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再統合のためのヒント

私のもうすぐ完成のアルバム“Ellington's Mood”の中の1曲“If”でボーカルをとってくれたN嬢が、レコーディングの後食事しながら話していた岡本太郎の言葉がひっかかっていた。アレ、どんな言葉だったっけ?とメールして送ってもらった。以下、その岡本太郎の言葉。

よく考えてみてほしい。あれかこれかという場合に、なぜ迷うのか。こうやったら食えないかもしれない、もう一方の道は誰でもが選ぶ、ちゃんと食えることが保証された安全な道だ。それなら迷うことはないはずだ。もし食うことだけを考えるなら。そうじゃないから迷うんだ。危険だ、という道は必ず、自分の行きたい道なのだ。ほんとうはそっちに進みたいんだ。だから、そっちに進むべきだ。ぼくはいつでも、あれかこれかという場合、これは自分にとってマイナスだな、危険だなと思う方を選ぶ事にしている。誰だって人間は弱いし、自分が大事だから、逃げたがる。頭で考えて、いい方を選ぼうなんて思ってたら、何とかかんとか理屈をつけて安全な方に行ってしまうものなのだ。

岡本太郎「自分の中に毒を持て-あなたは“常識人間”を捨てられるか-」より(青春出版)

~危険だ、という道は必ず、自分の行きたい道なのだ。のくだりが一番気になってたんだな。N嬢に感謝のとともに添えた私のメール文を面倒だからそのまま載せる。以下。

ありがとう。なんか気になってて、というか引っ掛かってて。
しばらく前から仕事してて自分の意志はそっちのけで、まあ仕事なんてそんなもんだ、と割り切りの姿勢で完全組織迎合のスタイルでやってみよう、と思ってやってたんだけどちょっと前に破綻、やはり自分は頑固者で自分の意志に忠実にガンガン人ともぶつかって、闘ってやっていかないとダメなんだな、そうやった方がむしろ精神衛生上いいんだな、その方が仕事も長続きするんだな、と思った。

時事的なことを話すときも散々、もう時代は経済、政治なんて経済でしか動いていない、という皆様のさながらコンセンサスのような論調になかなか自分の居場所を見つけられず、しかし最近、やはり自分は自分が時代に合わせるのではなくて、自分が時代を作るくらいのつもりで自分の意志を信じて、また信じてきたものを大切にして生きていこう、と思い、親族のロシア土産の真っ赤なレーニンのTシャツを着て仕事したり。レーニン好きなんだよね。音楽好きで、よく笑う人で、非言語的で、野性的で、古くて、先鋭的で、オシャレで。もちろん共産革命を起こしたい、とかは思わないけど、周りには、今さらレーニンじゃねえよ、今だからこそレーニンだよ、ふはははは、とか言っている。

組織の中での自分、経済優位の世界の中での自分、その他いろいろ探せば置かれている状況(才能ないし、メシ食っていけるようなプロになれないのはもうわかってるけどピアノの鍛錬続けるのか?の自分、とか(爆))、そんな状況に合わせるのではなくて自分の意志の方を大切にしようと思うことが最近多くて。それでNさんが言ってた岡本太郎の迷うのなら、気になるのなら、危険かもしれないけどそっちへ行ってしまった方がいいんだ、的なこの言葉のことが引っ掛かっていたんだよね。

同じようなことを茨木のり子さんが言っていたな、と思ってネットよりコピペ。以下。
 

ぱさぱさに乾いてゆく心を
ひとのせいにはするな
みずから水やりを怠っておいて
*
気難しくなってきたのを
友人のせいにはするな
しなやかさを失ったのはどちらなのか
*
苛立つのを
近親のせいにはするな
なにもかも下手だったのはわたくし
*
初心消えかかるのを
暮らしのせいにはするな
そもそもが ひよわな志にすぎなかった
*
駄目なことの一切を
時代のせいにはするな
わずかに光る尊厳の放棄
*
自分の感受性くらい
自分で守れ
ばかものよ

「自分の感受性くらい」茨木のり子

う~ん、太郎よりコワモテの言葉、語り口だな。はい、先生、ゴメンナサイ!って感じ。
まあ、“時代のせいにするな”のところ、“自分の感受性くらい 自分で守れ ばかものよ”のところが結局引っ掛かってたんだけどね。

