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VACATION

フィリピンから帰ってきた。

一週間くらい海辺でボーっとしてきた。
VACATIONの名の如く、アタマの中を空っぽにしてきた。

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ふんでここ最近の自分って、
考えなければいけないことが多過ぎて、
にっちもさっちもいかなくなってたんだな、
と思った。
んで、なもんだからこうやってフィリピンでなーんも考えないで1週間過ごせてよかったな、
と思った。
日本での自分がだからよけいに他人事のようにやけにクリアに見えた。

もちろん旅する前から、自分のそんな日本での状況はわかってたけど、
でもどうすることもできなかったのだ。
考えてもしょうがないことはわかっていたけど、
考えざるを得ない状況があったんだ。
考えるのをやめてしまえばいいじゃん、と言われても、状況がそれを許さなくて、色々な周りのことに対処していかなくてはいけない、という。
それで自分の器から溢れてしまうほどに考えてて、
ひたすら重みに耐えながら、
なおかつその重みから抜け出すことができなかったんだ、
と思う。

これがフィリピンで見たオギワラくんの姿。

今は心がそんなこんなで軽くなって、
クリアになって、
VACANTで、
ああ、いいVACATIONだったな、
と思ってます。

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by kento_ogiwara | 2008-10-17 17:26 | BLOG;その他 | Comments(0)

No Rain but No Shine~2008年度上半期総括

とはかなり前に書いたオギワラくんの曲。
スタンダードの“come rain or come shine”に似ていてそれをもじったものだがその後は全く違ったように展開していく。
何故か演奏しないままここまで来ていて、今レコーディング中の5枚目のアルバムにも収録予定なし。

軽めに今年度上半期を振り返ってみて、まあこの曲のことを思い出しました。
楽しい旅が終わる時に新しい困難が音を立てて始まったり、楽しいことが始まる前に悲しいことが起こったり。人生そんなもんだ、と言ってしまえばそれまでだけど、こう、なかなかスッキリさせてもらえなかったな、と。

Ⅰ. Jazzとの関わり

前回も書いたけど、先々週マンハッタンで感じた敗北感は、例えばオギワラくんのピアノにはオギワラくんのカラーがあるから云々などの甘ったるい言葉では消せない、言ってしまえば相対的なものではなく絶対的な敗北感だった。
我が師匠、モトオカカズヒデさんが歳を経るごとに上手くなり、いやもうどんどん上手くなって凄みを増してしるのを目の前で炸裂させられて、オギワラくんは蚊の鳴くような声で、
「楽しそうに弾きますね・・・。」
と言うと、
「だって楽しいもん。楽しく弾くって決めたんだ。」
とモトオカさん。
セッションが始まる前、モトオカさんはイヤホンをつけて阿佐ヶ谷駅の前を歩いていて、それはいいんだけど、イヤホンから音楽を聴きながら右手にエッグ・シェイカーをもってノリノリに振っている。深夜の阿佐ヶ谷に、エッグ・シェイカーの音だけがしていた。このことをモトオカさんに言うと、
「バカでごめんなさい。」
と。
セッションが終わってモトオカさんが帰り、しばらく間を置いてオギワラくんも帰ると、朝焼けの阿佐ヶ谷に亡霊のようにまだモトオカさんが前をチンタラ歩いている。さらに見ているとモトオカさんは立ち止まり、何が気に入ったのか知らないがこ汚い阿佐ヶ谷の路地を写メールしている。怪しげなその後姿はさながら仙人のようで、10年以上の付き合いになるのにオギワラくんは話しかけられなかった。あの人がどんどん遠くへ行ってしまってるのか、オギワラくんがジャズの世界の中で徐々に淘汰されて行っているのか、とにかくやれんかった。

少し落ち着いて考えてみた。

人生は一度だ。好きなことを頑張ればいい。
オギワラくんはジャズが好きだけれど、厳密に言えばジャズをやりたいのではない。オギワラくんが音楽を通してある種の美にとり付かれたのは12,3歳の時。すぐに曲作りを始めてピアノやギターを使って幾つかの曲を書いた。その時求めていた美、あるいは記憶と、今の32歳のオギワラくんの追い求めている美や記憶は結局大して変わらず、あの時からずっと同じようなものを探し求めている。むろんジャズをやる中で、モンクやバド・パウエル、その他数知れない人々の音楽に触れて、その記憶の片鱗に触れることができる。ヘンデルやハイドン、モーツァルトやベートーベンも然り。

