉巻きに。やっぱり豚肉がよく​合う。チーズを挟んで肉を巻き、始め強火で旨味を閉じ込​め、その後火を弱めて中のトマトまでじっくり火を通す。​甘味の強いトマトもそうすることによってコクが出て味が​まとまる。旨い。
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大量に作ったカレー。同僚がジャガイモとタマネギを大量​にくれ、早速カレーにした。佐渡から送られたというジャ​ガイモは、じっくりコトコト煮込んでも型崩れしなくてな​おかつクリーミー。職場で取れたトマトで潰れてしまった​ものを入れて、それがまた良い仕事をしていた。
大量に作り置きをして、なおかつできたらどれもおいしそ​うで、ついつい食べてしまい、何の変哲もない平日にご馳​走になってしまった。コレに昨日作った焼きソバまで冷蔵​庫にある。カレーは向こう3日分位あるし、トマトの肉巻​き・チーズ入りもまだ6本ある。おいしい食い物が豊富に​家に備蓄されている、というのは幸せなことだ。

しかしみんな食材をくれたり、収穫があったりで、ほとんど大したお金を使うことなく、このようにご馳走に毎日のようにありついている。
どうですか?
どれもおいしそうでしょう?
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by kento_ogiwara | 2012-08-15 23:00 | BLOG;その他 | Comments(0)

2年目の東北;女川・石巻を訪れて vol.4

随分とブログで1ヶ月ほど前に訪れた女川・石巻についてのレポートが滞っていました。
本当はここでもう一度記事を書くよりも、ボチボチまた現地に足を運びたいな、と思うのですが、まだ引っ掛かりがあるので、下手な記事になるとは思いますが、しばしお付き合い下さい。

最初に言っておきますが、今回の女川・石巻のレポートにおいて、私はできるだけ、“みんなにこういう意見を持ってもらいたい。”、とか“みんなにもこうしてもらいたい。”、といった文体は避けているつもりです。この記事も、あくまで皆さんに何かの意見を持ってもらいたい、というものではありません。

2年目、東北に行こうと思っていたとき、私は、宮城県に行こうと思っていました。
東日本大震災はもはや原発のことでしかメディアや政治の世界で取り上げられなくなっていて、でも私には今回の震災は、津波のショックが大きく、また自分がそれまでの人生で、原発問題について真面目に向かい合ってこなかったことから、私は原発問題に関して意見したり、アクションしたりすることに及び腰でした。だから黙ってずっと極力節電をする、という原始的な、身体的なアクションを密やかにやっていました。そうすることくらいしか私には自分が納得できる行動というものがとれなかったのです。
さらに今回の震災後、人々の関心やメディアや政治の話題が原発に絞られていくなか、津波による被害は放っておかれ、忘れされていっている、という認識がありました。だから私は広い東北の中でも特に津波の被害が甚大だった宮城県の女川・石巻を選びました。その勘は当たっていて、例えば津波によって生まれた瓦礫のうち、1年4ヶ月経って、片付いたのはまだ全体の14%という数字に当たったりしたことは前の記事にも書いたと思います。

結論から言うと、女川にいた2日間、ボランティアのメンバー、NPOのスタッフ、現地被災者、様々な人と話をしましたが、“原発”という言葉は一度も聞かれませんでした。

抵抗はあるのですが、現地で撮った写真を最小限載せたいと思います。
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建物が津波で倒れ、基礎部分から根こそぎ横転しています。
こういったことは稀なことなので、今後の津波のメカニズムを研究する上でもこのまま保存される予定だそうです。
女川を襲った津波の高さは19メートル。
19メートルって言っても想像つかないですよね。
しかも19メートルの高いものが来た、というよりそれが横幅も持って、立体的に土地を丸呑みにするように来たわけですから想像を絶します。
19メートルってどんな高さでしょう。
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これは津波が来る前に人々が逃げた海辺の高台の病院なのですが、この写真をよく見ると、病院の1階部分が色が違うのがわかるでしょうか?
この少し色が濃いこの高台の病院の1階の天井部分まで波が来たそうです。
だから病院に避難した人はさらに迫り来る波から逃れるため、さらに高台にある神社まで避難したりもしたそうです。
繰り返すようですが、それが一箇所でなくまるで平面全てを飲み込むように、あるいは巨大な19メートルの立体が海外線にかけて全て衝突するように来たわけです。
実際にその土地を自分の足で歩いてみて、戦慄しました。というよりも、自分の足で歩いてその土地に立ってみても、それでも想像を絶するものがありました。
ちょっと想像できなかったです。
瓦礫はある程度は片付いて、女川の数箇所にまとめられて、今は女川の海岸線はこのようになっています。
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海岸線といっても、これは見てのとおり坂道をある程度上ったところなのですが。
このように、かつて家が立っていたところは、基礎部分を残してさら地が広がっています。海辺には先ほど載せた写真のように基礎からひっくり返った建物がもう2つあって、それ以外は何もありません。

