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ゴンサロ・ルバルカバ

昨日行って来ました。@COTTON CLUB、ソロ・ピアノ公演。

感動しました。
もう、モーレツに。

公演の広告を見るとだいぶ痩せてしまった写真が載っていたので体壊してないかな、と心配していましたが、ステージにあがったゴンサロはまたかつてのように恰幅よく程よくマッチョで元気そうでした。97年に彼がデニス・チェンバース、ブライアン・ブロンバーグといった曲者、職人たちと出したCDのジャケットでのゴンサロが凄まじくかっこよかったのですが、その頃のかっこいいゴンサロに戻ってきた感じです。

音楽内容は私が予想、というか殆ど確信していたように、極めて内省的な即興で始まりました。例えば恩師であるディジー・ガレスピーに捧げた“Diz”みたいな華やかなビ・バップの名曲たちを取り上げた作品でもこういった内省はうかがい知ることができたので、これは予想してました。抽象的で、思索的な即興。
そういう傾向は全編に感じられましたが、ショウとしてのバランスも勘案してか、左手をストライドしてラグタイム調に弾いてみたり、あるいは彼の体の中に染み付いているキューバのリズムで弾き倒したり、とてもバラエティ豊かな内容でした。キューバのリズムでは凄いリズムの力で、ソロ・ピアノ公演という場でありながらもう体が動き出して踊りだしそうになってしまいました。こんな風に体が無条件に動いてしまう音楽は過去には、ジョシュア・レッドマンのカルテットでドラムのクレゴリー・八ッチンソンの非常に音数の少ない繊細なラテンのパターンを聴いた時、ケニー・ギャレットのカルテットがテーマから猛然と4ビートに入ってベースがぐいぐい歩き出した時、くらいしか経験がないです。体が動き出してしまうという経験にゴンサロのソロ・ピアノが加わりました。
ファンクや、一昔前に流行ったジャム・バンド、あるいは70年代ディスコとかでは体が動いたことはないのですが、やはり私の場合は上に挙げたような時に体が動きます。ダンス・ミュージックかどうかとかではなく、純粋なリズムの推進力を久しぶりに感じることが出来ました。
リズム、と言えば、ゴンサロは凄かったです。ピアノという楽器は一見便利なようで、複数のリズムを奏でることが非常に難しいのですが、例えば誰でもソナチネやピアノ・ソナタを習っているときに右手は8分音譜で左手が3連譜が出てくると難しい思いをした経験があると思います(4と3は数学的にも割り切れない関係だしね)。私もそうで、例えば今やっているバップのソロ・ピアノのレッスンでも左手は3連譜のパルスで右手はイーブンなどはとても難しいのです(左右逆もまた然りです)。ところがゴンサロは左手の小指よりの何本かでベースのリズムを弾きながら同じ左手の親指よりで別のパルスを入れ、さらに右手ではまた別のもうリズムと言ったらいいかパルスと言ったらいいかわからないようなものを弾きまくったりで、同時に色々なリズム、パルスで弾いていて、その様はさながらリズムの万華鏡のようでした。一つの曲を単一のリズムで、とかいう私がやってるような世界とは全く別次元の摩訶不思議で素晴らしい世界でした。
技術的には、はっきり言って、少なくとも私が見てきたピアニストの中で一番巧いです。ハービー・ハンコックやチック・コリアが束になっても敵わないくらいの超絶技巧者です。クラシック界におけるリストのようなイメージを持ちました。ゴンサロがこのままピアノを弾いていけばピアノという楽器自体も変わっていく、そんなことすら考えてしまいました。実際サステイン・ペダルはもちろん、シフト・ペダルも使っていたし、同音連打と恐らくどちらかのペダルを使って、ピアノで聴いたことのないような音を出したりしていました。
現代最高のピアニストだと思います。
またステージ下から見ていて、基礎の忠実さも印象的でした。私が5歳でピアノを習い始めたころ散々言われた“卵をかるく握るような”手の形が非常にしっかり保たれていて、手首の高さがブレない。各指は完全に独立して一本一本の指がハンマーのように、弾くとき弾き終わるときしっかり上がる。もの凄い演奏の中にあってそのピアノの基本への忠実さも印象的でした。あと手も大きいです。