岡本太郎が言ってることと微妙にニュアンス違うけれど通じるところもあるのかもね。少なくとも私の中でどこか繋がっていたし。

とにもかくにもありがとう。
明日からまたレーニンのT-シャツ着て仕事頑張ります。
もちろんピアノの練習も相変わらずメトロノーム鳴らしながらなんだかんだ言ってやっていきます。

以上、N嬢へのメールから。

また先日、対人援助の臨床をやって長い人との話から、その上での注意点、というか覚書に近いものも自分でメモしてみた。以下。

私の心は平静にもなれる。どこにも行かず一人で家にいるなら穏やかなものだ。
しかし社会に出れば、より有り体に言えば仕事にいけば、職場には、圧倒的他者、たちがいるのであり、そのなかで過ごさなければならない以上、私も穏やかではいられない。
ましてや自分の意志を持つこと、自分の意志を大切に、意識することの重要性、そうしたほうが仕事も続くしそれが自分のスタイルなのだと再発見した今、この、圧倒的他者、たちとの間に葛藤は避けられない。疲れます。
念のため言っておくが職場の圧倒的他者とは利用者やその家族のことではない。利用者やその家族はクライアントゆえ、たとえ葛藤があってもそれは仕事なのでいくらでも自分の中で割り切りがきく。
問題は同僚だ。もちろん同じような価値観を共有する者、腹を割って話せる同僚たちもいるが、全く理解を超える圧倒的他者もいる。私のストレス、胸の中のつかえやイライラ、疲れは、こういった圧倒的他者や組織の中でのものと自分の価値観や意志との間の葛藤によるものがほとんどなのだろう。ましてや自分を闘う人、として働いていくと改めて気持ちを固めた最近では。
しかも自分の意志や価値観が必ずしも正しいものとも限らない。そこも難しいところだ。うまく日々の業務の中でいいガイダンスが得られたらいいのだけど。
かといって自分の意志や価値観に自分自身で常に疑問符を付けるのみでもなんの気持ちのこもった支援行動にも出られない。圧倒的他者たちに囲まれながらも、うまくそういう人たちと距離をとって図りながら自分の意志や価値観を持って働いていかないと。うまい距離のとり方が大切だ。
自分自身が燃え尽きてしまわないためにも。だって結局は逃げられない。しょうがない。続けていくしかないんだから。少なくとももうしばらくは。

以上。

まあこの私的メモのようなことは殊に対人援助の仕事の世界では多くの人が思っていることかもしれない。しかし改めて自分の立ち位置を再確認できたのは良かった。

+、昨日の記事でも書いたが、映画“奇跡”を観て、私はこの映画を観て、改めて、この世界が持っているもともとの美しさや、この世界が愛おしいものであることを思い出すことができた。この世界が美しいものであること、愛おしいものであることを信じること、そういった信仰は私がかつて持っていた私自身の宗教ではなかったのか。

単なる職場での無味乾燥な状況の変化や震災、その他のあれやこれやで少し自分を見失いそうになっていたけれど、ここに挙げたことなどをヒントに、自分なりに、自分の姿を再統合していければ。もちろんダウンしている間中断していたピアノの練習も再開した。うまく上げ潮に乗せて、いい形で続けていければいい。
そしてこの数ヶ月ですっかり失った自信も少しずつ取り戻せたら何にも勝ることはない。
少しずつね。
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by kento_ogiwara | 2011-06-19 16:16 | BLOG;その他 | Comments(0)

皆さんも時には心の汗を流してみませんか~。

涙は心の汗さ~♪

調布パルコに映画『奇跡』を観に行った。えがった。心の汗かいてきました。

電車の中吊りで広告みて、さま~ずの三村マサカズの(ちなみに私さま~ず好き)、“子供って、大人が思ってるより色々考えてるんだな。オレも自分の子供たちに気を使われているのかな。そう思わせる映画です。”という敷居の低いコメントを見て、普段映画とか観に行くのめんどくさいけど観に行ってもいいかな、と思った。実際敷居の低い映画でリラックスして見れて、なおかつ退屈でも億劫でもなくて、しか~もとあるところで涙がもうダクダクにほおを伝いアゴの裏まで流れるくらい心の汗もかけました。それも全然いやな涙じゃなくて、本当にこの世界が愛おしくてたまらない、というような気持ちのいいソレで、いやホント、いい汗かきました。

よく現代の人たちが幸せの象徴のように語る“家族”の“カタチ”を軽く超越しているところも痛快だった。もちろん家族の幸せを否定しているわけでも、なにか“家族”の“あり方”を強制するわけでもないよ。もっと優しいかたちで、何にも囚われていない“家族”の“愛のカタチ”をさらっと描いてたな。っと、あんま言うとネタばれか。

