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今年の終わりに

もう12月も後半に入り、もう少しで激動の2011年も終わりますね。
今年が私にとってどんな1年だったかは、このブログのバックナンバーを辿っていけば判るというものですが、実際この間自分でもバックナンバーを読み返してみて、改めて今年がタフな年だったかわかるというものでした。
実はこの1年は、本ブログで、社会福祉士として、の投稿が一つもありませんでした。
震災を頂点として、もはや社会福祉士云々ではなく、一人の人間としてが問われる厳しい状況に曝され続けた1年だったのだと思います。

震災に端を発した様々な出来事や外からのダメージ、そんな中での仕事場におけるあまりにもレベルの低い原因によるストレス、そんな中で我を失った私は完全に怒りの感情に支配されて激しく疲労しました。
2月に行ったオランダ・フランスでの旧友訪問、夏の旧友との交流、そして決定的だった秋のカンボジア・シェムリアップとベトナム・ホーチミンでの滞在など、素晴らしいこともありました。特に直近のシェムリアップとサイゴンでの滞在は、久しぶりに自分自身を取り戻す切っ掛けになってくれました。あれで相当救われました。

このタフな1年を私はいい感じで終えることができそうだな、と思っています。
シェムリアップ、サイゴンから続いているある種のリラックス感は、ある意味持続していて、仕事でどんなことがあっても、あるいは私生活でどんなことがあっても、ちょっとイラついたり、熱くなってしまってる時はまず、“肩の力抜こう。”と自分に言い聞かせています。だいたいイラついたり、熱くなったり、怒ってしまいそうな時は肩の力が入ってしまっているので、まずは“あ、肩の力入っちゃってる”と思ったら、肩の力を抜いてみるのです。そこで大抵のことは乗り越えられるようになってきました。肩の力を抜いてリラックスすると当然それで詳細に、厳密に、突き詰めてものを考えることはできなくなるのですがそれでいいのです。あるいはそんなんでは根本的な解決にはならないではないか、という意見もあるかもしれませんが、それでいいのです。それで幾ばくか時間も稼げるし、職場で現実的に降りかかってくる嫌なことなどもやり過ごすことができたり、案外それまで見えてこなかったことが別の見方で見えるようになってきたりもするんです。
自分自身でいること。
それは何よりも重要なことで、かけがえのないことなのだ、と思います。

まあ肩の力を抜いてリラックスして自分自身を大切にするのはいいことだと思います。
社会福祉士としては完全に退化したと思われるかもしれませんが、ある意味今年のシェムリアップ・サイゴン以降、仕事に対する変な割り切りが効くようになってきました。私は時間給で給料を貰っているのですが、そうなればいわば時間の切り売り、9時から17時までの私を体を現場にあずけて、17時を過ぎたらサヨウナラ、後は私の生活を楽しませてもらいます、みたいな。もちろん時間の切り売りですが、その切り売っている時間でさえ、私はちゃんと仕事を楽しめている、のである意味最高の時間の切り売りかも知れません。
少し落ち着いてきたかな。
この半月余りは久々によく晩ご飯も自炊を楽しむようになってきたり、あるいはル・クルーゼですき焼き風に煮込んでいる間にピアノの練習をしたり。

シェムリアップでの最初の夜、私は震災後こんなのなかった、というくらいよく眠りました。カンボジアの空気に解放されて、私はベッドに横につくなりだらしなく口を開けて、全身脱力して、あっという間に眠りこけました。翌朝そのことに気づいて、妻に、“オレ、なんか凄いよく眠った。”と打ち明け、同時にそれまで眠りにつこうとするも、激しく緊張し、上下の歯を固く噛み締めて、噛み殺して、怒りに身をうち震わせながら眠れぬ夜を眠り続けていた日本での生活の異常さに戦慄するものがありました。
今ではよく眠れる。もちろんカンボジアやベトナムから帰ったあとにも、嫌なこともたくさんあったし、心ない仕打ちを受けることもたくさんありました。でも今はそこで真正面から怒りの激情で反撃していたかつてとは違って、うまい距離感をもってそういうことも接しられる、というかやり過ごすことができるようになっているかもしれません。いやーなことがあってもそれも仕事、それにそんな仕事も9時から17時まで、それ以降は私の世界、私の生活があるんだからいいじゃないか、と。
こういう気持ちのラクさを大切にしていきたいと思います。

