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東京から~東日本大震災レポートⅤ

本当に余震も続くし、食料品の品薄も続くし、カッコイイこと言いたいところだけれどやっぱりしんどいですね。自分は非常時には案外強い、と思いたいところだけれど、それもどうだか。やはり東京にいたって3月11日から生活が明らかに変わったことは事実なわけで、そしてこれからもしばらくは元には戻らないと思うと、自分の忍耐力にも疑問符がつきます。
いや、大したことやってないけどさ。
ストレスだって地震とは全く無縁な職場でのこととか、くだらないものだったりもするわけで。
テレビやインターネットのニュースはなるべく見ないようにしているけど(新聞はとってない)、それでも目に入ってくるニュースに幻滅させられたり、気分を害されたり、むやみに消耗されたり。
もちろん長丁場だし、私は仕事でもプライベートでも私の役割をこのまま果たしていけばいいのだとも思う。
でも、
なんか疲れました。
正直。
一応弁明するのなら、私がこうやって愚痴りながらもそれほどではないにせよ稼いでることで、カミサンが東北からの避難民のためのボランティアに精を出せている訳で、ということは私も避難民のために間接的に役に立っているのでは、とこじつけたり。節電・食生活を始めとしたあらゆる生活の中での小さなこともやっています。
・・・。
でも福島、あるいはFUKUSHIMA、という言葉はもう1,2週間前からなのかな、完全に一人歩きを始めましたね。いろいろな意味で、いろいろな使われ方で。
一部の心無い外側の(外国とかそういう意味ではないよ。むしろ日に日に日本国内で日本人で今回の震災の外側の人間が沢山いることも悲しいまでにわかってきている今日この頃。)人間による福島、FUKUSHIMA、JAPAN、放射能、被爆者、ヒバクなどへの無知で悪意ある差別、カリカチュア、シニカル、攻撃などのニュースはとにかく私たちを最も疲れさせます。
でも逃れられないのだ。
そして、
私も絶対に逃げない。
そんな奴らのためにも死んでもここを離れないでいてやる。
離れないでいてこます。

P.S. あまりにも震災関連のニュースに疲れた方は、2月の旅行から、パリの名所の様子をレポートしたので見てみてください。下の方に行って、次のページ、をクリックすると見れます。癒されてください。
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by kento_ogiwara | 2011-04-25 00:22 | BLOG;社会福祉士として | Comments(2)

