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ジミ・ヘンドリクスの一節

最近抱えていたもやもやが一瞬晴れるような痛快な言葉に出くわした。
それはもはや古い友人のようになった、全てのミュージシャンの中で最も敬愛するジミ・ヘンドリクスの言葉だ。

愛国心を持つなら地球に持て。魂を国家に管理されるな。
            ジミ・ヘンドリクス

思考力が衰えがちな最近の私でもこの言葉のかっこよさはわかった。
そう言えば彼の曲の中で、“Earth Blues” という曲もあったな、と思い出した。相変わらず豪快な言葉使いだ。


Earth Blues
 written by Jimi Hendrix

Well, I see hands and tear stained faces
Reachin' up but not quite touching the promised land
Well, I taste tears and a whole lot of previous years wasted
Saying 'lord please give us a helping hand'
Lord lord lord
Lord, there's got to be some changes
Lord lord lord
Gonna be a whole lot of re-arranges

Lord lord lord
You better hope love is the answer
Lord lord lord
Yeah, it better come before the summer

Well, everybody can hear the sound of freedom's beating heart
Sirens flashing with earth and rockets stoning
You better love me like it's gonna be the last time
And tell the child to bury daddy's old clothes
Love love love
Yeah, they're talking about getting together, yeah
Love love love
Together for love love love
Love love love
You better hope love is the answer baby
I think you better hope it comes before the summer

Everybody
Everybody
Everybody
Every sister
Everybody
Every mother
Everybody
To feel the light
Everybody
It's shining bright baby
Everybody
Everybody, we got to live together, oh
Right on baby
Feel those earth blues coming at you baby

Don't let your imagination take you by surprise
A queen and me i, one day, visualise
My head in the cloud, my feet on the pavement
Don't get too stoned, please remember you're a man
Love love love
Lord, there's got to be some changes
Love love love
Living together's gonna be a lot of re-arranges
Love love love
You better be ready, lord, my lord
Love love love
Just hope love comes before the summer

Everybody
Everybody,
Everybody
Got to feel the light
Everybody
You gotta feel the light, baby
Everybody,
Everybody
We gotta live together
Everybody
Keep it together,
Everybody
Right on together,
Everybody
Oh yeah

All standing together for the earrth blues coming at you baby
Love love love
Right on
Feel those earth blues coming at you
Yeah yeah

ここをクリックしたら曲が立ち上がります。
なかなかレアで貴重な音源です。
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by kento_ogiwara | 2016-02-03 10:40 | BLOG;社会福祉士として | Comments(0)

2年目の東北;女川・石巻を訪れて vol.8

なんとなく震災からしばらく経って、これからは東北が色んな意味で日本の、あるいは世界の中心になるな、と思っていたのですが、同じように感じている人は多いようです。東京の行政を無視するというわけではないですし、今日は選挙にも行きましたが、新しい形でコミュニティ・地域作りが、社会作りが、あるいは新しい民主主義の形が生まれていっているような気がします。そんな動きを端的に表しているイベント、“市民ひろば”が昨日と今日、日比谷公園で行われました。

以下、市民ひろばのホームページより転載~

日本の未来へ集まる、市民のチカラ、社会のチカラ自然エネルギーと共に、本当の復興へ、参加型民主主義へ
3・11東日本大震災を経て、市民社会は大きく成長しています。
エネルギーシフトと自然エネルギーの普及へ市民、NGO、NPOのチカラと、政府、行政、メディア、企業など社会のチカラが出会い参加型民主主義への可能性を広げ、日本と東北の本当の復興へ新しい持続可能な社会へのビジョンを共有する場づくりです。

以上。

始まりが震災だったのは悲しいことかもしれませんが、それ以降の日々の中で、これほどかというくらいに人々ひとりひとりが力を発揮して、連帯しあい、助け合い、新しい東北を自分たちの力で作っていっていることは、まぎれもない事実。私も国や政治を超えて、政治でもない国でもないその土地の人々が地域そのものを再生していく姿を目の当たりにして、新しい民主主義の形をみる思いがします。
私がボランティアで関わった宮城県牡鹿半島の蛤浜再生プロジェクトからも出展され、その発起人である亀山先生(先週末石巻で一緒にしこたま酒を飲んでガッツリ話をしてくれた方です。)もいらっしゃってお話をうかがうことができました。ボランティアで一緒だった同窓生とも会えました。もう会えるだけで嬉しい、というかもうこういう繋がりが、自然発生的にできているのが素晴らしいと思います。
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亀山先生、鈴亀姉妹としてアーティスト・ユニットを組む亀山先生の妹さんと、鈴木姉妹、それにボランティア仲間の茂木先生とカミサンと。蛤浜再生プロジェクトのブースにて。
会えて良かった!
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鈴亀姉妹の鈴の方のkimiさんがこの日のために、この蛤浜再生プロジェクトのブースのために描いた絵。可愛いですね。
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これも可愛いものが一杯。
すずかめ姉妹のボードの“handmade”の文字は小枝や松ぼっくりでできてるんですよ。kimiさんが、いい歳して“この枝は違う、とか言いながら小枝拾ってて怪しまれた、”とかおっしゃってましたが、ホント、ナチュラルで可愛い文字ボードですね。
写真にもありますが、亀山先生の妹さんはもちろんのこと、鈴木姉妹も石巻の方です。

蛤浜再生プロジェクトと再三書いてますが、いったいなんのことなのか説明しないといけないですね。下手な記事で申し訳ありません。
まず私とカミサンが行ったボランティアの様子をバックナンバーからご覧ください。蛤浜再生プロジェクトの一環として10月位に泥カキなどをしてきました。その時の模様はコチラです。蛤浜の説明も簡単ですが入っています。

この蛤浜再生プロジェクトの発起人である亀山先生のお話を聴く。
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震災前の美しい蛤浜の映像や人々の生活ぶりの映像を見せてもらったり、あるいは震災直後の壮絶な蛤浜の映像を見たり、そして、その後多くの人々の力で生まれ変わっていく蛤浜の映像を見せてもらいました。
亀山先生もおっしゃっていた通り、蛤浜は震災をひとつの切っ掛けとして再生への新しい道のりを歩き始めましたが、このような過疎化の進んだ、限界集落、超限界集落に関する普遍的な問題が私たちに突きつけられている状況だと思います。
国は被災した蛤浜に、漁業の方面で援助してくれるものの、9軒あった世帯が震災後の津波で3軒になった蛤浜では、もう漁業だけで集落を維持していくのが難しいそうです。
そのためにカフェを作ったり、キャンプ場を作ったり、海ではカヌーやシー・カヤックのマリン・スポーツを楽しんでもらったり、アイデアを出して、浜(牡鹿半島では漁村のこと)の維持と再生を考えているところです。私も新しい蛤浜が生まれていくのに、できるだけ力になりたい、と思っています。
もっとも先ほど書いたように、私はたまたま蛤浜と出会い、少しでも関わりをもつことができたし、その縁を大切に今後も関わっていけたら、と思いますが、同じような限界集落、超限界集落は日本中たくさんあります。極端な過疎化、集落が限界を超えてしまうこと、その影響についても、もっともっと考えていかないといけない、勉強しないといけないな、と思います。人口の10分の1が住む東京の人々だって、こういった浜でとれた魚などを食べてきて生きていけているのも事実なのだし、私たち東京の人間にとっても決して無縁ではない話だと思います。
このお話の時には鈴亀姉妹にもお話いただきました。
その中で絵本の朗読もありました。タイトルは“さんぼりんご”です。
とても可愛い話で、そもそも“さんぼりんご”とは、保育士をやっていらっしゃる鈴亀姉妹が、子供たちに、
“さんぽにいこう!”
と言ったら、子供が、
“さんぼりんご、って何?”
と聞き違えて答えて、その可愛い聞き違いに思わず笑いをもらってしまったことが切っ掛けとか。子供たちの笑顔が、震災のあと、鈴亀姉妹に元気をくれたそうです。それで、明るい、かわいい本にしたくて生まれたのがこの絵本です。
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2012もだいぶ更けてきましたが、最後までこんな素敵なものをありがとう、と思います。
そして亀山先生、鈴亀姉妹、来年もカフェができたら是非行かせてください。もちろん泥カキなど、必要なことがあったらまた力になりたいと思います。
最後に仙台放送が追跡した亀山先生と鈴亀姉妹の動画を貼っておきます。私の拙い説明では伝わりきらない蛤浜再生プロジェクトのことなど、被災地の雰囲気も含めてわかりやすいことと思います。