それにしても今の現場に顔を出すようになって4年近くが経とうとしていますが、4年目に来てこういうカタチで困難が来るとは思ってもみませんでした。
社会福祉士として、とか、正当なところで私はこの1年で成長できたか、というと答えはNOだと思います。ただ、そんなカタチでも、勤め通して、そんな中でも働いていける感触を覚えたのは、道義的に、あるいは社会福祉士に照らせば疑問符ですが、YESだと思います。
来年のことを言うと鬼が笑う、と言いますが、親しい同僚の言うように、ここまで来たらどれだけ同じ事業所で長く勤められるかを追究してみる、というのも一つの考え方かな、と思います。ワークライフ・バランス的には申し分ない環境で働かせてもらってるし、一見社会福祉士としては疑問符とはいえ、実際4年続けたことで、それまで見えなかったような物事の見え方を知ることにもなったし。内容がどうであれ、それは一つの発見だったのではないか、と。幸運なことに頼もしい同僚たち・友人たちもたくさんいるし、そうして私のことを助けてくれているし。本当に私はあの職場で友人に恵まれていると思います。私は職場で全く孤独ではありません。

何はともあれカミサンとも家内安全で落ち着きを取り戻して年を越せそうなのは喜ばしいことです。カミサンも震災後ボランティアや仕事などよく頑張ったと思います。私も仕事を続けるということでそんなカミサンのやっていることに貢献できたのかな、と思います。

今、これを書いている部屋に、今年初めてエアコンで暖房を入れました。おそらく外の気温は0度位。さすがに寒すぎて布団にくるまってるしか出来なくなってきたので震災後初めて暖房を入れました。夏も全くクーラーを入れなかったし、ま、自己満足と言えばそれまでだけど、震災、そしてその中の問題の一部である原発に関する沸騰する議論、私は私の立場からやり方を決め、意見をいったり議論に参戦するのではなく、自分なりのこの問題の対処法として極力節電をした。原発に関しては、今までその恩恵に預かって電気を使い、少年時代に原発問題に初めて触れて、放射性廃棄物の観点などから激しく原発に反対してたのに、その後、いつの間にかそれを忘れ去り、今に至るまでこの問題を放置して何にも考えずに電気を使ってきた自分への贖罪の気持ちも幾ばくかあっての節電だった。思想や哲学は語るものでも発信するものでも宣伝するものでもなく、ただ自分が自分の体と行動で体現するものだ、という私自身の考え方もあって、節電という方法が私には一番明快だった。

とまあ、少し肩の力の入ったことを書いてしまったのでここらへんにします。
来年も肩の力を抜いて、リラックスして、自分自身を大切にして、色々な一つ一つの大切なことを大切にして、うまく年を重ねていければ、と思います。
シェムリアップ・サイゴンからの私からの伝言は、
力まず、捕らぬ狸の皮算用ではなくその時々の心と体の声に耳を澄まして従い、今その時を大切にして、人に優しく、
でしたね。
そんな感じでできるだけ来年も肩の力を抜いていければいいと思います。
まあ、もう限界っ!ってこともあったら、その時はまた飛べばいいさ、シェムリアップやサイゴンみたいなところへ。
同じところにはもう行かない。
どこかへ行くのだ。
初めて行く場所へ。
新しい世界へ。

皆様、良いお年をお過ごし下さい。
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by kento_ogiwara | 2011-12-17 23:39 | BLOG;その他 | Comments(0)

モトオカ師匠の“Ellington's Mood”に寄せたコメント

昨日のモトオカさんレッスンで、私の今年9月完成の新作“Ellington's Mood”についてコメントをもらったので書き記すもの也!
いや、あまりにうれしくてレッスンの録音から師匠のコメントをテープ起こししちゃいましたYO!!!!!
あまり評判がそんなに良くなくて、けっこうガックリ来てたのでこれは嬉しかった!
天にも昇る気持ちです。
今まで一部の人たちから戴いた不評もこれで一発逆転、“Ellington's Mood”は素晴らしい作品だということで気持ち良く今年を締めくくることができそうです。何よりもおそらく私の知る人間の中で最も音楽のことをわかっているモトオカ師匠のコメントは最高に信頼に足る、一番嬉しいものなのです。
やったね。