オランダ・フランス旅行回想録~パリの名所

時には楽しいことを振り返り。
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パリに行くことが決まった上で妻に見せたかった光景がコレ。
夜のコンコルド広場から凱旋門を臨むと、シャンゼリゼ通りが車の光で光るのです。シャンゼリゼ通りが一旦下ってまた上るような坂道になっているので、光がちょうど一箇所に集中して、写真みたく、星屑のように無数のヘッドライトやテールライトがぶつかり合ってそれはそれは綺麗なのです。
なにか温かい気持ちにもなりませんか?
昔、パリで世話になったrと一緒に住んでいたころ、深夜番組で、色々な歌をそのまま流しながら世界の色々な綺麗な風景を流すプログラムがあったのですが、そのテレビで初めてこの風景を知りました。それを見ながらすごく感傷的になった覚えがあります(確かその後で、rやオランダで世話になったsたち友人数名でヨーロッパを一緒に周ったような・・・)。だからこの風景は私をある意味初めてパリに連れてこさせた風景。
ミーハーだけどね。
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まあミーハーと言ってしまって、きっとrだったら、またか、と思うのだと思うけれど。
rにも散々言われてきました。私のそういうスタンスはスノッブであること、いいものはいいと素直に認めない傾向が顕著であること、そんなこんなで「みんな大好き」パリ、や「オシャレ」パリに再び来るまで13年の歳月を要したのではないか、と。ヨーロッパを1997年のドイツ・オーストリア留学以来避けて、専らインドネシアなどに東南アジアやパキスタンといったアジア圏などを放浪していた私はホントに面倒くさくて、偏屈で、天邪鬼で、それこそスノッブな人間に映ってただろうな、パリでずっと頑張ってたrには。まあ最もオランダでもsにオギワラくんは(ヨーロッパ、白人などに対して)逆差別的だ、と率直に指摘されたものです。そこらへんの私のヨーロッパに対するメンタリティなどについてもrともsともかなりガッツリ話しました。また私がヨーロッパに入っての会話だったためか今までにないほど充実した会話となりました。
上の写真はノートルダム大聖堂。
ちゃんと一般的に有名なパリの観光スポットも廻ったんですよ。
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そのままセーヌ川南岸に来てカルチェ・ラタン。
15年前rやsとパリに来た時も、ここカルチェ・ラタンで食べたケバブが美味しくって、今回来た時も、カルチェ・ラタンでケバブ、は必ず、と思っていました。
やっぱりおいしかったなあ。妻も久々に食べるアジアの味においしさとともに安心感みたいなのも感じたみたいだったな。
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そのままソルボンヌ大学までいってカフェに入って一休み。妻はおいしいマロンクリームのクレープを食べてたな。私はアメリカン。どうしてもエスプレッソって合わないのよね。飲むなら液体しっかり飲みたい。ともかくそのまま目指すはリュクサンブール公園。15年前の記憶だと、呆れるように美しい純ヨーロッパ的庭園だった。
ところが・・・。
やっぱり2月はそこんとこいくとダメね。花もパンジーがちょこっとあるだけ。噴水もストップ。15年前は色とりどりの花が咲き乱れ、噴水が潤い豊かに流れて、建築物も純ヨーロッパ的で鮮烈だった。
まあそれはそれで、それでもこうやってここで憩うパリジャン、パリジェンヌたちの姿をボケーっと見たりしながら私たちも憩えたので良かったです。サッカーボールを追い回す少年とじいさん、バスケをする少年たち、ベンチにたむろってチュッパチョプスをなめながら不良さながらにだべっているティーンズの女の子たち。ごくごく平穏なパリの一面を見れて良かったです。
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少し歩いてパリ最古の教会、サンジェルマン・デュ・プレ教会へ。
この教会はしんとして、つつましやかにも確かな信仰の匂いの嗅ぎ取れる教会だった。この教会はある意味観光地化されてなくて、地元の人のお祈りの場として、静かにある感じだった。教会の中は人は少なく、数人の地元人が静かにお祈りを捧げ、時に若干の観光客が入るくらいだった。
この教会付近の有名なショッピング通り、サンジェルマン・デュ・プレ大通りはムリだった。ちょっとウィンドウを覗いても私たちには天文学的な金額ばかりで一軒も中に入ってない。ここは私たちとは関係ないね、と妻と話した。
そしてまだ日も出てるし、オランジュリー美術館にでも行こうか、と話してまたメトロに乗ってコンコルドまで出て、チュイルリー公園まで着いたわけです。
ここは行ったことがなかったのですが、ムソルグスキーの『展覧会の絵』の中に“チュイルリーの市場”という曲があってちょっと興味はあったんです。
けっこういい公園ですね。警官か何か知らないけど馬に乗って巡回してる人がいたり、噴水があったり。目当てのオランジュリー美術館もこのチュイルリー公園の一角。
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それで、見ました。
モネの“睡蓮”。
写真も撮れるし、まったりみんなリラックスして楽しんでフロアで過ごしているんで好い所なのではないでしょうか。私も絵心ないなりに、よく見て細かなディテイルとか綺麗だなあ、とか思いました。巨大な作品の中で、どこら辺が好きか妻と話し合ったり。
さらにこの美術館は私がなぜか好きなアンリ・ルソーの絵がたくさんあったり、他にもルノワールや、ピカソの作品もありました。施設としても敷居低くて館員もフレンドリーだし、お薦めかもしれません。立地もコンコルド広場やチュイルリー公園の中ということもあって行きやすいしね。
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そんなこんなで妻と二人で、the パリ的なところを一通り巡り、夜はrの手料理で鴨の肉をご馳走になって、ワインを飲んで、それはそれは楽しい、それこそ、いいものはいい!と幸せになるようなひと時を過ごしたのでした。ホント、私はスノッブで偏屈で天邪鬼だけど、この時の食事は本当に幸せになったなあ。食事ひとつで私みたいな人間でもこんな幸せな、贅沢な気持ちになれるんだなあ、と思います。
ありがとう、r!!!
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オランジュリー美術館を出ると夕焼けをバックにエッフェル塔が、の図。
綺麗ですよね。
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by kento_ogiwara | 2011-04-24 22:59 | BLOG;その他 | Comments(0)