亀山先生、女川・石巻の友人たち、
もろもろ、
来年もよろしくお願いします!!!!!
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by kento_ogiwara | 2012-12-16 18:32 | BLOG;社会福祉士として | Comments(0)

2年目の東北;女川・石巻を訪れて vol.7

先週末、今年3度目、今年最後の被災地の旅をしてきました。

今回はボランティア仲間との同窓会を石巻で、というかなりユルい感じで、特に作業はしていません。
それでも今回も被災者の方から貴重な話を聴けたり、あるいは夜は石巻や女川在住の被災者、支援のNPO法人のスタッフたち、そしてもちろんボランティア仲間としこたま酒を飲んで、親睦を深めてきました。
被災者、と書きましたが、より今の感触でいうと、復興の担い手の方々、と言ったほうがいいかな、と思います。

震災から2年目の東北入りでした。
去年は凄まじい苦痛にこちらも耐えながら、カミサンが避難民を受け入れていた調布の味の素スタジアムでボランティア活動をしていたのでその間の生活を支えるべく、仕事を歯を食いしばって頑張っていました。震災は少なくとも直後は東京に住む私たちにもダメージを与えたし、気持ち的にダメージを受けた、という意味では私もまた被災者だったのかもしれない。
ただイライラしながら、気になりながら、それでも仕事に頑張ることしかできなくて、すっと東北に直に関わることができないでいた。むしろカミサンたちが、時に楽しく、ボランティア活動などをしている様子が、疎ましく感じられた。

2年目、震災直後から決めていた2年目、ボランティアが激減するだろう踏んでいた2年目に初めて東北の地を踏んだ。
女川の我歴ストックという音楽フェスティヴァルの会場設営などのボランティア・ツアーだった。私は及び腰だった。どう振舞ったらいいかわからなかった。若干引っ込み思案で参加した最初のボランティア・ツアーだった。
作業を終えて翌日の我歴ストックの日、会場を回った。
被災者の方の話も聴いた。そもそもNPOスタッフから、被災の詳しい状況についての丁寧な説明ももらっていた。女川でも、石巻でも。
そして自分の足で女川のさら地となった海岸沿いを歩いた。19mの津波は私の想像を超えた。正直、東京に帰ってきて電車に乗るとき、ふと改めて被害の甚大さ、恐ろしいことが起こったことを目の当たりにして、心がキツくなった。ボランティアで一緒だった仲間に連絡して、辛さを分かち合った。そうして繋がりの中で自分を救った。
それくらい呆然とさせた女川での一人歩き、我歴ストックの会場に戻ると音楽がなっていた。アコースティック・ギターとジャンベと歌によるシンプルで力強くて美しい音楽だった。周りの女川の山々、女川の自然はきれいだった。しばらく熱中してその歌を聴いていた。
とあるところで歌手が歌った。

“曲がるべき角でぼくらは出会った
  長い旅路を共にするため”

その時、“そうだったんだ”、と全てが腑に落ちた。そして泣いた。ビデオカメラは回していたけどロクに撮影なんてできないほど泣いた。

その後、ボランティア間、NPOスタッフ、そして今回のような機会で、被災当事者とも繋がりは広がっていった。
初めの我歴ストックを主催する女川福幸丸の若いみんなからしてそうだったけれど、被災者、あるいは復興の担い手である石巻・女川の人々のすっきりとして無駄のない人柄から、私はいつも元気をもらった。去年の漢字に決まったという“絆”という言葉の意味はよくわからなかったけれど、自然と人々の繋がりの中に入っていけた、もしくは繋がりが生まれていった。

現地を見ないと何もわからない。
テレビの報道と直接現地に行くのは違う。
もっとも今では被災地の様子させテレビでやっているのか疑わしいが。

現地を見ないとわからない、と書いたが、もう一つ、
現地に行って初めて自分の言葉で今回のことが語れる。これからの長い復興あるいは興興というべきか、あるいは新しい女川が、石巻が生まれていくに当たって、ようやく自分の言葉で語り、長い旅路を共にするための下地が作れたのはとても良かった。
今年は仕事でもプライベートでも何かとターニング・ポイントだったように思うが、その激動の中でも、東北との出会いは私にとって最も幸運なものとなった。
このまま自分の言葉を持たず、いち早く関わったカミサンのことを疎ましく感じたように、東北の被害について知ろうともしないでアレルギーをもって、気持ちの整理などできやしないのに、頭と心の片隅に追いやったままにしておいては自分自身を傷つけ続ける数年をこれから、このこれからも何年もかかる復興までの歳月を送っていたかと思うとゾッとする。
この文章を読んで、私を疎ましく感じる人も多いと思う。
でももし、そう思うのなら、私が言いたいのは、いつ行っても遅くはないから、あなたにも被災地を訪れて欲しい。旅路は長く、復興までの道のりは遠い。東北に向かうボランティアたちを私を含めて疎んじる気持ちがあるということは、あなたの中にも何か引っ掛かりがあるということ。きっと東北はあなたを温かく迎えて、受け容れてくれることと思います。

先週末は素晴らしかった。
もちろん語り部の方から、壮絶な話を聴いたり、辛い思いを打ち明けられるのを聴いたり、楽しいばかりのツアーではなかった。でもそれ以上に今を生きる石巻・女川の、いつものようにすっきりとして無駄のない、接していてこちらが元気になるような人々と触れ合って、私もまた元気になった。そして今を生きる石巻・女川の人々の仕事に対する情熱や、未来にかけてのポジティヴでエネルギッシュな言動に触れて改めて希望を抱かせてくれた。

日曜日に東京に帰ってきて、金曜日、また大きな地震が起こった。マグニチュード7超え、三陸沖、津波も発生した。私は動揺し、もう神様なんていない!とか、あんまりだ!とか思った。去年の巨大地震の爪痕を見た目だったし、もう津波なんて考えたくもなかった。それでも苦しい思いでテレビをつけて東北の情報を見て、さらにパソコンを開けて石巻の友人たちの消息を探した。ほどなく無事、という連絡が続き、安心した。もちろん寒かったろうし、避難も大変なことだと思うが、それ以上に石巻の友人たちの落ち着きぶりに感銘を受けた。もちろん私は例によって自分の肝の小ささを見るようで恥ずかしかった。そしてまたここでも石巻の頼もしい復興の担い手たちに元気をもらってしまった。凄いなあ~・・・、と。