曰く、

モトオカ師匠(以下、モ)
“面白いね~、コレ(“Ellington's Mood”を指して)も。ヘンな才能あんだろ?なんか聴かせるんだよなあ・・・。構成とかもいいし。なんか、なんか聴かせるものを持ってんだ。なんか、不思議だよなあ・・・。才能だろなあ、やっぱ。”
“いやいや、そんな滅茶苦茶上手いとか、エロール・ガーナーとかみたいとかそういうんじゃなくて、そういうんじゃなくて、音楽を上手い下手別に、こう、生かせるアレがある、才覚が。ヘンなところに組み込まれている、その才覚。そのなんか音楽を生かせる、自分の中で音楽を生かしているんだよね、きっとね。だからね、音楽を生かす、ってゆう、なんかねえ、回路があるんだよ、どっかに。あんまりある人いないけど。上手い下手関係なく。”
“音楽を音楽として生かす回路があるんだよ、ケントには。うーん、それね、凄いよ。これはもうねえ、絶対生かして。”

“まあ自分のオリジナルだから自分がすっと出るのは当たり前だけど・・・”

“出てもイヤミじゃないし、うーん、だから、なんか、すごく、いいものがあるんだよなあ。好きなんだよなあ、オレは。だからねえ、もうちょっと(ピアノが)上手くなればっ!爆笑(←若干笑い過ぎ)”

“そうですね、それをこのピアノでできれば・・・”

“それをなんかジャズ、ってゆうか、そういう、まあ本当言うとオリジナルじゃんねえ(ジャズも)。みたいなカタチで弾けりゃあそれはいい。”

“そうですね、そうなりたいですね。”

ときたもんだ。
ヒャッホー!
ここにおいて私は新作アルバム“Ellington's Mood”の勝利宣言をあげます!!!
“Ellington's Mood”の勝利!!!

そういうわけで皆さん、“Ellington's Mood”は素晴らしい作品なんですよ~、知ってましたぁ~?




P.S.
これは浮かれた投稿ですが、褒められた中にも嘲笑されているように私はピアノは下手です。地道な努力が必要です。具体的にどんな努力が必要か一個前の記事にまとめたので興味がある方は見てください。単純に画面を下にスクロールしても見れます。
昨日のレッスンで上がった課題です。
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by kento_ogiwara | 2011-12-11 21:18 | BLOG;音楽について | Comments(0)

今年最後のレッスン

昨日、師匠の元岡さんのところで受けてきました。
家の前に行ってピンポーン、奥様の声、
“一英~、一英~、いらしたわよ~。”
と。
初めて奥様の顔を見たな。どういう顔だったかもう忘れてしまったけど。
モトオカさんはピアノ部屋に布団を持ち込んで寝ていた。今年は元岡さん、よく来ると寝ていたな。まあピアニストやってると体力的にもハードだろうし、スケジュールも夜とかにもガンガン働かないといけないから大変だよな。
それにしても奥様としては元岡さん含めて子供が3人って感じなのかな、などとよからぬことを考えてしまった。

まず今までのルーティーン練習はどれも継続だな。効果は出てきているがまだまだ過渡的な段階。続けていればもっと良くなる。16分音符も、小指と薬指の練習も。
小指と薬指の練習に関してはまた面白い表現を頂戴したな。指の力ではなく肩からの腕の連動で腕の重みを受け止めるようにして小指でアクセントを出す。その表現を、
“吊り橋が風で揺れている感じ”
“ヘビでもいいから”
“ホースが水の流れの力で動いている感じ”
など。
吊り橋でもヘビでもホースでもいずれにせよその動きの力を小指で受け止める。
今までは4と5の指を鍛えてきたけど、今回さらに3と4の指を鍛える練習も教えてもらった。それも導入するようにと。

でも一番の課題は自分のなかに確かなリズム・パルス・タイムを持つこと。
結局またそこかよ、と言われそうだが、ピアニストとしてやっていくには、もっと言えばソロ・ピアニストとしてやっていくにはそこが絶対必要条件で、避けて通れない。逆にそこさえクリアすればそこさえできればピアニストになれる、と言っても過言ではない。