東京から~東日本大震災レポートⅣ

最初の地震から1ヶ月と1日。
そうこうしてるうちに桜が咲き、そして散り始めています。
街道は桜の花びらのひらひら舞い落ちる今日この頃。
桜吹雪とはよく言ったもので本当に淡雪のようです。
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この一ヶ月で変わったことがあります。
ウチはもともと貧乏性で、メインの部屋の電気には蛍光灯が6本ささるようになっていたのですが、そのうち何本か切れても、新しい蛍光灯買う金の惜しさにもともと1本だけさして、薄暗い中で生活していたのですが、それが当たり前になりました。と言うか、節電はかなりやっています。節電の仕方は簡単。必要な時だけ電気を使う、これのみです。まあもちろん、最低限必要な時のみ、です。でもそれで充分です。
春になって温かくなってきたのでエアコン類も一切使わないで済むのもラッキーでしたね。
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あとメシ。
1品モノが多くなりました。
カレー、ラーメン、焼きそば、スパゲティなど。
焼きそばにはキャベツとソーセージを入れればオッケー、パスタもソーセージと鷹の爪でぺペロンチーニなど。
なんでかと言うと、地震の割りとすぐ後、西日本に住む親類が、テレビで東京の品薄とかのニュースでも見たのか、大量にそういった即席めん系の食材を送ってくれてそれを毎日チマチマ消費していること。ソーセージは大量に入ってて安い袋詰めのを買ってそれをチマチマ小出しにして使ってることかな。
私はけっこう食べるのが好きで、生意気なことを言うようですが、何を食べるのかけっこううるさいほうだったのですが、何となく地震のあといい感じにどうでもよくなってきて、そんな感じで簡単調理で激安(というか殆どタダ同然)の食生活を送っています。もちろんお財布にもやさしくてグー。
味的にもおなか的にも気分的にもそういうある意味粗食が全然苦にならなくなってきました。
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そんな感じでかなり生活が変わりました。一言で言うと、必要最低限の電気・ガス・水などしか使わない、メシはそんなこんなであるもので済ませる、といったスタイルです。で、これをやるためには例えばその都度電気のスイッチを消したり、風呂に入るために逐一ガスを点けることから始める、とかメシも簡単とはいえチャッチャッチャと食べたい時にその都度作る、とか、要するに何かやる度にそのための手間を毎回踏むわけですが、そうしたことも苦にならなくなってきました。
でも、よくよく考えれば、それって人間の生活で当たり前のことで、ある意味人間の生活の原点に返ったかのような心地良さ、スリム感、ある種の充実感もあったりします。
今まで電気もガスも水も食い物もあって当たり前だったのが、それが当たり前でなくなったことにより、意外な人間生活の原点回帰ができてる感じです。
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さて1ヶ月経って私に出来ること。
うーん。私の場合は仕事です。
こんな時だから、というかこんな時こそ私は現場を離れることはありえないし、自分を必要としてくれるクライアントのために現場で、まさに一所懸命に働くことが、自分の仕事であることを私はわかっているつもりです。私の現場の地域でも余震は続くし、ライフラインも不安な中、それでも利用者たちには日常があって、そしてその日常も刻一刻と変わっていきます。私の仕事はとにかく利用者のそばにい続けることだ、と思っているし、それが翻っては今、そしてこれからのこの国の立ち直りの力の一部分になっていると信じています。
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殊勝なことに妻は近くの味の素スタジアムに東北から来ている避難民のためのボランティアをやっている。私たちなどよりも直接に被災して住む所さえ失った人々のために走り回っているようだ。話を聞いていると、おおよそボランティアがやる範囲を超えているような大活躍ぶり、仕事の大きさ、責任の大きさのようだが、直に東北の被災者と触れ合うこと、そこで信頼関係を作っていく中で、何か、彼女の中で彼女を突き動かす力が育っているようだ。こちらも刻一刻と事態は変わっていっているし、テレビや新聞、インターネットなどでは知りえない被災の現場の中で、彼女もできるだけのことをして頑張って、できるだけ多くの各個別の被災者たちの力になるように尽力している。
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てな感じです。
まだまだ先は長いのでボチボチやっていきたいと思います。
最近、テレビやマスコミやインターネットを見ていて気になることがあるので一つだけ付け足すのなら、まだこれだけ事態は収束もしなければ日々一刻変わっていき、まだまだ先が見えないのは変わらないのに、何に対してなのだろう、評価や解釈、議論、といったものがあまりにも多くなっていることだ。
はっきり言ってまだそんな段階ではないし、評価や解釈、議論をしていられるほど現場はヒマではない。
そういったことは外側の(「外国」、という意味ではないよ)人間がやっていればよいし、当事者も現場も気にすることもない。
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私の尊敬する中村哲さんの言葉、
理念の問題ではなくて、目の前の事態に対していかに人間らしく振舞うか、の問題、
という言葉は生きている。
似たような言葉を私の好きな映画、『崖の上のポニョ』の中でも宮崎駿さんが主人公の母親リサの口で語っている。宗介とポニョに振舞うためのチキンラーメンを作りながら、リサが言う。
“確かに今は不思議なことがたくさん起きている。でも今はその意味を考えるのではなくて云々~”
ある意味重要な云々~の部分を失念してしまったのだけれど、哲さんの言葉に近い、心にしみることを言っていたような気がする。あの映画の中でも一番印象的なフレーズとしてずっと心に引っ掛かっている。誰かこのブログを見た人で云々~の部分を知っている人がいたら教えて下さいね。
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まあそんな感じです。
また何かあったら東京よりレポートします。
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by kento_ogiwara | 2011-04-12 21:23 | BLOG;社会福祉士として | Comments(0)