オギワラくんが生まれもって心の中に持った美や記憶、それをどこまでも追求していくのがオギワラくんにとっての音楽なのではないかな、と。

ジャズをやることでそれをかなり実践することができる。
オギワラくんにとってジャズはそういう位置づけでいいのではないか、と。
本当は不安だ。そんなことを言っていてどんなジャム・セッション小屋でも何もできずに終わって泣いて帰るようになってもツライ。
アル・フォスターは「パーカーの匂いのしないものはジャズではない。」と言うし、全ての素晴らしいジャズ・ミュージシャンはマイルス・デイヴィスこそが信奉だ。オギワラくんにとってマイルス・デイヴィスは必ずしも絶対的な存在ではない。だからたぶんオギワラくんは素晴らしいジャズ・ミュージシャンになれない。
そして先日の我が師匠モトオカさんの完全なる自由、最高の悦び、という絶対的に素晴らしいジャズの演奏。
でも不安は多いけど、そして素晴らしいジャズ・ミュージシャンに対してとてつもない嫉妬を感じるけれど、自分の美意識やずっと心に持ち続けているある種の記憶への慕情がある限り、それを音楽にしていくのがオギワラくんにとっての音楽人生なのだと思う。
それがジャズなのか、ビ・バップなのかなどの問題は聴く人にまかせればいいし、もしかしたらそんなに重要なことじゃないのかも知れない。
ただ人生は1度きり、自分を信じて自分がやりたいようにやって、後悔がないようにしていきたい、と思いました。

Ⅱ.社会福祉士として

とりあえず社会福祉士になってもまずは現場から、と思い知的障害者通所更生施設での仕事を始めて半年。時には初心に帰って省みなければ。

オギワラくんが働いていて、何を目指しているのか考えた時、一つのことが多くを占めているように思う。
それは利用者の心の安定に繋がることを少しでもできるように、ということだと思う。
もちろん知的障害者かどうかを越えて心の安定は全ての人が求めるものだとも思うけれど。
むろん家族の介護負担の軽減、障害者の社会参加etc.いろいろなことが複合的に関係してくるのはわかっているけれど、少なくとも現場=臨床においては利用者一人一人の心の安定を目指すことがオギワラくんの行動原理になってきている。
人それぞれなので画一的には言えないが、一日のシェーマ(行動様式)や生活スタイルが確立されている人たちには、できるだけそれを守っていくだけの最大限の援助をする。
またオギワラくんにもっと力がついた時には可能ならば守るだけでなく、新しいシェーマを引き出してより快適な生活様式を導いていくこと。ただこれにはリスクがつきまとうこともあるし心の安定を揺るがすこともあり得るのでオギワラくん自身の今後の成長に期待。できるだけ自由を認めていきたいがあくまで事故や自傷他害のない範囲で。
ジレンマは「更生」という言葉をそのまま鵜呑みにしたようなアプローチが現場で見られた時でも、あくまでオギワラくんは利用者との対等な、尊敬しあう関係を貫きたいと思う。決して「更生」などと、利用者を上から見ない。おとなしく椅子に座っていられることが更生だとは思わない。健常者のように振舞えるように仕向けることが更生の起源かもしれないけれど、健常者のように振舞わせるために「更生」という「力」を使うのには反対だ。対人援助の7原則の一つ、自己決定の尊重はオギワラくんのフェイヴァリットだ。

ま、たかだか半年勤めて何か結論を出そうとするのも無理があるが、一つ、去年の夜学時代に習ったことで、重度心身障害児の支援にあたった糸賀一雄氏の名文句、
「この子らを世の光に。」。
「この子らに世の光を。」ではなく
「この子らを世の光に。」。
この言葉、習った当時は凄いなあ、と思ったけれど、今言えるのは、
この言葉はすでにシンプルに事実であり、日々現場で知的障害者と付き合うなかで、すでに利用者はオギワラくんにとって光のようなものであり、オギワラくんに元気をくれ、笑わせてくれ、力をくれる。オギワラくんにとって愛情の対象であり、よって光のようなものだ。
この糸賀一雄の言葉がとりたてて特別なことではなく、いたって日常的にごく普通の感覚に思えるようになったのは、つまり、「はい、確かにこの子らは光みたいなもんです。」とごく普通に思えるようになったのは収穫だったかな、と思います。
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by kento_ogiwara | 2008-10-04 19:59 | BLOG;社会福祉士として | Comments(0)