今回参加したボランティア・ツアーは女川の若者たちが企画した我歴ストックという音楽フェスティヴァルの会場設営の手伝いでした。我歴ストックの我歴には、瓦礫は我々の歴史だ、との思いから瓦礫を我歴とあててウッドストックに因んでネーミングされています。
よく言われることですが、瓦礫、と一口に言っても、実際はどの瓦礫も全て津波以前は何かの物、道具だったり、家具だったりするわけです。
とても痛ましいのですが、これは石巻の渡波(わたのは)地区での1枚ですが、瓦礫が何かの、誰かの「物」だたことがわかります。
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こういう状況の中でか、前述したように“原発”という言葉が聞かれることは2日間で1日もなかったです。
イロニカルなことに女川にも原発があります。
私が行く前にどこに行くのかと訊かれ、女川だ、と答えると、ああ原発があるところね、と言われました。そこで浅学な私は初めて女川に原発があることを知ったのですが。
原発という言葉が被災者から聞かれなかった。そして被災者や我歴ストックを手掛ける女川福幸丸の若いメンバーだって、家や家族や近親者や友人などを失った中、とてつもない悲しみを乗り越えるか、あるいは乗り越えようとしていて、とにかく私の筆舌では及びもつかない状況から、必死に、そして元気にたくましく復興を目指して頑張っている。そんな中で、私のように外側から来た人間が、“ねえ、ところで君は原発についてどう思ってる?”なんて口が裂けても言えない。というか、私もある程度の感受性は持っているので、あの土地で、あの福幸丸のクルーたちと接していて、そんな言葉、発想は全く出てこなかった。今でもとにかく彼らの力になりたいと思うし、彼らがこれからの女川を決めて、作っていくのであって、私たちはそれを外側から、出来る範囲で支援していきたい、と思うのみだ。

今職場に実習生が来ていて、その子は福島県いわき市出身なのだが、少し話をした。
原発のことばかりで、津波の被害のことが全く報道されない不思議さを彼女も話していた。いわき市も津波による甚大な被害を受けた。映画“フラガール”の舞台でいわきの象徴たるスパリゾートハワイアンズも震災後は建物の損壊で一旦は閉館が決まったんだ。きっとみんなが頑張って、今はもう復活して営業してるけど。
いわきの彼女は実家が農家らしく、風評被害については言わずもがな。彼女自身は、“(放射能を)気にしたほうがいいのかな~、と思ったりもしてたけど、家族はみんな(とれた農作物を)食べてました。”と言っていた。また家族から東京で過ごす娘のためにせっせと取れた野菜を送ってくるのでそれは食べている、と言っていた。

わかっています。
みんな立場が違うし、意見も、感じ方も違う。
だから何度でも繰り返すように、みんなに、これこれこういった意見を持ってもらいたい、とは一切思っていません。
ただ震災の報道が原発に傾きすぎて津波被害や瓦礫の問題がなおざりにされていることに対するジレンマ、また原発報道に伴って広がる風評被害に気仙沼の漁師からいわきの農家まで苦しんでいる、ということに私はなんともやりきれない思いを持っています。それは本音です。
でもこれは私の私見なので、皆さんにも同じように感じてくれ、とは言えないし、また私はいう立場にないとも思っています。

ただこれだけ原発による被害が甚大で、当然、この国に住む人が、原発について考えさせられることも今までになかった。これだけの被害を受けたのだから、ケース・スタディはもちろん、もう一回みんなで考え、みんなで今後の電気について考えていくのがいい、と思います。
これだけの被害を無駄にしないためにも。
私が言えたことではないかも知れませんが、これは私の原発についての呟きです。
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by kento_ogiwara | 2012-08-14 00:32 | BLOG;社会福祉士として | Comments(0)

“重度”障害者との充実したコミュニケーションのために

実に1年強ぶりの社会福祉士として現場の経験から書く記事になります、
それも1年強前に投稿した記事は、介護福祉士の試験制度を取り巻く状況に対する疑問符的な記事でした。私は今回、職場である知的障害者の支援においての記事を書こうと思います。これは実に1年8ヶ月ぶりのことです。それまで何も考えず、何も感じず、何の気づきもなく仕事をしてきたのか、となると、確かにかなり思考停止気味になっていた面もあります。しかしそれでもあそこで過ごすようになってもうゆうに4年半、だからこそじわじわと蓄積されてきたものがあり、やっと今だからこそ呟くようにそれらについて話すこともできると思います。

先日、職場の研修で、私の勤める法人が運営するもうひとつの施設である重症心身障害者施設の話を聴くことができました。
まず私が日々を共にしている知的障害者と、この重症心身障害者の違いについて説明します。
まず、この重症心身障害者、の重症とは、症状が重い、のではなく、知的障害と肢体不自由の重複のことであり、この症状を重複して持っている、ということから重症心身障害者、と呼ばれています。
ただこの施設では知的障害も重く、例えば摂食動作も難しくミキサー食による全介助が必要だったり、発語の全くない方もいたり、寝たきりの方が多数を占めているそうです。
当然、私の勤める施設とは雰囲気も支援員の動き、あるいは活動のプログラムも変わってきます。私の勤める施設も重度の知的障害者の中で過ごすわけですが、体は元気、もう毎日走り回ったり考えたり、まあ、平たく言うと、サッカーをしているような状態に近いです。オシム元サッカー日本代表監督の言う、考えて走る、にまさに近いのかな。それプラス言語的なあるいは非言語的な(最近思うのですが言語的なと非言語的な、は同じようなものだと思うのですが。だってどちらも言語的でしょう?少なくとも動き、というか。私はこれを行為とよんでいるけど。)コミュニケーション、第六感を含めてフル稼働で働かせて動くわけです。サッカーに似ていませんか?