あと、震災やFUKUSHIMA以後、一部で、あるいは色々な所で“土地を忌み嫌うことのないように”の考えが語られていると思う。私も震災まもなくの投稿で、もうこうなったら死んでもここを離れない、と書いたりもしたし、FUKSHIMAが一人歩きしてそれ以外の東北の被災地が置き去りされることも懸念したし、あるいはFUKUSHIMAへの外国の心ない人々からや、FUKUSHIMAの影響を直接受けていない日本の人々からの悪意ある差別や蔑視、カリカチュア、シニカルなどに接して腹を立ててきてもいた。私自身、批判精神に蓋をすべきでないという考えの持ち主だし、そんなこんなで昨今の日本で私が自分の国である日本という国を誇りにもてることはごくごく稀だし、むしろ、日々の生活の中では“日本的”な物事に嫌悪を覚えることの方が多い。
しかし!
私はこの映画を日本人が撮ったこと、演じたこと、日本の映画であることを誇りに思う!!!
あるいはFUKUSHIMAを悪意を持って嫌う日本国内の部外者、外国の部外者、JAPANを悪意を持って嫌う外国の人々に、この土地を忌み嫌う人にこそ、この映画を観てもらいたい。あるいはFUKUSHIMAを経験した私たちにしかこの映画の素晴らしさはわからないかもしれない。だけど、そんなJAPANという土地を悪意をもって忌み嫌う人たちにこそ観てもらいたい。そして言ってやりたい。
“これこそが俺たち日本人じゃい!!!”
と。

と、土地、FUKUSHIMAというタームで少し書いてしまいましたが、そういったこと抜きにしても素晴らしい映画でエンターテイメント性も最高なので誰にでもお薦めです。
この映画の監督は是枝裕和監督という人で私は過去に『誰も知らない』を見たのですが、アレはもう悲惨な映画でしかもモデルとなった実話が大学時代からしばらくその後も住んでいた西巣鴨界隈でなんというか、いい気持ちはしなかったです。というか、オトナばかりがハバをきかす社会に対する子供たちの告発の映画だったようなのが『誰も知らない』ような気もしますが、この映画もある意味全く同じなのですが、語り口も切り口もまったく違って、観ていて辛くなることはなく、むしろ私のような叔父さんまでもが元気を沢山もらえる映画です。

と、べた褒めに終始しましたが、皆さんも是非ご覧になってください。
本当にこの世界が愛おしいものであることを再発見させてくれる映画です。
本当にお薦めです。
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by kento_ogiwara | 2011-06-18 21:46 | BLOG;その他 | Comments(0)

ヤマ越えた

まったくもって最悪の5月だった。
仕事もプライベートもメチャクチャ、強い緊張状態が続き、ストレスもひどく激しく疲労、おかげで2年ぶりに病欠までしてしまった。熱が38度越え、ノドが激しく腫れ上がり、全身から耐え難い痛み。ふとんに横になっても、どんな体勢になっても体が痛く全く同じ姿勢が保てず、布団の中でもだえまくっては一睡もできず昼夜逆転。ってなことを医者に言うと、
「症状はただのノド風邪なのでがおそらく相当疲労しているため痛みなどが強い出かたをしている」
とのこと。同僚にも、完全に精神的なモノだろう、と言われた。
ストレスや精神的な疲労がまだ風邪というわかりやすい症状になって出てくれたのは良かったが、実際この間、その精神的な面でも危機感を感じることがあり、非常に厳しいものがあった。
ピアノの練習もストップ。もう半月ほどピアノから離れている。体調が悪いと楽器も弾けない、ということがよくわかった。
そうこうしているうちに仕事では1年で最大のヤマである利用者密着の宿泊旅行をどうやら終わり、製作中だった音楽アルバムの録音もどうやら終わり、風邪も峠は越え、精神的な強い緊張状態からも少しずつ解放されて平常心が戻ってきた。もちろんそうやってのたうちまわっている間に、色々な人に迷惑もかけてしまったが、どうかこれから少しずつ還元していくので変わらぬご愛顧を賜りたい、といったところです。