そういう素晴らしい人々と、先週末も出会えて、ゆっくり話せて、沢山フランクに一緒に酒が飲めたこと、そうして繋がりがどんどん深まっていったこと、そして石巻や女川を訪れる度に、ホントに美味しいものに巡り合って、いつもお腹いっぱいで帰ってくること、全てがかけがえがないこと。もちろん最初は1人で行った女川・石巻も、2回目、3回目はカミサンと行けたのもホントに良かった。
みんなと。
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そして、

旅路は長い。
この繋がりを大切にして、来年も、その翌年も、東北がさらに美しい姿で生まれ変わっていくのを見届けていきたいし、その近くに身を置いていたい。
とりあえずは来年の我歴ストックかな。
石巻・女川のみなさんに、心からよいお年を、及び来年もよろしくお願いします。

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石巻、渡波地区の“わたほい”にて。
こののりを私たちのために朝一でとってきて用意して下さったのり漁師の相澤さんと。相澤さんから、震災の時、及びその後の壮絶なお話、のり漁師としてののりに対する情熱の話を聴きました。お話を聴いたあとはみんなで相澤さんの新のりをパクッ!のりのそれまでの既成概念を覆す旨さだった!!!
ホントにうまいのりはメインになれる位美味しいんです!!!実際のり汁というのりの汁があるのですが、これは石巻の人々でも滅多に食べれない贅沢品とか。私たちもちゃっかり頂いちゃいましたがホントに美味しかった!!!
相澤さん、本当にありがとうございます!
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by kento_ogiwara | 2012-12-09 22:43 | BLOG;社会福祉士として | Comments(0)

ソーシャル・ファーム~授産施設の今とこれから

職場の研修で、私の現場ともゆかりの深い授産施設の代表の方からお話を伺い、その刺激的さにしばらく眠っていた私の社会福祉士としてのアタマも呼び起こされて、思わずペンをとってメモしまくって話を聴いてきました。かなり興味をそそられる話だと思うので久しぶりに知的障害者を取り巻く世界について書いてみたいと思います。

まず授産施設とはなんなのか説明しないといけないですね。
授産施設とは、平たく言えば、作業所、知的・精神などで一般就労が難しい人々のために、比較的取り組みやすい仕事・作業などを提供し、工賃として安いお金ですがその施設の利用者に払う、というものです。もちろん工賃はとても安いため、それで生活していくのは不可能ですが、そうすることで障害者たちにとっての生き甲斐になっていたりします。

私の勤める施設は、まとまった作業量を確保できるほどには障害の程度が軽くない利用者なので、作業は行いますが、と同時に食事・排泄などの介護も常時行う、最近の言葉でいう、生活介護の施設になります。正直なところ、可能性がないとは言いませんが(授産施設にも色々なところがあると思うので)、今私が一緒に過ごしている重度知的障害者で、授産施設でまとまった作業をすることが可能な利用者はいないかな、と思います。

さて、そんな授産施設の方のお話、アンテナに引っ掛かったのは、新しく“ソーシャル・ファーム”という概念に触れたときです。今ヨーロッパで行われている考え方、働き方らしいのですが、これが今日お話をうかがった方の授産施設の目指しているところなのだそうです。
ソーシャル・ファームとは、例えば10人の従業員がいる職場があるとして、うち6~7人は健常者、3~4人は障害者、という風に、いわゆる健常者もいわゆる障害者も混ざって一緒のチームを作って働く、ということです。その中で得手不得手の役割分担もできるし、健常者が障害者が困っていることをサポートすることもできる。そこではすでに職場が成立しており、つまり障害者にとっても健常者にとっても就労が成り立っている、という状態です。
そこではやれ福祉就労だ、一般就労だ、やれ障害者も一般就労を目指せ、みたいな最近の空気とは異なった開放感があります。目からウロコが落ちる思いでした。

現在の障害者自立支援法は、とにかく障害者たちを、一般就労へ結びつけよう、あるいは障害者福祉における国の負担を減らそう、という意思が明確ですが、実際、授産施設、自立支援法における就労継続支援施設に来て、一般就労にたどり着いても、そこで潰れてしまう障害者が多いそうです。それはそうですよね。今のこの国で、一般の企業に障害者たちを受け入れる体力も知識も、必要とされる配慮や意識も備わっているとは思えません。それが証拠に障害者雇用促進法で規定されている301人以上の企業に課せられる障害者の雇用義務を満たして障害者を雇うより、罰則の納付金をせっせと払っていくほうが企業にとってはリスクも少ないし、コストも残念ながら安いんです。なんの実効性もない法律、罰則規定なんです。

話が逸れましたが、民間の一般就労のこの雰囲気から言って、国がいくら授産施設をあの手この手で圧迫しても、授産施設のニーズがなくなることはないでしょう。もっとも今は「授産施設」ではなく「就労継続支援B型」と名前が変わりましたが。「就労継続支援B型」と言いましたが、じゃあA型ってなんでしょう?ということになりますね。「就労継続支援A型」とは、最低賃金が保証されている方、と思ってください。当然その分作業の難易度もB型より上がります。B型は最低賃金以下の今なら月1万3000~4000円などが工賃として、先ほど述べたような生きがいとして出ます。

いびつなことに、養護学校など(あ、今は「特別支援学校」か・・・)を出た知的障害者などは、就労継続支援施設に入所する際に、障害の程度に関わらず全員まずA型に入れられるそうです。そこで万が一通所が可能でそれが一般就労に結びついた時は補助金がさらに下りるらしいのですが、大多数のA型にフィットしなかった障害者は一旦A型に入った後、B型に落とされる、という経過をたどらなければならないそうです。不自然な手間ですね。

知的障害者を取り巻く環境とともに、国の政策の雰囲気も分かったことと思います。このまず一般就労ありき、の考え。そんな中でソーシャル・ファームの考え方は、全く別のコンテクストで、障害者が、そして健常者が働くことについてのヒントを与えてくれているように思います。

授産施設も頑張っていて、というか非常にスマートで、実に様々な活動を展開しています。
今日お話をうかがった授産施設の場合では、例えば作業の結果得た収益でJCV(世界の子どもにワクチンを日本委員会)と協同してポリオや3種混合、100日咳、はしかなどのワクチンをミャンマーに届けたり、職員や利用者も(!!!)ミャンマー入りしてワクチンを現地の子供たちに接種してもらったりもしているそうです。実際、ミャンマーを体験した利用者は、帰国してから、まず挨拶をしっかりするようになったり、作業に対しても、自分の作業がワクチン提供という形でミャンマーの子供たちに役立っていることを認識していて、前にも増してやりがいを感じて作業に取り組むようになったとか。

またそういう派手な活動だけでなく、施設の通所者の障害特性、個別性に従って、適材適所で作業を割り振るように工夫しているそうです。例えば、ある障害者に対して作業がしやすいように、機械を手作りで作ってしまったりもしているそうです。障害は言うまでもなく人により様々で重さも違うわけですが、その人その人の固有の障害をそのまま受け容れたままできる作業を、施設側が工夫して考え出しているわけです。障害者福祉の理念にそのまま則った方法ですが、実現させるには相当なスマートさ、創意工夫、および現実的な実務能力など全てが求められます。