私の勤め先がどれだけ動きの多い空間か少し伝わってくれれば嬉しいです。
コミュニケーションについても言語的であろうが非言語的であろうが、まあその境目もわからないのですがとにかく全く困りません。利用者たちは社会的に言えば重度知的障害者たちですが、もういい加減、みんなとコミュニケーションに困る、ということは全くありません。むしろ一部の健常者との方がコミュニケーションが難しい、と感じることのほうが多くなってしまいました。
そんな中でも、当然利用者にも個人差はあるので特に、重い、人に対してはコミュニケーションが取れないなあ、という感想があったのです。恥ずかしいことなのですが。そういう人はこういう私に対して怒りの鉄拳でも入れてやればいいのでしょうが、それも重いゆえできない。このことが最後にして究極の引っ掛かりになっていました。

そこに先日の重症心身障害者の支援にあたってきた人の話を聴いて、これは新しい・・・、とても重要な見方だ、と思ったことがありました。曰く、
(その人が)重度だから、といった考えを持ってしまうのはどうか?
ということ。
重度、ということである程度説明をつけてしまって支援者側が考えを固めてしまうことの危険性。
確かに、極端な話、私がかつて1ヶ月で逃げ出した高齢者デイ・サービスがあるのだけれど、そこでは、寝たきりの要介護度の高い利用者を、“寝たきり”で、“預かり”とまで職員が言ってしまっていた。そして実際に職員がその方に関わっていったり、体を動かす介助をしたりするところを見ることはできなかった。重いし、寝たきりで、モノも言わないから、ただ“預かり”をしていた。
こういった露骨な施設もさることながら、私たち支援者はみんなこのことを考えていかなくてはならないのではないだろうか。

お話の中で、そういう“重度”の人でも、こちらからの様々働きかけで、色々な反応、新しい行動、考え、意思表現、その他もろもろを見せて、あるいは支援者側に気づかせてくれるようになり、結果的に、移動を含むその方の行動範囲も広がったそうです。

どんなに“重度”であったり、意思の表出が一見見えにくそうな方でも、要は、こちら支援者側の感受性の高さ、相手の様々な意思や行動や行為を察知して受け取る能力などによって、コミュニケーションの豊かさも変わってくる、ということです。
寝たきり、座ったきりで動かない、口もきかない、文句も言わない、だからってその人が何も感じていなくてただ寝てるだけ、座ってるだけ、というわけではないのだ。
主張がないからコミュニケーションが取れない、のではなく、支援者側にその人の主張を察知する能力が欠けているだけなのだ。逆に支援者側にそのもっと“重度”の人の主張や欲求や様々な行為を察知してそれに応えていく能力があれば、コミュニケーションや双方のインタラクティヴな会話がもっと増える、ということだ。

これは新しい考えに触れた、と思った。
そして自分を省みて、自分も、重い人に対して、コミュニケーションの少なさを感じていた、しかもそれを利用者のせいにしていたことに思い当たった。ただ単に私に“重度”の人とコミュニケーションをとっていく能力や感受性が欠けていただけだったのだ。
さっき1ヶ月で逃げ出した寝たきりでモノを言わない高齢者を文字通り“預って”いただけの施設をコケにしたけど、私も似たようなものだったな、と思う。
支援者側のさらなる成長と能力の向上、感受性の豊かさが双方のコミュニケーションを活発化させ、さらには“重度”の人の活動範囲も広げたケースを聴けたことで、私ももう少し頑張って支援員、臨床家として成長していかないとな、とまだまだある伸びしろを見せてくれたいい研修でした。

同じように知的障害者、重症心身障害者、認知症高齢者、あるいは精神病、といった、健常者とはまた少し違った認知世界を生きる人々の支援に当たっている人で私と同じように悩んでいた人が、この記事を読んで、発見があって、より楽しく支援にあたるためにも、より支援者側が考えて成長していこうと思ってくれたら嬉しいです。私ももう少し頑張ってみようという気になりました。
“重度”の人々との支援関係をより楽しく、コミュニケーション豊かでやりがいのあるものに変えていきましょう。そうすることが自分たちはもちろん、利用者が喜ぶことになるのではないでしょうか。
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by kento_ogiwara | 2012-08-06 00:19 | BLOG;社会福祉士として | Comments(0)