オランダ・フランス旅行回想録~ジャズ

さてジャズ好きの私、この旅行でもライヴこそ観なかったもののジャズについてとてもラッキーなことがありました。まあできればライヴも観たかったですが。旅行に出る前はアムステルダムでジャム・セッションに参加できる店もチェックして、あわよくばアムステルダムでピアノも弾いてこようか、とさえ思っていました。

まあそれはそれで諸処の事情により叶わなかった訳ですが、実はオランダ、ジャズが盛んなことで知る人ぞ知る有名な場所。ロッテルダムやデン・ハーグでは毎年のように大きなジャズ・フェスティヴァルがやってて、ハービー・ハンコックやらエリカ・バドゥやら或いはご当地プレイヤーのキャンディ・ダルファーやら有名ジャズ・プレイヤーが当たり前のように出ています。キャンディ・ダルファーはもともと個人的にはピンク・フロイドのネブワースにおけるライヴで吹いていたのを13,4歳の頃見たのが初めて。「サックスってなんてカッコイイんだ!」「しかもすんげー美人!」「カッコイイ!!!」と衝撃を受けたのを覚えています。あの頃彼女は色んなところで吹いていて、デイヴ・スチュアートのライヴでも吹いていたのを見たし、最近彼女はプリンスのとこでも吹いていたなんて話も聴きます。“ジャズじゃないじゃん!”という声も聴こえますが、彼女もサックスを学ぶ課程で例えばベン・ウェブスターみたいなオールド・ジャズを聴いていた、って言うのを当時インタヴューでも答えていたのを覚えています。
実際オランダはジャズが盛んで、キャンディ・ダルファーだけじゃなく、例えばギターのジェシ・ファン・ルーラーなどの新鋭も現代においても生み出しています。人に聞いた話だと、オランダでのジャズは、日本のそれに似ていて、ハード・バップ、ビ・バップを基本とした、強いて言えば“シブい”ものがメインの潮流だといいます。私の大学のジャズ研の後輩でイタリアにサックス持って留学した男がオランダに活動の拠点を移した、という話も聞きましたが、そんなオランダのジャズの潮流も影響してるのかな、と想像したりしました。50年代、60年代のようなジャズをやるなら案外オランダはいい場所なのかもしれないですね。