とまあ内省的で無音状態を大切にした即興、トラディショナル・ジャズのような可愛らしいテイスト、猛烈な推進力のラテンのリズム、そしてもはやゴンサロ・ハーモニーとでも呼びたくなるような独特な印象的な和音が散りばめられた素晴らしいセットが終わりエキサイトしながら猛然と拍手、アンコールを要求(この日はゴンサロ来日公演の最終日でしかも2nd・セットだったので間違えなく次が彼の日本で演奏する最後の曲になる!)、スタンディング・オベーションも送られている。
その中現れたゴンサロが再びピアノを弾き始める。何かの歌のようだ。気持ちいい。何かの歌は段々姿を表し始めて、やがてそれが“imgine”だということに気がついた。アメリカとの国交断絶の中、キューバからチャーリー・ヘイデンやディジー・ガレスピーに見出されてアメリカに渡った90年代、最初のアメリカ公演をカーネギー・ホールで飾った時も演奏されたというゴンサロの優しげな選曲。優しげに歌われ、最後のCでボトムの5度上のG音が、まるで祈りの込められた鐘の音のように3,4回鳴らされるのを聴きながら、あまりそれまで気にしていなかったけれど、彼がキューバ人であることを強く感じた。彼の肉体はキューバで生まれ育ってのだな、と思った。
良い音楽家というものは音楽を演奏しているようで、いつかふとその人そのものが投影されたような姿を見せてくれるものだが、ゴンサロ・ルバルカバ、という一人の人が壮大な音楽の時間の中でふと浮かび上がったような気がした。ゴンサロ・ルバルカバは音楽家だな、と思った。
私もゴンサロのようなレベルには到底なれないけれど、いつか自分も音楽に自分自身を投影できるようになっていければいいと思う。たとえ演奏のレベルは低くても、あ、これがオレだな、と思える演奏を目指したい。

いやーしかしここまで書かなかったけれど、とにかくよく歌う!ゴンサロのピアノはよく歌う!!!
重要なことだよなあ。。。ってもう何言ってんだろう。
ともかく感動的な一晩を過ごさせてもらいました。長いことビッグ・ネームのライヴからはご無沙汰だったけれどやっぱり刺激になりますね。今日はハノンやスケール練習やってもなんか調子よかった!

Sr. Gonzalo Rubalcaba,
Muchas gracias!!!

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COTTON CLUBの店の前で恥も外聞もなく記念撮影。
この写真よりも恰幅戻って元気なルックスのゴンサロはメガネをかけてましたよ~!!!
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by kento_ogiwara | 2010-08-26 23:59 | BLOG;音楽について | Comments(0)

残暑見舞い申し上げます

凌ぎやすくなった、と書いたと思ったら明日の天気は36度ときたもんだ。容赦ねえなあ。
これは7月下旬に続き熱中症カクジツだな。だいたい36度って体温くらいじゃないか。誰かと炎天下ずっと全身肌を密着させてるようなもんだ。体調壊さないほうがどうかしてる。

今年のお盆はカミサンを単身広島に送り、一人で静かに家で過ごしていました。
お盆のつつじヶ丘は人気も少なく閑散として、ちと淋しいものがありました。メシも気楽に松屋や日高屋。
しかし今日の晩の日高屋は人が多かったな。家族連れとかも大勢いた。ややつつじヶ丘にも活気が戻ってきた感じ。もうお盆も終わって日常が始まるのだな。

