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バリーさんの左手

前回のレッスンで、ピアノを弾くモトオカ師匠の手の大きさに驚いた。
「ってゆーか、モトオカさん、手、デカイっすね。」
とオギワラくんが言うとモトオカさんは、
「そんなに大きくない。この弾き方はバリーさんがやってたんだ。オレも初めてみた時は驚いた。」

何かと言うと、ピアノでスプレッド、或いはオープン・ヴォイシングと言われる和音の弾き方で、最低音に1度、その上に7度、その上に10度(3度のオクターヴ上)を押えて弾くものなのだが、まあ分り易くいうと左手小指でドを弾いたらその上の7度はシになり、けっこう間隔が広い。のでオギワラくんは1度と7度は左手小指と親指を思い切り広げて今まで弾いてきた。ところがモトオカさんは1度を小指で弾くと7度をなんと左手人差し指で弾いているではないか。余った親指ではさらに10度のミもうかがおうという勢い。またドからオクターヴ上のミを左手一杯に開いて小指と親指で弾くのも織り交ぜたりして、或いはケースによっては左手薬指と親指で1度と7度を押えたりもしていた。
そうやって豊富にインターバルをとった左手の響きは、精々1度7度で左手を使い切ってしまう今までのオギワラくんの響きとは、大人と子供並みにサウンドのリッチさが違う。
モトオカさんの大きな手。サウンドの違いの一つにはこんな秘密があったのか・・・。

前述のようにこの弾き方をモトオカさんは師事していたバリー・ハリス氏から学んだ。バリー・ハリスとは長いことデトロイトで活動していたバド・パウエルの数少ない直系ピアニストで、他にバド直系と言えば私の知る限りでは日本の穐吉敏子くらいしか思いつかない。全てのピアニストがバドの影響を受けたと言われているが実際にバドを思わせる演奏ができたのはバリー・ハリスと穐吉位で、模倣と言われようが、バドは模倣するだけでも凄いことであり、だから例えばバリー・ハリスはバドの模倣だ、と言って非難するのはよって筋違いだとオギワラくんは思っている。そのバリーさんからモトオカさんがじかに受け継いだものを、私がモトオカさんから受け継いだ。
エリントンの“prelude to a kiss”を私の考えた安直な代理コードによるアレンジから、必ずしも奇をてらわなくても大きな左手によって、生まれ変わったかのような豊かで生き生きとした響きにしてくれたのは、モトオカさんの大きな左手、バリーさんからモトオカさんが受け継いだ左手のおかげだ。

私たちはこうやって人と人との繋がりの中で音楽を語り、ともに演奏し、練習し、受け継ぎ、音楽のある人生を生きている。
これは金には代えられないことであり、音楽をやって、人に誠実に生きてきた人たちだけが手にできる財産だと思っている。私たちのように全てを金に乗っ取られたような世代でも、こういう本当に大切なものは生きてる。私は1レッスン7000円でバリー・ハリスの奏法をモトオカさんから買ったのではない。7000円あれば誰でも買えるのでは決してない。私が生きてきたように音楽に向き合って、人と出会って、誠実さを持ち続け、練習に明け暮れ、その結果私はモトオカさんを通してバリーさんに出会ったのであり、私は金で全てを塗りたくってしまうような輩にはこのバリーさんの左手は渡さない。バリーさん、モトオカさん、バド、そういった繋がりの中で生き続ける私の誇り高い財産なのだ。って、あっさりインターネット上に公表してしまいましたが。