まったくなんでこんなことになっちまったのか。

一つに今年に入ってしばらくたったころから仕事のやり方を少し変えた。より社会人的な割り切りの態度でもって仕事をするようになった。まあそうせざるを得ない逆風があったのも事実だけど。
でもやっぱりそれはムリだったんだと思う。人により仕事の仕方は様々だけど、少なくとも私の場合、この私自身が選んだこの仕事、やっぱり私は私自身の思いを捨て去ってまで仕事をお仕事感覚でしてしまうのは、逆にストレスになることが痛いほどわかった。仕事なんてそんなもんだよ、という意見もあるとは思うが、どうやら前にもこのブログで書いたが、私には、「そんなもん。」は向いていないようだ。自分の本能と己の感性、心の声、そういったものを大切にして、そういったものに忠実に生きるのが、一般的には不器用にして私的には一番器用な生き方なのだ、と再発見。人としてどれだけ誠実になれるか、割り切る前に、挑戦していく。結局そうしてないと叶うものも叶わないし、日々の生活は無味乾燥になり、逆にそれが私にとってはストレスフルなものになる。そして叶うことのない、きらめきのない人生はそれこそ無味乾燥で耐え難いもの。少なくとも一瞬でもいいからそういったきらめきを求める努力をしていくのが私の人生で、最初から割り切ってあがきもしないで何もしないであきらめて日々を送る、というのは私には難しい生き方のようだ。それが私の再発見した社会人としての自分の姿、資質。
どうやら私は闘う人のようだ。
賛否両論あるだろうが仕方ない。自分を保つためにも、そして長くこの現場で離れないで頑張っていくためにもそうするしか私にはないようだ。白けてなんとなく日々を重ねるのは私の性ではない、というかそういう技術は私にはないようだ。そんなことしてると逆に仕事も続かない。そういったことが再発見、社会福祉士流に言うと自己覚知できたのはよかったかな。

震災の及ぼしたストレスも凄まじかったと思う。
私は特に大したことやってないし、そりゃ節電くらいやったけど、別に仕事してただけだ。
ただ近くの避難所にカミサンがボランティアに通いだしたことで私は間接的にせよ私はこの震災の当事者となった。その間生活を支える私と避難民を支える妻、及び家族・友人などのコミュニケーションにおいて使われた精神的エネルギーは尋常なものではなかった。
このような震災、災害のとき、一つになれれば、と思うし、思ったし、これからもそうであれば、と思うけれど、結果は違った。国も、政治も、地域も、家族もみんなバラバラになった。私もたくさんの悪意や、心ない言葉にさらされ、沢山の約束を破られた。今これを書いてても痛い思いがする。とてもつらかったし、今でも正直心が痛む。
上原ひろみさんのこの間のブルーノート公演で彼女が言っていたこと、
「このような時こそ、普段やっていることをやり続けよう。」
という言葉が頭を巡る。
ただ実際はそうはならなかった。というより今回の震災は普段やってることをやり続けるのか難しくなるくらいの、普段の生活に変更をせまるくらいの大災害だった。そして震災が人々の心に与えたストレスもまた計り知れず、人々の心や生活に変更をせまった。東京ででさえ。そしてまだその状況は終わっていない。
しかし上原さんの言うように、「私たちの粘り強さを見せてやる」のはこれから。
ただ、今は何かをするのではなく、ただ少しでも普段の日常を取り戻したい。
心静かなごく平穏な生活の中で少しずつ小さな幸せを感じれればそれこそが一番今欲しいものかもしれない。

音楽アルバムの録音終了。
くしくもこれもこの5月だった。私が演奏するトラックは全て終わっていて、後は友人にボーカルを頼んだりサックスを頼んだりパーカッションを頼んだりフルートを頼んだりして音を加えるだけだった。私は風邪でボロボロだったけれどみんな素晴らしい演奏をしてくれて、どうやらいいアルバムになりそうです。これから1ヶ月くらいマスタリングかけたり、CDジャケットのデザインとかにかかってあとはプレス。7月には皆様にお届けできると思う。
今回のアルバム作りも疲弊したけれど、なんとかなった。そして今回のアルバムは、この様々なことがあった2011年に(ってまだ半分も終わってないけど)、決定的にポジティヴな影響を、私はもちろん周囲にも与えることを確信しています。皆さんも楽しみにしていて下さい。
あとはこの大切なアルバムのために、最後の細かい作業を労を惜しまずして、後悔のない形で完成できれば、2011年はこれだけでも素晴らしい年になるはず。
そう確信しています。
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by kento_ogiwara | 2011-06-04 21:06 | BLOG;その他 | Comments(0)