もちろん私も、私なりに生活介護というまたちょっと違った形態の現場ですが、日々考えて、工夫して、神経を研ぎ澄ませて過ごしています。言葉を極限まで選んだり、あるいは言葉を発するべきか発さないべきか瞬時に判断したり。しかしそれを差し引いても今の授産施設の人々の苦労と創意工夫の素晴らしさ、スマートさは敬服に値します。ソーシャル・ファームの考えなども含めて、お役人や政治や国に付き合っていくより、こうして新しい方法論・哲学・コンテクストで独自に活動を展開していき、障害者だけでなく、ミャンマーの子供達や、連携している農家など、そしてそれを司る障害者たちみんながハッピーになれる現場を作っていっているのを目の当たりにして、久々に興奮してメモをとるペンが走りまくりました。

余談ですがなぜミャンマーなのかを質問したとこと、JCVの指定でドネーションを行っている国のうちで安全、と言える国が5つあり、中でも最も安全な国、と言われたのがミャンマーだったからだそうです。利用者を連れて行く限り、利用者の安全は絶対です。また長らく続いた軍事政権も終わり、今ミャンマーがホット、ということもあるようです。タイミングが重要ということもあったそうです。
なぜワクチンなのか。それは子供たちが病気や障害を持つことを防ぐためです。ミャンマーで、この授産施設の方が、“この国に障害者はいないのか?”と訊くと“nothing.”と答えられたそうです。その意味は、障害を持って生まれてきた子供は、死産扱いになるそうです。悲しい想像をしなければいけませんが、障害を持って生まれてくると、ミャンマーでは受け皿も生きていく術もないのです。
私が去年カンボジアを旅した時も似た話を聴きました。現地の人曰く“この街に障害者はいない。”。

これらの国が今後どういう道を歩んでいくのか、まだわかりませんが、障害者といわれる人々が、生きていることで、そして一緒に過ごしてくれることで、たくさんのもの、ことをもらえることを知っている私たちは、世界中どの国でも障害者が元気に生まれ、育ち、そして私のまわりでそうなように、みんなに力を与え、みんなにとってこの世の光にしてくれる、そんな国になることを願ってやみません。
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by kento_ogiwara | 2012-12-06 20:57 | BLOG;社会福祉士として | Comments(0)

2年目の東北;女川・石巻を訪れて vol.6

2回目の東北ボランティア・バス・ツアーで女川・石巻を訪れた翌週、こんなイベントがあったんです。ズバリ、
おながわ秋刀魚収穫祭 in 日比谷公園!!!
です。
女川の瓦礫のうち、まず10万tにつき受け入れをした東京都に対するお礼にとして、女川でとれた秋刀魚10万tが無料で振まわれる、というイベントです。
おいしい女川の秋刀魚が、
焼き秋刀魚 5000匹
女川汁   10000杯
10匹パック 3000パック
無料で振舞われる、という大盤振る舞いです。

私もボランティア・バス・ツアーでお世話になっている法人から、秋刀魚の焼き部隊に誘われましたが、翌日の日曜が仕事だったため断念(だって焼き終わったら当然ボランティア仲間と100%とことん飲むでしょう。飲まないで帰るほど私はオトナではない。)、今回は楽しむ方、ということで握り飯持参でたっぷり女川の美味しい秋刀魚を堪能してきました。

ホントはこのイベントにもいろいろな人のいろいろな思いが込もっているのですが、今回の私の投稿では、ただただ楽しかったこの日比谷公園の雰囲気を伝えられれば、と思います。
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結局21万人もの来場者があったというこの日、行列に並んでいると、見えました!秋刀魚を焼く煙がもうもうと・・・。
そして!
やってるやってる!!!
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この秋刀魚の列が50mくらいかな、ずっと連なっていて壮観でした。
そして秋刀魚をゲットーッ!
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旨い!!!
女川の人は秋刀魚にしょうゆをかけないのですが、私もしょうゆはかけませんでした。しょうゆをかける必要がない程、新鮮で、生臭さがなく、塩を振るだけで本当に脂が乗っていておいしくコク・旨みもありながら、しつこさや生臭さが全くないんです。むしろしょうゆをかけちゃ勿体ない!という位そのままが美味しいです。
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T-シャツは女川福幸丸のメンバーが企画・運営する音楽フェスティヴァル、我歴ストックの手伝いで7月に女川を訪れた時に買ったもの、タオルは今月の2回目のツアーで泥カキをした蛤浜のタオル、手にもているのは女川のかまぼこ屋さんで震災直後から避難所を回って食料としてかまぼこを届けたり、最近では女川の再生のために多くの人々を従業員として受け入れている高政さんで買ったおいしいわさび塩。
ここには女川の小学生たちの夢が書かれている。
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女川の思い。
我歴ストック、来年もよろしく頼みます、飛べ!!!という女川福幸丸のメンバーの書き込み、さらには子供たちのヒーロー、リアスの戦士イーガーの、いいがあ~?おめだづ、よーっぐ聞け、女川の元気はオイが守る、というような書き込みもありました。
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ふと歩いていると、目を一瞬疑う。
え!?アレ!?えーと・・・、なんで!?
というのもそこにいたのはジャズ研の先輩で素晴らしいピアニストで作曲家のフクシマシュンさんが!!!
なんでも個人でこのイベントのボランティアに申し込んだそう。それで秋刀魚をボランティアで焼いていて、そこに秋刀魚を食べに来た私と鉢合わせた、ってわけ。
ビックリだ!
秋刀魚を焼くフクシマさん。
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もちろん忙しい中お話に応じてくれました。
フクシマさんも私たちとは別口で福島県いわき市にボランティアで行ったそう。
よく一緒に飲んでる時に、東北のことで心を痛めているのは知ってたし、よく話もしたけど、フクシマさんも現地に行ったんだなあ。
私“そっかー。まあ東京でヤキモキしてるより被災地に行っちゃったほうが心のモヤモヤが少し取れるよね。”
フク“うーん、現地のニーズに合ってて役に立ってたらいいんだけどなあ。”
私“オレが行ってるツアーのNPOの人は、ボランティアは参加した時点で成功、とも言ってるよ。”
などなどおしゃべり。
来年の女川・我歴ストックの手伝いのボランティアには一緒に行くことを約束して一緒に記念撮影。
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締めはコレ。
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女川汁ってなんでしょう?
お、何やら巨大なこのような鍋が何箇所かにあるぞ。
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そうです。
女川汁は、つみれ汁なのですが、女川汁のつみれは、や・は・り、秋刀魚のすり身を使っています。コレがまた美味しいんだあ・・・。
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見た目も綺麗でしょ?
ホントに味も綺麗で美味しい!!!