池袋インディペンデンスのマスターが言っていた。
現在60歳を超えたジャズマンたちは、自分たちの財産をいかに後進たちに引き継いでいくかにやっきになっている、と。その例としてピアニストのフクダシゲオさんを挙げていた。
私の友人のギタリストで底知れない才能に敬意をいだくtheさんがかつて高田馬場ゲート・ワンでジャム・セッションしていた時のことを話していた。そこにはフクダシゲオさんが来ていて、演奏をした後のtheさんをつかまえてtheさんが、自分がヌノカワトシキさんに習っていた、と言うとそこから一旦店を離れ、一緒に酒を飲んだ。ひとしきり飲んでゲート・ワンに戻るとフクダシゲオさんは明らかに酔っ払っているのに完璧な演奏をした、という。そしてその時何か若い世代のミュージシャン達に何をかメッセージを言ったのだ。その内容を残念ながらはっきりとは覚えていないのだけれど。ともかくあるときtheさんはそのことを感慨深げに話していた。

モトオカさんも60歳は超えているし、その自分の持っている財産をどうにかしてオギワラくんにモノにしてもらいたい、という情熱は、確かにインディペンデンスのマスターの言っていたことを思わせる。自分にその財産をモノにするだけの資質があるとは到底思えないけれど、何とか頑張って、とにかく人に、人の思いに誠実に、本当に大切なものを見失わないように音楽していければ、と思う。バリーさんの左手はそんなオギワラくんの宝物の一つ。

先週末夜、というか日曜朝、阿佐ヶ谷マンハッタンのミッドナイト・セッションに行った。
普通に楽しめた。人とやるのが久しぶりだったから最初の1~2曲は多少所在無げな感じで弾いてしまったけれど、3曲目のモンクの“in walked bud”、4曲目の“what is this thing called love”を立て続けに弾いて席に戻るとモトオカさんが、「良かった。」と言ってくれた。ラストのマンハッタンで締めの一曲になることの多いチャーリー・パーカーの“ornithology”ではモトオカさんが途中でピアノを代わってくれて、楽しくホストバンドの人たちと演奏できた。
時々不安になることはあるけれど、レッスンが始まり、よく練習するようになって、明らかに前回来た時より向上して安心してジャズ、音楽を通して楽しめるようになってきている、そんな気がして、日頃の、そして今までの日々は決して無駄などではない、しっかり良くなってる、そんな風に思えた夜(朝?)でした。
帰り際にモトオカさんと握手。いつもレッスン以外のどこかで出会った時、いつも交わす握手。こうしてジャズを通じて結びついた私たちの関係、人々との繋がり、これはどんな金持ちでもどんな理屈屋でも絶対に、私から奪うことはできない。
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by kento_ogiwara | 2010-03-09 21:54 | BLOG;音楽について | Comments(0)

a dirty day

“days, days, days run away like horses over the hill・・・”
                       Bono, “dirty day”

先週末、土曜、モトオカさんレッスン。
借りていたエリス・マルサリスのCD、譜面、メトロノームを持っていざ出陣するも電車に乗ってから録音用のMP3を忘れてきたことに気がつく。
池袋。西武線で準急に乗ったつもりがその準急より後発車の各駅停車に乗ってしまったことに気がつく。遅れるな、と思ってモトオカさんにメール。
しかし最寄りの駅を過ぎて電車が発車したところで今度は乗り越したことに気がつく。
乗り越して石神井公園まで行ってしまい、反対方面の列車に乗ろうとするも駅が工事中で一度改札を出ないと戻れないことに気がつく。
最寄りの駅から歩く。と、何故か、なんと、道を間違えて歩いたことに途中で気がつく。

遅れて着いて、ってなことをモトオカさんに話す。
レッスンの経過は惨憺たるもの。モトオカさんは私のと同じMP3を持っているので、とりあえずこのレッスンだけ借りて録って翌日にも郵送しようと思って貸して、と言ったが、オレも使うもん、と。ああモトオカさんも録音とか日常的に使うんだ、と変な安心感を覚える。

レッスンの経過は惨憺たるもの、で、完成に向かうはずだった“I cover the waterfront”と“day dream”は完成は保留、それは愚かタイムの補正、タッチの補正、そしてサウンド面での向上、これらの観点からスケール練習を再びやること、ベースラインを弾くこと、など更に課題を増やしてしまった。ベースライン、・・・弾けないよ(号泣)。12keyで出来てないままのマイナー6thのドロップ2も次回までが期限だろう。
さらにエリントンの“prelude to a kiss”を自分なりにサウンド作りをして持っていったところ、いい補正をしてもらったが、あの超難易度の高い曲をソロを含めてやるように言われさらに大きな課題を背負って自ら自分の首を絞める。