で、CD!!!
やりました、海外CD屋でCDあさり。
まずはアムステルダムのダム広場からスパイ広場の方角へ行く通りを少し入ったところにあるCD屋、FAMEさん。
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いやすごかった。
ほとばしりました。
何がって品数の良さ。東京なんて目ではありません。マイルスやコルトレーンみたいな人たちのがご丁寧に2,3列分位あるのはまあエライとして、驚いたのは日本ではまず棚そのものがないアーマッド・ジャマルやエロール・ガーナーみたいな人たちの棚もしっかりあって品揃えもかなりいいこと。エロール・ガーナーのソロ・ピアノ・アルバムなんて日本じゃCD屋はもちろん、アマゾンでも見当たらないけどそんなものが置いてて、もうテンション上がってしまいました。このエロール・ガーナーのソロ・ピアノ・アルバムは以降現在に到るまで最もヘヴィー・ローテーション。サイコーの買い物をしました。
いやー、文化なんですかね~。でもいい、最高の文化ですよ。アーマッド・ジャマルやエロール・ガーナーを手軽に聴く文化。逆になんで日本人はここら辺に手をつけず、ハード・バップみたいな面白いんだか退屈なんだかわからないのに我慢して聴く、みたいな方向に走りがちなんでしょうかねえ・・・。(と言いながらもちろん私のCD棚も多くがその手の面白いんだか退屈なんだかわからないハード・バップが多いですが)
でもエロール・ガーナーやアーマッド・ジャマルみたいな音楽はアムステルダムやパリみたいな街にいながら、これはこの土地によく馴染む音楽だなあ、とも思いました。東京は・・・、なんか、・・・あんまり似合わないなあ、ガーナーもジャマルも。ガーナーやジャマルが綺麗に映えるほど大らかな街ではないなあ、・・・という気が・・・、違ってたらごめんなさい。
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パリでもやりました。CDあさり。
ほとばしりました。
場所はセーヌ川を背にしてサン・ミッシェル通りを下ること数分、右手にあるGIBERT JOSEPHさん。
ここでもエロール・ガーナーやアーマッド・ジャマルは素晴らしく置いていましたが、特筆すべきはアート・テイタムのソロ・ピアノ・アルバムが置いていたこと。
アート・テイタムはジャズ界において少なくとも技術的には最も優れたピアニストとして全てのピアニストの羨望を受ける巨人ですが、何故か、日本にはテイタムのアルバム、というか棚がない。あったとしてもそれはあのベン・ウェブスターを迎えての名盤が1枚あるだけ、という状況。それがここパリではテイタムのアルバムがこれでもか、と沢山並んでいる。いわばこのジャズ・ピアニストの旧約聖書とも言えるテイタムのソロ・ピアノ・アルバムを買って、ご満悦。最初はあまりにもテイタムの巧さにばかり耳が行き過ぎてあまりターン・テーブルに乗らなかったのだけれど、だんだん慣れてきて普通にテイタムのピアノが気持ちいい、心地良くなってきて、普通にBGMとしてこちらもかなり聴くようになってきました。

このテイタムのソロ・アルバムについては思い出があって、学生時代、ジャズ研の先輩で現在オルケスタ・デ・ラ・ルスを初め、あらゆる日本のトップ・キューバ音楽ユニットに参加している斎藤タカヤさんが、パリでテイタムのCDをゲットした!ということで部室で聴いていたんだけど、それはテイタムのソロ・マスターピースの確かvol.2(?とにかくall the things you areが入っているヤツ)で、何でもパリでようやく見つけた、と話していたのを覚えている。かくして私もそれから10年以上後、パリで今度はソロ・マスターピースのvol.1をゲットしたというわけだ。もちろん、日本ではアマゾンでもこのシリーズは手に入らない。超貴重だ。