ピアノの進捗は、バド・パウエルの“hallucinations”、前回突発的に課題になってしまった“I wish I knew”は熱心な練習のおかげでテーマはどちらもOK。“I wish I knew”のサウンド作りは自分一人で(ってゆーかモトオカさんの助けなしで)やったとは思えないくらい、いいスタッフが入っててかつさりげない。コール・アンド・レスポンス的な感じもできたり。きっと次のレッスンでモトオカさんに聴かせたら喜んでくれるんじゃないかな。
どちらもテンポは180くらいでけっこう速い。テーマはそれで弾けるようになったけど、ソロのところでまた壁に当たった。前回の記事で“hallucinations”はマイルスが細かなコード・チェンジと速いパッセージを嫌って“Budo”として書きかえ云々、と軽くマイルスをけなしてみたけど、いやこれは弾けないや。単音のメロディのアドリブがとれん。
というのもピアノで単音でメロディをアドリブで弾き始めた15年くらい前、私の頭の中にはそれ以前弾いていたギターのように表情豊かにピアノを弾く、ということがあった。ギターのようにベンディングしたり、ハンマリングしたりグリッサンドしたり、ギター独自のサウンドの魅力にぞっこんだった私にはピアノはそのまま弾いてもあまりにも表情がない楽器に思えた。(今でもギターはこの世で一番不思議な楽器だと思う)。んでピアノを始めた時、装飾音を多めに入れたり、長3度を弾く時に短3度からすべり落とすようにして弾いたり、そうやって、ギターで弾く時のように、ブルース、できるように心掛けてたんだな。
でそれがオギワラくんのいわゆる手癖、になった。それはそれでいいんだけど。
!!!テンポが速いとこの手癖のせいで弾ききれない。
全てスキッと8分音譜で単音を紡ぎ合わせられればいいんだけど。往年の手癖で装飾音やリズムに揺れのあるフレーズが出てきては破綻してしまう。もちろんイーブンで弾けないわけではないし、コンボでやる時はみんなセッションとかでは速い曲ばかりやりたがるし、逆に8分しか弾けなくてつまらない、と思ったり、バンドで敢えて完全なドイーブンで弾いたこともある。もうレイドバックもしない全くバウンスもしないまるでハノンでもやる時のように無表情に8分で単音を連なさせて異常に長いフレーズを弾いたりしてそれはそれですごく楽しかった。
しかしソロ・ピアノは話が別。人に聴かせるための、曲を成立させるための全てのエッセンスに配慮しながらソロもアドリブでとらなければならない。余裕がない。よって手癖が出る。テンポ・アウトして破綻する。というわけだ。
まあここまで課題が明確になっているのだから、逆にこれからの練習はしやすい。8分で淀みなく単音で音を連ならせる、その練習をするまでだ。

閑話休題、

人々が集うお盆を一人で過ごす寂しさの紛らわしに、今年5月に結婚した旧友になんとなく電話。なんか色々話してて癒された。持つべきものは友だな。曰く「続けることが大事。続けることが目標。」(あ、仕事のことね)。何か少し吹っ切れたよ。凄まじい不景気で皆さんも仕事の稼動時間がとことん増えてたり、それこそお盆も出社してる人も一杯いるようだし、色々割り切れないこともあるけれど、私は友人にそう言われて、そうだよな、続けることが大事、続けることが目標で力だよな、と思いました。ありがとう、H。←(別に下ネタではない)

オマケ。
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手に持ってるビッグマックはおもちゃのストラップ。バリュー・セットのドリンクとポテトを両方Lサイズにすると、タダでついてくる。コレが欲しくて昨日はマックに行った。いやーしかしポテトのLサイズを一人で食いきるのはなかなか大変なものがあった。
しかし狙い通りビッグマックのストラップをゲット!
小さなシアワセを感じたひとときでした。
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by kento_ogiwara | 2010-08-15 21:50 | BLOG;音楽について | Comments(0)

だいぶ凌ぎ易くなってきました

夕方とかもちゃんと夕方らしく少し涼やかになってきたりしてますね。
日中のギラギラとした日差しはまだまだ強烈ですが。仕事柄、日中おもてに出ることが多いので、首周りと腕だけ日焼けして、さながら高校球児のようです。

さてボーっとしたまま受けた前回のレッスンの振り返り。
結局ボーっとしてちゃんと課題をやって来ず、バド・パウエルの“hallucinations”はまんま次回のレッスンに先送り、結局ファッツ・ウォーラーの“jitterbug waltz”のテーマだけ仕上げて、というレッスンになりました。
思わず、モトオカ師匠に「(何にもやってきてないですげど)・・・どうしましょう?」と言ったのだが、モトオカ師匠は「どうしましょう、ったって・・・」と、あくまで課題に基づくレッスンをするのみ、やらないならしゃべっていても意味ないし困るだけ、的なスタンス。
ホント、レッスンの時、私と師匠は音楽の、もっと言えば課題のことしか話さない。師匠はおしゃべりが好きではない。全て音で語れ、というタイプ。音は嘘つけないからね。少なくともレッスンの時は完全にそう。