と、麗らかに晴れた秋の日、日比谷公園で女川の美味しいものを満喫したのでした!
美味しかっただけでなく、秋刀魚の焼き部隊だけでなく、お客さんの誘導など、いろいろなところで東北で女川や石巻で活動を共にしたボランティア仲間とも一気にたくさん会えたりして、それも嬉しかった。もちろんいっぱいボランティア仲間と写真も撮りましたが、まあ一応WEBなのでここでは貼るのはなしで。フクシマさんはなんか許してくれそうだからヨシとして(笑)。

本当にこういう形で人々が繋がっていくのがすごく楽しいです。
ボランティア・バス・ツアーも、こういったイベントでも、みんな最後には仲良くなって、楽しいんです。
この日もそんな1日でした。

そして最後になりましたが、女川の皆さん、ありがとうございます!&また行きますね!!!
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by kento_ogiwara | 2012-10-28 18:33 | BLOG;社会福祉士として | Comments(0)

2年目の東北;女川・石巻を訪れて vol.5

7月以来、2回目の石巻・女川へのボランティア・バス・ツアーに行ってきました。
前回の素晴らしい滞在もあったので今回はカミサンも誘って2人で行きました。
行ったのは牡鹿半島にある蛤浜の再生プロジェクトに参加。用水路や排水溝に詰まった泥をスコップで掻き出したり、ゴミを拾ったりしてきました。それ以外にも、その日、朝、捕れた海産物を使って、浜の漁師のお母さんたちによる浜料理調理実習、女川町スタディ・ツアー、夜はまた特産品・秋の味覚をふんだんに使ったバーベキュー、とほとんどグルメ・ツアーというほど美味しいもの三昧でした。
翌日は石巻スタディ・ツアーと、個人的には初めての石巻市街地へ。ここでも楽しい時間を過ごしたり地域の人と語らったり、復興マルシェで音楽を聴いたり、充実した時間を過ごしました。
出会った全ての皆さんに感謝です。
今回は写真レポートの形で報告させていただきます。

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蛤浜。
浜とはここ牡鹿半島ではこうした海沿いの漁業集落のことを指すそうです。震災前は9軒あった家が今は3世帯になったそうです。これからは漁業で浜を維持していくのが難しいため、住居を使ってカフェにしたり、ゲストハウスにしたり、キャンプ場を作ったり、新しい形で浜を再生するために被災者の方や支援NPO、ボランティアなどが中心となって取り組んでいます。ご覧のように綺麗なところです。被災された方もこの浜がやはり好きだ、とおっしゃっていました。

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再生するにも泥かきだー!ゴミ拾いだー!浜に注ぐ用水路が、先月のツアー・メンバーたちがキレイにしたのに、つい最近の台風17号でまた泥が詰まってしまったとのことです。しかし支援メンバーの方も、“自然の力って凄いですね~”、とある意味涼しげな表情。どっしりしてました。そりゃー、スコップで用水路に詰まった泥をスコップで掻き出すべし、掻き出すべし。
でも改めて。震災から1年半以上経っても、まだこうやって泥カキをしなければいけないところがあることは、場所によっては復興どころか津波のあと片付けすら終わっていない、つまり復旧も進んでいない、ということを物語っているな、と思います。

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海外の浜に注ぐ用水路の中に詰まった泥をスコップで掻き出していきます。
このように用水路の中に中腰ないししゃがんで入り、腕の力だけでスコップで掻き出していたら、股間の筋肉・背筋・肘のあたりの筋肉といいった普段使っていないところが筋肉痛になりました。約50cmの砂が10m、現地の支援団体の方々の見積では、最初は入り口4mくらいでタイムオーバーかな?と思っていたそうですが、ほぼ開通してしまいました。現地スタッフから、
“おお、マンパワー、すげえ!!!”
と言われたときは嬉しかったです。来た甲斐があったってもんだあ~!
今は津波被害の復旧には重機を使ったものが多くなってはいる段階かもしれないけれど、まだこうやって、人の手でなければできないところ、作業もたくさんあると思います。
あんなせまい用水路、重機ははいれないもんね。

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作業の後は、浜の料理を調理実習。何を作るかはその日獲れたものを使うため未定。講師は浜のお母さんたち、コースト・マザーズ JEENの皆様。さあ、今日は何が捕れたのでしょう?何を作るのでしょう?

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秋鮭です。定置網に3匹かかっていたそうです。朝まで海にいた秋鮭さんです。
秋鮭はメスでした。と、なると当然・・・、イクラです「!JEENのお母さんが最初鮭をさばき、まだ筋子状のイクラを取り出してくれました。ただイクラはそのまま食べてもいわゆるイクラの味はしないそうです。まず熱湯にさらしてイクラたちを覆っている膜をとり、さらに醤油につけて初めていわゆるイクラの味になるそうな。そのまま食べても鶏の卵と同じような味しかしないそうです。
頭やワタや筋子を取った鮭をみんなでワイワイガヤガヤ言いながら3枚に下ろします。ここでカミサン、立候補。そして、できた!!!

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喜ぶカミサン。
そしてさらに浜のお母さんたちのチャキチャキした指導のもと、ボランティア・メンバーたちでワイワイガヤガヤやって作っていき、ふんだんに秋鮭を使ってできた料理はコレだ!!!

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でけた!
左上はたこ飯。しょうゆ漬けしたイクラをガッツリとトッピング。昇天するほどウマイ。
右上は鮭の三平汁。幸せが滲み出るほどウマイ。
手前はさらに鮭とイクラとパン粉とチーズを蒸して簡単かつおいしいミニグラタン。これも美味しかった。
これをみんなでこの蛤浜再生プロジェクトのリーダーである先生の家で、さながら合宿のように食べた。ボリュームすごくあって、実際たこ飯は余った。余ったものは夜のバーベキューに回すということで釜ごと携帯した。
イクラはさすがに痛むのでその場でみんなでおかわりして食べた。
たぶんこのうまさは皆さんの想像する旨さを遥かに超えてくる旨さだと思います。正直私も、こんな旨いとは想像だにしていませんでした。

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午後、女川へ。
アーカイブされる予定の建物の基礎ごと引っこ抜かれて横転したビルディング。7月は歩いて下まで行けたのにこのように水の中にあったので、そのことについて訊くと、満潮だから、とのこと。・・・。地盤沈下で1mくらい地面が下がったこととかあるけど、ホントに海の近さがちょっと怖かったです。
女川に押し寄せた津波は18m。地盤沈下で地面が1m下がっていたことを考えると19m。
女川の津波を免れたかまぼこ屋さんで、震災後色々な避難所を極寒の中、ガソリンも少ない中回って人々にかまぼこを届けた高政さんを訪れたとき、店長の方が当時の映像を流しなからお話をしてくださいました。この19mの津波を、“壁”と表現していました。
このかまぼこの高政さんは女川の復興にかなりのリーダーシップを発揮している様子で、店内でのそのような映像とお話をいただけるほか、女川の雇用を確保するために、積極的に人を受け入れ、従業人の数は震災前よりも多いそうです。
かまぼこの試食もさせてもらって帆立のものなど凄く美味しかったです。あと塩も売っていて、わさびの塩が凄く美味しくて思わず買ってしまいました。