先日そのタカヤさんのピアノ・トリオでのライヴが千歳烏山であって喜び勇んで観に行ったのだけれど、タカヤさん、私のような昔の後輩ともフレンドリーに接してくれて、色々話してくれました。エロール・ガーナーにそんなわけでハマッテいる、というとタカヤさんも“エロール・ガーナーいいよね!!!”とツーカー。さらに当然このパリでしか手に入らないテイタムのCDのことも話して、やはり現地に行かないとCDは手に入らないこと、及びタカヤさんの持っているvol.2と私の持っているvol.1を借り合うことなどを話して、非常にある意味時空ともにスケールがでかい、とも言える話をしたりしました。
斎藤タカヤ・トリオ@J-MOOD on 1st Aprilについてはとにかくしびれました。もともと別次元のピアニストだったけど、いったいどこまで行くのだろう。私も日々努力してるし、元岡一英師匠のレッスンも1年半近く受けて少しは前よりは良くなった、・・・ような気がするが、タカヤさんと私が出会ったころタカヤさんが100で私が1として、今はそれが私が10でタカヤさんは100000になった感じだ。
ま。
何が何であれ、私は私の音楽をうまくピアノで表現できるようになればいいわけであって、もちろんそのための努力は惜しまないのであって、モーチヴェーションが下がる、とかいうことは全くありませんし、しかもタカヤさんの音楽に感動する気持ちが変わることも全くありません。だって私、叫んでましたよ、タカヤさんのライヴで。“YEAH!”じゃなくてもう“ギャーーーーーー!!!!!”ってくらい。いやホント、サイコーの、凄まじく素晴らしいライヴでした。

アーマッド・ジャマル、エロール・ガーナー、アート・テイタム。
素晴らしい音楽。
私がオランダとフランスで手に入れた音楽。
オランダでもフランスでもライヴには行かなかったけれど、その素晴らしいヨーロッパのジャズのエッセンスは存分に吸収してきました。
まだまだしばらくはこの旋風は続きそうです・・・。
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オマケ。J-MOODのトイレの前に貼ってあった紙。
タカヤさんも昨今の色々を込めてライヴの最後にジョン・レノンの“love”を大切そうに弾いていたな。
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by kento_ogiwara | 2011-04-06 21:27 | BLOG;その他 | Comments(0)

オランダ・フランス旅行回想録~モンマルトルの散歩

もうだいぶ前のことになってしまったかのようなオランダ・フランス旅行ですが、時には折りを見てちゃんとそこで得た経験をこうやって形にしていきたいな、と思います。

今日は楽しかったモンマルトルで散歩をした日のことを。

今回のオランダ・旅行ではジャズが盛んな両国ということもあり、音楽的にも何か体験したかったのですが、結論から言うとアムステルダムでもパリでも、ライヴは見ていません。
生演奏を聴いた、というので強いて言えばパリで旧友とモンマルトルの丘を散歩していた時、私は滞在させてくれたお礼にクレープをおごろう、と思って店を物色していたのですが、色んなクレープ屋からピアノの生演奏が聴こえてきました。なかなかのびのび弾いているジャズ・ピアノでした。確か曲は有名なポップスをジャズ風に、といった感じの世界中で見られる典型的なそれだったのですが(この時は“ love me tender”だったかな)、けっこうスウィングしてて、ややオールド・ファッションドな素敵なアレンジでした。

