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これからしばらくの練習メニュー

先週土曜日にモトオカ師匠のところにレッスンに行った。
家に帰って思わずFACEBOOKに書き込んだのがこれ。
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レッスンから帰った。師匠に、私のピアノの音はピアノの音じゃな​い、と言われた!さらにもう2年以上ソロ・ピアノのレッスン受け​てて、課題になっていた“Django”を弾いたところ、「ソロ・ピアノになってきた。」と言われたのはいいけど​、ついでに「今まではただ一人で弾いてる、って感じだったけど」​とキッツイお言葉を頂戴した。じゃあ今まで二人で一緒にあーでもない、こーでもない、と言いながら頑張って作り上げてきたこの2年の間にやってきた曲たちは何だったの?​って感じ。師匠、どんどん先鋭化してきて何だか恐い。
タッチも今までのクラシックのレッスンを受けて弾いてきた弾き方​を全否定して新しいタッチの練習をしてるし、レッスン当初から一​貫して取り組んできた3連譜を一旦封印して16分での基礎練を大​幅に入れてきたり、一旦それまでの自分を全て否定して始めないと​いけないことがたくさんあり、かなりシビア。
しかし、オマエの出すピアノの音はピアノの音じゃない、ってすご​いよね。もう練習始めてるけど、腕と連動して重みを指を通して鍵​盤に伝えると、コツッ、と鳴らないとピアノの音とは言えないそう​だ。私が好きな指のハラを使って鍵盤を優しく撫でるような弾き方​はダメで、撫でるように弾くな、と言われた。
好きな弾き方も否定、禁止されて・・・、なんか、中の悪い父親と​息子のような関係に変わってきたな、最近。まだしばらく弟子とし​て付き従うけど。このままいくとどうなるのか自分でもまだまだ見​てみたいし。

もうこの日は反動で家に帰ってローリング・ストーンズやドアーズとか聴いてしまった。
オレは最後のロックエイジであって、JAZZなんてホントはどうでもいいんだ、私はJAZZMANである貴方(モトオカ師匠)とは違うんだよ。音楽のための音楽なんて御免だ、JAZZのために自分は生きているのではない!!!オレにはオレの音楽がある!
とかごちゃごちゃまた考えちゃったりしてね。

しかしそうは言っても現実的に新しい課題を日常的に練習に取り入れていかなきゃ、と思い、この一週間はそのメニューを考えていた。いろいろ考えてばっかりいても自分の場合あんまりいい方向にはいかないし。

まず私の練習時間は朝9時の定時前に職場入りして30分ほどハノンやスケール練習のルーティーンをやり、
昼休みはないのだけれど、その代わり午前と夕方に30分ほどある休憩時間で課題曲を中心に、それプラス時間が余ればできるだけ色々なテンポで色々な拍の曲を弾くようにしている。
練習時間は限られているのである。

師匠はハノンもハ長調だけでなく12キーでやれ、というので、そんな時間はない、と素直に応えると、全曲をやらなくてもその日やりたいと思った曲を順番にでも、あるいは、よく使うもの優先でも別のキーでやるように、と言われた。
ハノンもクラシックでやるように言われている方法ではなく、片手ずつ、小指と薬指が腕や体の重みに耐えられるようにしてその力で音を出すように、という課題を持って。手の形は、手首の位置も上にしたり下にしたりするので、特に下にする時はクラシックで習った“手は卵を軽く握るような”形ではなく、べたっと重みに指で耐えているような形になる。低い位置から指先の鍵盤から指の力で手が持ち上がるように弾くアクセントがジャズには必要なのだと。通常の上からの力による作用のアクセントと、この下から持ち上がる時の反作用によるアクセント、この2種類を会得したいのだと。
これを黒鍵が入ってきても変わらずできるように、という意味での別のキーでハノンをやる、とのこと。小指と薬指を腕との連動の中で腕と体の重みに耐えられるようにして弾けるようにする練習には1番がやりやすく、これをとりあえずよく使うキー、C,F,B♭,E♭,A♭,D♭と反対回ってGの7つのキーでやることにした。はっきり言って相当難しい。できない。新しい黒鍵の世界だ。
でも、できないことをできるようにするのが練習だ、と私は思っているのでこれを繰り返し練習し、できるようになろうと思います。師匠はルーティーンな練習はダメ、と言うけど、できないことをできるようにするためには、繰り返し同じことをルーティーンとして自分に課していかないと、できないことはできるようにならないのである。俺みたいな下手な人はね。