モトオカさんに背中を叩かれた。優しく、厳しい感じで。
同じことが12年前にもあった。
あの時は手紙まで貰って助けてくれた。「ケントくん、確かに音楽には不思議なところもありますが、私は1,2,3,4と数えることが大切だと思っています。」と書いてくれた。そのことはずっと自分をギリギリのところで救ってくれた。
あの頃と同じ混乱をこないだの私に感じたのかな。

レストランでの仕事。2~3時間ぶっ通しで弾かされ、もともと弱いタッチを更に弱くして弾くように言われ、ルバートに逃げる。それでももともと音楽なんて聴いてない客を喜ばすなんて簡単だ。“someday my prince will come”みたいなディズニーや、“my favorite things”とか弾いてみれば簡単に喜ぶ客もいる。
もともと素人を騙す位の腕前なら学生時代からあった。それと大して変わらず、モトオカさんにズバッと言われたように、「そんなんじゃただ弾いてるだけになっちゃう。」。
モトオカさんははっきりとは言いにくそうだったが、この仕事は辞めるように薦めた。演奏というものが大変なものであることを分かってもらえないまま、休憩もなく、朦朧とした意識で弾きながら、私のレストランでの仕事は私のピアノを確実に蝕んでいった。
いつか自分自身このブログで書いたが、ジャズとは結晶性の芸術ではなく、いい演奏をできる体、を作ることだ。体内に3連のリズム感を持つこと、正確なタイムで弾くこと、運指を覚えこませること、強い薬指、小指を作ること、今回のレッスンで再び、と言うか明確にモトオカさんの口から、「~~のリズムを感じている体を作ること、体作り。」と言われた。レッスン初期で気がついたことに戻り戻って立ち戻ることになった。

レッスンからの帰り、私は混乱していた。いとーさんにメール。「かつて近くに感じていたエリントンやモンク、バド・パウエルの姿も今や遥か、バリー・ハリスの孫弟子語るなら何とかしなくちゃ。」。いとーさんは練習中。
いとーさんとセッションや飲みを取り付けても、その日の帰りジャズ研の古い友人たちと飲んでも不思議とこの孤独のようなものは癒えなかった。最近甘いものが妙に好きだから甘いものを食べても、たくさん寝ても、酒を飲んでも、この未整理のまま放置して見て見ぬ振りをしてきたものたちは机の中で膨れ上がるばかりで、決して消えない。だからこうやって少しでも明晰さを取り戻すために書いているのだけど。

基礎練は気持ちを落ち着かせてくれる、昔からそうだった。
今こうやってある程度言葉を選べるのも1時間半ほどメトロノーム鳴らしっぱなしで鍵盤に向かったからだ。
でも最終的にはレストランの仕事を辞めなければこのもやもやは取れないのだと思う。うまく立ち振る舞ってキレイにフェイド・アウトと行きたいところだ。
悪い話ばかりではないのだ。今年の正月には信頼を寄せる山口県在住の歌い手のでんちゃんとエリントンの“satin doll”とチャップリンの“smile”吹き込んでいる。3月になってしまったが無為に過ごしてなんの果実も残さない2ヶ月を過ごしていた訳ではない。
うまく整理して、立ち振る舞って、練習して、自分の音楽、自分のペース、自分の体を取り戻していきたい。そうすればきっと明晰さも戻って、迷いも、薄もやのような混乱も消えていく。

無理をしないで、できる範囲のところで、マイ・ペースにできるだけ楽しく頑張っていきます。
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by kento_ogiwara | 2010-03-01 21:43 | BLOG;音楽について | Comments(0)