で、私たちが入ったクレープ屋もピアノが置いてありました。
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この写真ではここがクレープ屋なのかわかりにくいので、何枚か写真を貼ります。
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ここでの食事がまた楽しくって、店の番をしていた若い兄ちゃんが、私たちは入れてくれたものの、その後来る客を断る断る。フランス語を話す友人によると、兄ちゃん「クレープない。」と言って客を断っていた。クレープ屋にクレープがないって・・・、ってみんなで大笑いした。
友人は「ホントにクレープないのかなあ。」「あの兄ちゃんホントにクレープ焼けるのかなあ。」など半信半疑だったが、実際客を7,8組断った後、裏で卵と粉をといて生地を作っていたのでホントにクレープなかったようだ。一応私たちは店に入れてくれただけあって生地がもうあったのか、写真のようにおいしいクレープをすぐに焼いて出してくれました。
店内は有線でピンク・フロイドやU2の曲をフレンチ・ポップ、或いはフレンチ・ボサノバ風にアレンジして女の子がウィスパー・ボイスで歌うのが延々かかっていて、ピンク・フロイドもU2も大好きな私には楽しかった。それで友人と、なんでこうもフレンチ・ポップやフレンチ・ボサノバを歌う女の子って、こうも猫も杓子もウィスパー・ボイスなのかねえ、と話したりした。パリ在住数年の友人も多少この流行には多少うんざりしている様子だった。
さらに面白かったのは店番の兄ちゃん、友人が頼んだ水をいつまでたっても忘れて持ってきてくれなくて、あっついクレープを食った友人は悶絶、「水!」とほとんど日本語で兄ちゃんにいうと、兄ちゃん、しれっとしながらおとぼけ調子で笑いながら水を持ってきてくれたりした。
そんな緩やかなおおらかな雰囲気の楽しいモンマルトルでのクレープ・ランチでした。

また両親が新婚旅行で行ったという老舗のシャンソニエ、“ラパン・アジル”も行こうと思っていたけれど、値段を見たらまあそこそこいいお値段で断念しました。でも店の外観は近くまで行って見ました。ラパン・アジルもモンマルトルの丘にあるのです。将来金持ちになって、金に糸目をつけずに遊べるようになったらまた来て、演奏も聴いてみたいものです。
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ついでにモンマルトルつながりで書いてしまうと、モンマルトルにはピカソを始め、色々な芸術家や思想家、音楽家などが住んでいたのですが、そういう有名人の家探索もしました。
一人目はダダイズムの提唱者で“ダダ宣言”を発したトリスタン・ツァラの家。
しっかり写真写してきました。
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友人はツァラよりもこの家の建築をしたアドルフォ・ロースの方に感銘を受けていたな。友人今建築に興味を持っているから。それで当代一流の建築家に家を作らせ住むツァラのことを“ボンボンだな”、“ブルジョワジーだな”としきりに言っていました。私としては自分にとって重要、というか無視することはできないと思っているダダイズムの提唱者の家に来ただけでご満悦。
ツァラの時代、チューリッヒのキャバレー・ヴォルテールではトリスタン・ツァラ、ジェームス・ジョイス、レーニン、と言った錚々たる奇人変人たちが集っていたそうだが、「そんな話もあったよなあ。」と旧友である友人と懐かしく話しながら、次は、そのキャバレー・ヴォルテールでピアノを弾いていたエリック・サティの家も突撃。
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私もサティは好きだが、妻もサティが大好きで、この簡素な家は気に入ったようだった。サティが好きそうな家、と言って喜んでいた。“家具としての音楽”を提唱したエリック・サティ、私にとっても重要な人です。

因みにモンマルトルの丘の上はサクレ・クール寺院。
普仏戦争のあとで建てられたゴシック系だけど割りに新しい寺院。
ここからのパリの眺めはなかなか良くて、友人に写真を撮ってもらいました。何せ丘なので階段が多いのですが、久々に会う友人の軽くエクササイズを交えた階段昇りは見ていて面白かった。階段が終わりになりかかるとちょっとジョギングっぽく加速する、アレは何なんだろう。
まあ友人とは大学入学と同時にルーム・メイトになった仲だが、ということは16年の付き合い。そしてお互い歳をとった。お互い体や健康のことを気にするようになっていたのも面白かった。
もちろん笑える昔話もたくさん。
とっても印象的なモンマルトルの散歩、1日でした。
ありがとう、r。
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モンマルトルの丘からパリを臨む。
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by kento_ogiwara | 2011-04-02 23:34 | BLOG;その他 | Comments(0)