さらに新たに始まった16分音符の練習だが、今まで3連符で弾いていた8種類のスケール練習を、16分に変えてやるように、と。これが2番目。これは全部Cのキーでやるだけでいいそうだ。

さらに少しメロディの研究も兼ねた16分でのⅡーⅤにおけるスケール練習の譜面を貰ったので、それもハノンと同じよく使う7つのキーで。

それプラス、師匠命名“鬼の子退治”。コレはもともと弱い指である小指と薬指を鍛えるために師匠が考案した基礎練習。これを3連符で、先に書いた腕との連動で腕や体の重みを小指と薬指で支えるように手首の位置も高いところから低いところへ、低いところから高いところへ常に移動させながら。手首や腕には力が入らないように。あくまで指だけでその重みを受け止める。
これは強烈な練習だ。
やり過ぎるとまた腱鞘炎なりそうだが、やりながら猛烈に小指や薬指やその脇の手の筋肉が鍛えられているのが体感できる。これが楽に腕からも手首からも力が抜けてなおかつ小指や薬指でしっかり重みを受け止めてリラックスしてひけるようになったら相当パワーアップしそうだ。これはやりがいがある。

と、この4つの練習でちょうど朝の定時前の30分位でできそうで、しばらくこれを頑張ろうと思います。もうすでに仲のよい同僚に、“朝の練習のメニューが変わったね。”と言われた。しめしめ。
まだまだ微調整を加えながら自分なりの効果的なルーティーン練習メニューにしていきたいと思っています。

もっとも不安は、これによりやることができなくなった今までのルーティーン、ハノンの1~20、31~34、3連符のスケール練習から離れることで、自分のピアノにマイナスが出ないか非常に不安です。
もっとも限られた練習時間に対して、練習内容は無限。こういったことは付き物なのかも知れませんが、2年以上続けて、それである程度この2年で上達も見えて、その間自分を支えていたルーティーン練習なので少々離れがたいのですが。
ま、もっと高いところに行く、と思って、この新しい練習のメニューで頑張ってみます。
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by kento_ogiwara | 2011-10-23 22:14 | BLOG;音楽について | Comments(0)

この頃

生活がシンプルだ。
一日24時間でやってることが、
・睡眠
・仕事
・ピアノの練習
・メシ(週2位は焼き鳥屋で生3杯)
・飲み
とかしかやっていない。

何が言いたいかというと、なんかもっと無駄なことして過ごしてもいいんじゃないか、ということであーる。
飲みとか焼き鳥は無駄っていっちゃあ無駄だが、仕事などのストレスを発散するにはまあ必要なことであるし。
まだ地デジにしてなくてテレビも観れないからぼさっとテレビ見たりとかもできないし。まあもともとテレビあんまり見ないけど。でもなんか面白いのやってたらぼさっとテレビ見たりもしたいなあ。
あるいはもともとそういう習慣ないけど雑誌とか読んで夜更かししたりも憧れるなあ。
本読んだりもしてみたい。

ピアノの練習も優雅と言われれば優雅だが、けっこう一生懸命やってしまって、どうもストイックな練習ばかりしている。もちろんそのことはいいし、有意義だし、実際うまくなってるとうれしいし、できなかったことができるようになるとうれしい。しかしそうなるためには頑張らなければならん。なかなか燃料のいることなのであーる。