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夜はバーベキュー。
写真の帆立のほかに、女川の旬の秋刀魚が食べきれないほど、石巻のソウルフード・石巻焼きそばと石巻ホルモン、さらには東京で出てくるものが凍った丸い紙切れに思えてくるような本格的な牛タンなど、旬のもの、秋の味覚、ご当地グルメを満喫したのでした。もう今回のツアー、グルメ・ツアー?っていうくらい。
この時間はまたキャンプ・ファイアが焚かれていました。この火を囲んで被災者の方々のお話を伺うことができました。
今回もトリップを通じて色々な被災者の方々の話を伺うことができましたが、もう被災された皆さんの気持ちを思うとホントに言葉が出ないです。とにかく言えるのは、話してくれて本当にありがとうございます。私たちは伺ったお話や思いのことを忘れません、ということです。
翌日行った石巻市街では被災して家族を失ったおばさんが、私たちと話しているときに、“この間もボランティアの人が来てくれて話をしていたら、ようやく涙が出た”、とおっしゃって、やはり涙を見せていました。あの日から、泣くのに1年半以上かかった。それまで泣くことさえできなかったのに、ようやく泣けるようになってきた、というおばさんに、私は別れ際に“またね!”と声をかけてきました。
建物や道路、ハード面ばかりがクローズアップされがちな、“復興”という言葉。
心の面での立ち直りにはもっともっと時間がかかる、と思いました。私たち外部の人間は家族や友人を失ったり、目の前で死んでいく人を助けることができなかった被災者の方々の心を、どうすることもできないかもしれません。でもせっかくこの土地と出会うことができたのだから、長い時間をかけて、ゆっくりと、徐々にでも人々が立ち直っていくのを寄り添って見ていけたら、と思います。
この夜は結局午前零時までボランティア・メンバーやスタッフたちと酒を飲んで楽しみました。すぐに色々な年代の、いろいろなところから来た人たちと友達になれるのがこのボランティア・バス・ツアーのいいところです。遅くまで飲みました。誰かが買った、がんばっぺ!女川!という酒が旨かった。ほとんどボトルを手放さず、手酌でグビグビ飲んでしまいました。しかもものがいいのか、二日酔いなどにも一切ならなかったです。
宮城県は日本酒のおいしいのがたくさんあるらしいですよ。

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翌日、石巻のスタディ・ツアー。
被害が甚大で“壊滅”した、という石巻の門脇(かどのわき)地区。津波の高さは6m。ここら辺一体は何もありません。ところどころにわずかに数えられるくらい家が残っていますが、現在身元不明の方の住居で、個人のもののため、現時点でも取り壊しがされていない、という理由で残っているそうです。
被災者の方にここでも話が聞けて、辛いことを思い出させてしまいましたが、あの日のここでの状況について伺うことができました。写真は門脇地区でも高台近くの方で、高台の上に逃れた人は助かったのですが、その高台の下では火事が起こり、多くの人が火により亡くなられたそうです。高台に逃れた人々も、生きたまま火で焼かれ、助けを求める声を聴き、そしてやがてその声が消えていくのにどうすることもできなかったそうです。
とても辛い話です。
お話をいただいた方も、最初は話はガイドさんからもう聞いたでしょ、と言って、話したくなさそうでしたが、ふと堰を切ったように溢れ出てくる気持ちがどうにもならない、というように話してくれました。ほとばしるかのようでした。思い出すこともましてや話すことも辛いことに違いありませんが、話をしてくれてありがたく思います。私もこうした話を伝えていければ、と思います。
お話をしてくださった方から、ワカメを買いました。試食もさせていただきましたが、ホントに美味しかった!身もしっかりシャキシャキしていて、磯の香りが良かったです。このワカメは葉の先っぽの方ではなく、より芯に近い部分だそうで、そうでないとこのおいしさは出ない、とおっしゃっていました。ホント、私、三陸のワカメ大好きです。

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その後、石巻市街へ。
ここは魚屋さんです。たくさんおしゃべりしました。ここのこのおばちゃんが絵を描いたり音楽をこよなく愛し、フルートやバイオリンを弾くほか、歌も歌うとのこと。しかしそれにしてもおばちゃん自体が芸術でした。まずしゃべりがサイコー。様々なおばちゃんの描いた絵を見せてくれたり、ここは魚屋かよっ!?って感じでした。
で、始まっちゃいました。おばちゃんによるミニ・コンサート・イン・おばちゃんの魚屋。フルートによる演目は“白鳥の湖”です。このあともイタリア語でプッチーニの“蝶々夫人”から一曲お歌をいただいたり、ドイツ語でもいただきました。おばちゃん、まじすげえ。。。おしゃべりも抑揚が面白く、語尾が“・・・である”が多くて独特で面白かった。名刺もらったから魚を注文しようか考えている。

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この日は商店街は子供の街。ホコ天になっています。みんな元気。いっぱい遊んだり、AKBの歌を歌ったりしていました。そして商店街も栄えていて、初めて石巻の市街に来る私はなんだか凄く嬉しかったです。
ほかにも作品とお客さんのインタラクティヴなコミュニケーションが面白いギャラリーがあって面白かったです。、自分の“アイデア”を紙に書く、というスペースがありました。アイデアは実際に言葉に出して言ってみたり、紙に書いたりすることで、もうすでに実現しているのだ、と。何を書いてもいいので、私は、“石巻か女川に移り住んでジャズ・バーを経営する。自分でも時々ピアノを弾く。”と書きました。あとラブレター・コーナーもありました。カミサンも参加。誰かに書き、それを投函すると、誰かからのラブレターが出てくるようになっていて、カミサンも誰かにラブレターを書き、そして誰かからラブレターをもらっていました。
こういう空間を使った表現、ギャラリーって今まであんまり興味なかったけど、ぶっちゃけ面白かったです。ここのギャラリーをやってる方は女川在住とのこと。おもしろいアーティストが女川には多いなあ、と思います。このアーティストの繋がりは海外ともあるそうで、“Field Trip Project”、遠足プロジェクト、という名前がついています。興味がある方は検索して見てください。

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石巻復興マルシェ。10軒近くの商店が軒を連ねていて美味しいものたくさんおいてます。マルシェ、って市場のことらしいですね。ここではカニ汁食ったりソフトクリーム食ったりしました。
そして、ご覧のようにこの復興マルシェには、常設ステージがあるのです!私が行った時にも生演奏中、アコースティック・ギターとパーカッション、ピアニカによるレゲエバンドの素敵な演奏が聴けました。オリジナルの曲の中にボブ・マーリーの“get up, stand up”を挿入したりしていました。力強い演奏でした。いいなあ、羨ましい。こう、土地に根ざしたネイティヴなパワーが出てて。憧れます。
音楽がある町ってホントに素晴らしい。
この復興マルシェのステージには例えばオルガンのKANKAWAさんなども出演予定で、スケジュールを見ると、かなりそうそうたるメンバーが出演しています。私もいつかこの土地で、演奏できるようになりたいなあ。
オマケに写真をもう一枚はろうと思います。
石巻市街地、こどもの街石巻ホコ天での1枚です。

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足元を見れば・・・。
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by kento_ogiwara | 2012-10-18 23:11 | BLOG;社会福祉士として | Comments(0)

2年目の東北;女川・石巻を訪れて vol.4

随分とブログで1ヶ月ほど前に訪れた女川・石巻についてのレポートが滞っていました。
本当はここでもう一度記事を書くよりも、ボチボチまた現地に足を運びたいな、と思うのですが、まだ引っ掛かりがあるので、下手な記事になるとは思いますが、しばしお付き合い下さい。

最初に言っておきますが、今回の女川・石巻のレポートにおいて、私はできるだけ、“みんなにこういう意見を持ってもらいたい。”、とか“みんなにもこうしてもらいたい。”、といった文体は避けているつもりです。この記事も、あくまで皆さんに何かの意見を持ってもらいたい、というものではありません。