でも結局時間が余っちゃって、とにかく何かやろう、ということで、色々一緒にやったのは、モンク。
レッスンにつく前はモンクばかり弾いていたオギワラくんだが、この日はモトオカ師匠に参った。“light blue”という8小節の非常にモンクのエッセンスが凝縮されたような曲を紹介されたり、“Pannonica”を一緒に弾いた。驚いたのは連弾しながらソロ回しに入り、うんうん唸りながら弾きまくるモトオカさん、困る私。“モトオカさん、ちょっとこれでソロって・・・”と言うと“色々聞こえすぎてきちゃう?”ときたもんだ。ホンモノのモンク好き。前からモトオカさんのモンクに対する造詣は並々ならぬものがあると感じていたが“Pannonica”のような曲でも構わず全く淀みなくフレーズしまくるモトオカさんに、“モンクもほとんどテーマ・フェイクぐらいのソロしかとってないじゃないですか。”と負け惜しみ。いやー参った。
“crepuscule with nelly”も弾いてみた。カウンター・メロディも内声も含めそらで弾くと“よく覚えてるよなあ・・・”と。あの人、私が(音の)記憶力がいいと完全に勘違いしてる。因みに“crepuscule~”はモトオカさんも昔バンドでやったことがあるそうだが曰く、「うまくいかなかった」。
他に結局前からモトオカさんに聴かせたかったエリントンにインスパイアされたエリントン・ライクな自作曲を見てもらった。気に入ってくれたようだった。作曲の時の私の中の流れも理解してくれていた。彼もああいう風に曲を書いたりもするんだな。曲は「奇妙な曲。面白い。モンクっぽくもある。」とのこと。前にトロンボーンのシバタ君がこの曲を聴いたときも「モンクっぽい。」と言っていたが、一般的にはあれはエリントンというよりモンクなのかな。まあどっちにもなれないけれど。

さてそんなスットコドッコイなレッスンで、なんとかこれからリズム面で退化したところを復旧すること、ハノンやって指を戻すこと、“hallucinations”と“jitterbug waltzs”をソロを含め仕上げていくこと、及び、たまたま弾いた“I wish I knew”が「いい」そうでこちらもサウンド作りからソロまで自力で、というのが課題になりました。
まあ、レッスンから1週間位経ち、“Jitterbug waltz”はソロ含め大体見えてきたかな、という感じ。スケールライクな曲だけど、あくまで3連譜のフレージングとフレーズの出発点及び特に着地点をはっきりとして弾こうかな、と。“hallucinations”もそれこそマイルス・デイビスが細かなコード・チェンジと細かいパッセージを嫌ってか、ブリッジを書き直して“Budo”として吹いた曲だけに、非常に難しい。だからメトロノームのテンポをゆっくりにして少しずつ練習している。まだまだだがね。大変だけど9月から始めるバンドでもやろうと思ってるので、その下心も最大限使ってモノにしようと思う。
“I wish I knew”も時々音作りして遊んでるけど、課題になった以上問答無用で弾けるようにしておかないといけないんだろうな。くわばらくわばら。

オマケ。
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先日所用あり、ついでにつらいことも楽しいことも音楽も仲間たちも、その他全てがあった母校のキャンパスを訪れた。母校は今は府中に移転していて、跡地には老健が立ったと聞いていたが、行ってみると、講義棟や教室があった高い方は巨大なマンションが立ち一階にはこれまた巨大なドラッグストア、グランドがあったところは公園になっていた。老健は教授室などがあった(?よく覚えてない)グランドの上あたりにあった。あれだけ沢山のことがあって、たくさんのことを飲み込んでいた大学が時代とともに跡形もなくなくなっていて、全く別の所になっていて、すごい違和感を覚えた。まるでそこだけ知らない地方都市にでも足を踏み入れたみたいだった。ガルシア=マルケスの『百年の孤独』を思い出した。あの小説はたくさんの物語のあと、最後に舞台となった架空の町マコンドが、そのもの消えてしまう、というものだったと思うが、『百年の孤独』を読んだ時は、そんなことありえない、と思って、本に書いてあったけれど私は信じてはいなかった。でもやはりありとあらゆる物語の舞台となった大学が跡形もなくあの世のことのように消え去っているのを見て、『百年の孤独』を思い出した。
カミサンは子供たちや老人たちが平和に憩う姿を見て、「よかったじゃない。」と言っていたが、私は懐かしさや感慨も覚えることができずちょっと戸惑いながら、こうやって私も大切なところを忘れていくのかな、とか思った。
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by kento_ogiwara | 2010-08-10 23:38 | BLOG;音楽について | Comments(0)