今までのレッスンでずっとやってきた3連付の意識、昨日のレッスンでモトオカさんの言うところの8分の6拍子(4拍なら当然8分の12拍子)をより確かなものにするための3連付を分解してできる5つのリズム・パターンを教えてもらった。どれもアフリカ起源のリズムらしい。
この5つのリズム・パターンを左右の手で二声でメロディを単音で弾いていく。マイナー7th一発とかでいいのでとにかく簡単なメロディでいいから左右の手で単音で弾いていく。そしてこの5つのリズムによるメロディを自由に行き来できるようになったらかなりのものだ。自分の中の骨子となるリズム・タイム・パルスがより確かなものになる。それも今までの捉え方の3連付、8分の12拍子の捉え方よりもより細かいパルス、確かなビートで。
アフリカ起源のリズム、それがこれから私のリズムの骨子となるのだ。
おおアフリカ、人類の故郷よ、東京でジャズをやる私もアフリカにたどり着いた。
P.S.16分音付もこれが根底にあれば、ジャズの16分、カクテルでない16分音符になる。一応昨日の時点でジャズの16分になっているとは言われたが、このアフリカのさらに細かい厳密なリズムをものにした上での8分の6拍子、8分の12拍子をベースに持っていればさらに16分音付も生きていくるだろう。

そういう訳でまた明日からのルーティーンは、
・ハノン(1番か16番)を7つのキーで腕との連動で。
・16分音付のスケール練習7種類
・16分音付でのⅡ‐Ⅴでのスケール練習を7つのキーで。
・4、5の指を鍛える練習
・3、4の指を鍛える練習
・ハノンの32番~35番(親指をくぐらせる練習で私には絶対必要)
そして
・アフリカの8分の6拍子の5つのリズム・パターンによるメロディ練習
になります。

プラス、これだけリズムの細分化、厳密さ、パルスを細かく感じることの重要性とその効果について教わりながら、モトオカさんの言うには、あとはそういうのを超えてもうここまできちゃったら“歌う”こと。しかも歌うように弾くというだけではなく、実際に声を出して歌うことを勧められた。
リズムを極限まで極めることとと、この、音付とか理屈を超えて“歌う”ことは対極であり、しかも両立することなのだろう。バリー・ハリスさんなんかそんな感じだろ?自分でも歌っちゃう感じ、と言うモトオカさん。

新曲は“Moonlight in Vermont”をアーマッド・ジャマルのアレンジで。
人真似になっちゃうけどそれでもいい、というくらい最高の音楽だ。2月のオランダ・フランスで出会ったアート・テイタム、エロール・ガーナー、アーマッド・ジャマル。エロール・ガーナーから“Misty”は自分でアレンジして昨日聴かせた。アドリブでソロをとる8分の12拍子の部分でのリズムに課題を残したものの、テーマは“豪華!”ということでOKもらった。もちろんエロール・ガーナーのようにはいかないことがわかったこの1年だったけど、トライして、モトオカさんとたくさんエロール・ガーナーについて話した。だからヨーロッパから持ち帰ってきたエロール・ガーナーのいいフィーリングを全く無駄にしたわけではなかった1年とは言えると思う。テイタムは無理として最後に今年の締めくくりにアーマッド・ジャマルだ。

P.S. なんとなくケニー・バロンやブルー・ミッチェルのけれんみのなさ、爽やかさも好きだ、と言うとモトオカさんからハービー・ハンコックの“First Trip”という曲を紹介された。弾いてみたら弾きやすかった。それこそけれんみなく弾けそう。しかしあまりにダサいし、ハービー・ハンコックが好きとは言えないし、帰りに“Speak like a child”買って聞いてみたけどやっぱり死ぬほどつまらなくて、やりたくない。モトオカさんは“タマには友達をびっくりさせてやろうよ、アイツどうしちゃったんだ?アイデンティティが崩壊してんじゃねえのか、って。”と言っていたが、そんなわけでモトオカさんも私がハンコックが嫌いなこと知ってるし、モトオカさんもハンコックについて私の感じてることがわかってるか、あるいは同じように感じている面もあるので、ここはメールでもしてやっぱりあの曲は勘弁してください、とでも言って免れようかな。

だから曲は“Moonlight in Vermont”とできれば歌も歌って“polka dots and moonbeams”16分多めで、だな。あと“Misty”を8分の12拍子のソロつきで。うーん、いいね。

モトオカさんに
“来年あたりにはソロ・ピアニストとしてデビューできますね。”
などという珍妙なコメントも戴いた今年最後のレッスンでした。プロになれるかどうかは別として今後も練習頑張ってベストを尽くしていきたい、と思います。
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by kento_ogiwara | 2011-12-11 20:17 | BLOG;音楽について | Comments(0)