2年目、東北に行こうと思っていたとき、私は、宮城県に行こうと思っていました。
東日本大震災はもはや原発のことでしかメディアや政治の世界で取り上げられなくなっていて、でも私には今回の震災は、津波のショックが大きく、また自分がそれまでの人生で、原発問題について真面目に向かい合ってこなかったことから、私は原発問題に関して意見したり、アクションしたりすることに及び腰でした。だから黙ってずっと極力節電をする、という原始的な、身体的なアクションを密やかにやっていました。そうすることくらいしか私には自分が納得できる行動というものがとれなかったのです。
さらに今回の震災後、人々の関心やメディアや政治の話題が原発に絞られていくなか、津波による被害は放っておかれ、忘れされていっている、という認識がありました。だから私は広い東北の中でも特に津波の被害が甚大だった宮城県の女川・石巻を選びました。その勘は当たっていて、例えば津波によって生まれた瓦礫のうち、1年4ヶ月経って、片付いたのはまだ全体の14%という数字に当たったりしたことは前の記事にも書いたと思います。

結論から言うと、女川にいた2日間、ボランティアのメンバー、NPOのスタッフ、現地被災者、様々な人と話をしましたが、“原発”という言葉は一度も聞かれませんでした。

抵抗はあるのですが、現地で撮った写真を最小限載せたいと思います。
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建物が津波で倒れ、基礎部分から根こそぎ横転しています。
こういったことは稀なことなので、今後の津波のメカニズムを研究する上でもこのまま保存される予定だそうです。
女川を襲った津波の高さは19メートル。
19メートルって言っても想像つかないですよね。
しかも19メートルの高いものが来た、というよりそれが横幅も持って、立体的に土地を丸呑みにするように来たわけですから想像を絶します。
19メートルってどんな高さでしょう。
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これは津波が来る前に人々が逃げた海辺の高台の病院なのですが、この写真をよく見ると、病院の1階部分が色が違うのがわかるでしょうか?
この少し色が濃いこの高台の病院の1階の天井部分まで波が来たそうです。
だから病院に避難した人はさらに迫り来る波から逃れるため、さらに高台にある神社まで避難したりもしたそうです。
繰り返すようですが、それが一箇所でなくまるで平面全てを飲み込むように、あるいは巨大な19メートルの立体が海外線にかけて全て衝突するように来たわけです。
実際にその土地を自分の足で歩いてみて、戦慄しました。というよりも、自分の足で歩いてその土地に立ってみても、それでも想像を絶するものがありました。
ちょっと想像できなかったです。
瓦礫はある程度は片付いて、女川の数箇所にまとめられて、今は女川の海岸線はこのようになっています。
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海岸線といっても、これは見てのとおり坂道をある程度上ったところなのですが。
このように、かつて家が立っていたところは、基礎部分を残してさら地が広がっています。海辺には先ほど載せた写真のように基礎からひっくり返った建物がもう2つあって、それ以外は何もありません。

今回参加したボランティア・ツアーは女川の若者たちが企画した我歴ストックという音楽フェスティヴァルの会場設営の手伝いでした。我歴ストックの我歴には、瓦礫は我々の歴史だ、との思いから瓦礫を我歴とあててウッドストックに因んでネーミングされています。
よく言われることですが、瓦礫、と一口に言っても、実際はどの瓦礫も全て津波以前は何かの物、道具だったり、家具だったりするわけです。
とても痛ましいのですが、これは石巻の渡波(わたのは)地区での1枚ですが、瓦礫が何かの、誰かの「物」だたことがわかります。
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こういう状況の中でか、前述したように“原発”という言葉が聞かれることは2日間で1日もなかったです。
イロニカルなことに女川にも原発があります。
私が行く前にどこに行くのかと訊かれ、女川だ、と答えると、ああ原発があるところね、と言われました。そこで浅学な私は初めて女川に原発があることを知ったのですが。
原発という言葉が被災者から聞かれなかった。そして被災者や我歴ストックを手掛ける女川福幸丸の若いメンバーだって、家や家族や近親者や友人などを失った中、とてつもない悲しみを乗り越えるか、あるいは乗り越えようとしていて、とにかく私の筆舌では及びもつかない状況から、必死に、そして元気にたくましく復興を目指して頑張っている。そんな中で、私のように外側から来た人間が、“ねえ、ところで君は原発についてどう思ってる?”なんて口が裂けても言えない。というか、私もある程度の感受性は持っているので、あの土地で、あの福幸丸のクルーたちと接していて、そんな言葉、発想は全く出てこなかった。今でもとにかく彼らの力になりたいと思うし、彼らがこれからの女川を決めて、作っていくのであって、私たちはそれを外側から、出来る範囲で支援していきたい、と思うのみだ。

今職場に実習生が来ていて、その子は福島県いわき市出身なのだが、少し話をした。
原発のことばかりで、津波の被害のことが全く報道されない不思議さを彼女も話していた。いわき市も津波による甚大な被害を受けた。映画“フラガール”の舞台でいわきの象徴たるスパリゾートハワイアンズも震災後は建物の損壊で一旦は閉館が決まったんだ。きっとみんなが頑張って、今はもう復活して営業してるけど。
いわきの彼女は実家が農家らしく、風評被害については言わずもがな。彼女自身は、“(放射能を)気にしたほうがいいのかな~、と思ったりもしてたけど、家族はみんな(とれた農作物を)食べてました。”と言っていた。また家族から東京で過ごす娘のためにせっせと取れた野菜を送ってくるのでそれは食べている、と言っていた。

わかっています。
みんな立場が違うし、意見も、感じ方も違う。
だから何度でも繰り返すように、みんなに、これこれこういった意見を持ってもらいたい、とは一切思っていません。
ただ震災の報道が原発に傾きすぎて津波被害や瓦礫の問題がなおざりにされていることに対するジレンマ、また原発報道に伴って広がる風評被害に気仙沼の漁師からいわきの農家まで苦しんでいる、ということに私はなんともやりきれない思いを持っています。それは本音です。
でもこれは私の私見なので、皆さんにも同じように感じてくれ、とは言えないし、また私はいう立場にないとも思っています。

ただこれだけ原発による被害が甚大で、当然、この国に住む人が、原発について考えさせられることも今までになかった。これだけの被害を受けたのだから、ケース・スタディはもちろん、もう一回みんなで考え、みんなで今後の電気について考えていくのがいい、と思います。
これだけの被害を無駄にしないためにも。
私が言えたことではないかも知れませんが、これは私の原発についての呟きです。
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by kento_ogiwara | 2012-08-14 00:32 | BLOG;社会福祉士として | Comments(0)

“重度”障害者との充実したコミュニケーションのために

実に1年強ぶりの社会福祉士として現場の経験から書く記事になります、
それも1年強前に投稿した記事は、介護福祉士の試験制度を取り巻く状況に対する疑問符的な記事でした。私は今回、職場である知的障害者の支援においての記事を書こうと思います。これは実に1年8ヶ月ぶりのことです。それまで何も考えず、何も感じず、何の気づきもなく仕事をしてきたのか、となると、確かにかなり思考停止気味になっていた面もあります。しかしそれでもあそこで過ごすようになってもうゆうに4年半、だからこそじわじわと蓄積されてきたものがあり、やっと今だからこそ呟くようにそれらについて話すこともできると思います。