後は寝てばかり。これも優雅といっちゃあ優雅だが、最近仕事がきつくなってきて、しっかり寝ないと仕事がんばれないのであーる。仕事のための体調管理の一環であーる。

こないだ、夢でかつてドイツに留学してた時世話になった家のハンズという男性と彼のオーバーファルツの家で話している夢を見て、一生懸命ドイツ語で会話してるんだけど、やはり言語というものは現実には忘れていても夢の中では流暢に話せる、なんてうまいことはなく、必死に単語や文法を思い出そうとしてやっぱり思い出せず、ハッとして起きた。
夢の中ではあの頃鮮烈に感じていたふうに、ドイツ語の響きの美しさや、発音する時の気持ちよさ、エスツェットやウムラウトなどのドイツ語の表記のかっこよさとかあの土地の雰囲気とかを感じていた。ハッとして起きてしばらくその残像に浸りながら興奮してしまって、未明のリビングのソファで、よし、福祉もなにもやめてドイツ語やろう!とかまた色々観念放逸誇大妄想して結局寝不足で仕事に行った。

色々考えたな。フライブルクでクラスメイトのスペイン人のオッサンが、自己紹介の時に、“趣味は言語です。”と言っていたのを思い出して、そうだよなあ、言語の勉強って趣味・楽しみでいいんだよなあ、と思った。まだ夢の中のドイツ語の魅力に鮮烈に浸ってる感じも残ってて、いいじゃん、ドイツ語なんてなんの役にも立たないけどアイ・ラヴ・生活の精神でやればいいじゃん、楽しめばいいじゃん、とか考えたり。綺麗じゃん、ドイツ語。あの北方民族特有の口の奥や喉を使ったあの響き。やればいいじゃん。もっと生活を楽しんでいいんじゃないか?と根源から生き方について考えたり。
もっとカジュアルな生活。カジュアルな生き方。

とりあえずピアノはアイ・ラヴ・生活なのかもしれないが、とにかく実際音楽を取り巻くところですでにいくつかの不幸を経験してしまったり、もっと、ステキな趣味ね、と言われるくらいでいいと思うのだが、師匠を始め色々な音楽人、共演者たちに囲まれて生活していると、どうしても真摯であることが自分に求められているように感じてしまう。ストイックな世界だな。もっと楽しくできればいいんだけど。心を軽くして。
未だに音楽との上手な付き合いかたがわからない。
もっとカジュアルなライフスタイル、オシャレな趣味じゃん、ジャズ・ピアノなんて、ってくらいでもいいと思うのだけど。
なんか追われているように感じてしまう。

茨木のり子さんは、自分の感受性くらい・自分で守れ、と言ったけれど。
歳月は人を変えるね。
ドイツ語やドイツの魅力をハタチ前後に感じてたあの瑞々しい感受性はもうないね。こないだ夢の中でハンズと話して久々にあの頃の感じてたように感じたからこそわかる。今から見たらあの頃は熱病にほだされていたかのようで、過敏とも言えるくらい感受性か豊かで、ナイーヴだったかもしれないけど憧れていて、強く憧れるから時にはとんでもないこともできた。今ではとてもじゃできないような。そして世界や、世界で起こっていること全てを肌で感じるように自分の中で自分のものとして感じることができた。

あれから15年以上。

私は別人になった。
夢でむかしを思い出したからわかる。
あんな感覚、もう持つこともできないんだろうな。
もう脳みそを全て取っかえたくらい別人になった。
タフだね。
生きていくってのは。
茨木のり子さんは、時代のせいにするな、と言ったけれど、時代のせいにしたくなったりもする。
生活のせいにするな、とも言っていたけど、生活のせいにしたくなったりもする。

もう自分はスーパー・カーの絵を見て興奮する3歳児でも、ゲームでドラゴンクエストしながら別世界に行っていた小学生でも、音楽と出会ってCDを聴きながら恍惚としていくつもの映像や記憶の世界に心奪われていたロー・ティーンでも、人間の入ったことのない原始の地球の姿を求めてボルネオの森を川をさかのぼってどんどん奥まで旅していた19歳でもないけど、

とりあえず、今月末からカミサンとカンボジアに行ってきます。
ぱさぱさに乾いた感受性に水やりをしに行きます。
人生初のカンボジア。
この世界のまだ見ぬ美しさに、しばし浸りにいってきたいと思います。
楽しみです。
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by kento_ogiwara | 2011-10-08 21:51 | BLOG;その他 | Comments(2)