先日、職場の研修で、私の勤める法人が運営するもうひとつの施設である重症心身障害者施設の話を聴くことができました。
まず私が日々を共にしている知的障害者と、この重症心身障害者の違いについて説明します。
まず、この重症心身障害者、の重症とは、症状が重い、のではなく、知的障害と肢体不自由の重複のことであり、この症状を重複して持っている、ということから重症心身障害者、と呼ばれています。
ただこの施設では知的障害も重く、例えば摂食動作も難しくミキサー食による全介助が必要だったり、発語の全くない方もいたり、寝たきりの方が多数を占めているそうです。
当然、私の勤める施設とは雰囲気も支援員の動き、あるいは活動のプログラムも変わってきます。私の勤める施設も重度の知的障害者の中で過ごすわけですが、体は元気、もう毎日走り回ったり考えたり、まあ、平たく言うと、サッカーをしているような状態に近いです。オシム元サッカー日本代表監督の言う、考えて走る、にまさに近いのかな。それプラス言語的なあるいは非言語的な(最近思うのですが言語的なと非言語的な、は同じようなものだと思うのですが。だってどちらも言語的でしょう?少なくとも動き、というか。私はこれを行為とよんでいるけど。)コミュニケーション、第六感を含めてフル稼働で働かせて動くわけです。サッカーに似ていませんか?

私の勤め先がどれだけ動きの多い空間か少し伝わってくれれば嬉しいです。
コミュニケーションについても言語的であろうが非言語的であろうが、まあその境目もわからないのですがとにかく全く困りません。利用者たちは社会的に言えば重度知的障害者たちですが、もういい加減、みんなとコミュニケーションに困る、ということは全くありません。むしろ一部の健常者との方がコミュニケーションが難しい、と感じることのほうが多くなってしまいました。
そんな中でも、当然利用者にも個人差はあるので特に、重い、人に対してはコミュニケーションが取れないなあ、という感想があったのです。恥ずかしいことなのですが。そういう人はこういう私に対して怒りの鉄拳でも入れてやればいいのでしょうが、それも重いゆえできない。このことが最後にして究極の引っ掛かりになっていました。

そこに先日の重症心身障害者の支援にあたってきた人の話を聴いて、これは新しい・・・、とても重要な見方だ、と思ったことがありました。曰く、
(その人が)重度だから、といった考えを持ってしまうのはどうか?
ということ。
重度、ということである程度説明をつけてしまって支援者側が考えを固めてしまうことの危険性。
確かに、極端な話、私がかつて1ヶ月で逃げ出した高齢者デイ・サービスがあるのだけれど、そこでは、寝たきりの要介護度の高い利用者を、“寝たきり”で、“預かり”とまで職員が言ってしまっていた。そして実際に職員がその方に関わっていったり、体を動かす介助をしたりするところを見ることはできなかった。重いし、寝たきりで、モノも言わないから、ただ“預かり”をしていた。
こういった露骨な施設もさることながら、私たち支援者はみんなこのことを考えていかなくてはならないのではないだろうか。

お話の中で、そういう“重度”の人でも、こちらからの様々働きかけで、色々な反応、新しい行動、考え、意思表現、その他もろもろを見せて、あるいは支援者側に気づかせてくれるようになり、結果的に、移動を含むその方の行動範囲も広がったそうです。

どんなに“重度”であったり、意思の表出が一見見えにくそうな方でも、要は、こちら支援者側の感受性の高さ、相手の様々な意思や行動や行為を察知して受け取る能力などによって、コミュニケーションの豊かさも変わってくる、ということです。
寝たきり、座ったきりで動かない、口もきかない、文句も言わない、だからってその人が何も感じていなくてただ寝てるだけ、座ってるだけ、というわけではないのだ。
主張がないからコミュニケーションが取れない、のではなく、支援者側にその人の主張を察知する能力が欠けているだけなのだ。逆に支援者側にそのもっと“重度”の人の主張や欲求や様々な行為を察知してそれに応えていく能力があれば、コミュニケーションや双方のインタラクティヴな会話がもっと増える、ということだ。

これは新しい考えに触れた、と思った。
そして自分を省みて、自分も、重い人に対して、コミュニケーションの少なさを感じていた、しかもそれを利用者のせいにしていたことに思い当たった。ただ単に私に“重度”の人とコミュニケーションをとっていく能力や感受性が欠けていただけだったのだ。
さっき1ヶ月で逃げ出した寝たきりでモノを言わない高齢者を文字通り“預って”いただけの施設をコケにしたけど、私も似たようなものだったな、と思う。
支援者側のさらなる成長と能力の向上、感受性の豊かさが双方のコミュニケーションを活発化させ、さらには“重度”の人の活動範囲も広げたケースを聴けたことで、私ももう少し頑張って支援員、臨床家として成長していかないとな、とまだまだある伸びしろを見せてくれたいい研修でした。

同じように知的障害者、重症心身障害者、認知症高齢者、あるいは精神病、といった、健常者とはまた少し違った認知世界を生きる人々の支援に当たっている人で私と同じように悩んでいた人が、この記事を読んで、発見があって、より楽しく支援にあたるためにも、より支援者側が考えて成長していこうと思ってくれたら嬉しいです。私ももう少し頑張ってみようという気になりました。
“重度”の人々との支援関係をより楽しく、コミュニケーション豊かでやりがいのあるものに変えていきましょう。そうすることが自分たちはもちろん、利用者が喜ぶことになるのではないでしょうか。
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by kento_ogiwara | 2012-08-06 00:19 | BLOG;社会福祉士として | Comments(0)

2年目の東北;女川・石巻を訪れて vol.3

さてさて、今日は先日の女川・石巻へのボランティア・バス・ツアーでの体験から、ズバリ、東北の美味しいもんについて書かせていただきます。

今回のバス・ツアーでは、女川での音楽フェスティヴァル、我歴ストックの会場設営の仕事の手伝いに行ったわけですが、もちろん、現地添乗員の方がバスから東松島町・石巻・女川といった地域の津波の後の風景を見せてその説明をしてくれたり、時にはバスから降りて実際に自分の足で歩く時間を作ってくれたりもしました。
そんな中、食べることが大好きな私、石巻から女川に移動中、海にたくさんの牡蠣の養殖をしているのが見えて大興奮!思わず写真に撮ってしまいました。
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石巻の牡蠣についてはいろいろ聞いてたし、美味しい牡蠣がもうだいぶ揚がってる、ってなことも聞いてました。
もともとカミサンが広島で、広島も牡蠣の盛んな地域。美味しい牡蠣をカミサン方の家族からよく送ってもらって、何度も舌づつみを打ったものです。広島の牡蠣は1月から2月初旬位が旬なのですが、東北の牡蠣は11月位から出回り始めますよね。私も近くの安い回転寿司屋とかで11月以降は気仙沼の牡蠣などを毎年楽しみに食べていたものです。
去年は残念ながら美味しい東北の牡蠣を食べることはできませんでした。
牡蠣は種つけから水揚げまでに2年かかると聞いています。
震災で全て流されて、その後、必死に東北の漁師たちは牡蠣の養殖場を復活させましたが、まあ1年で出来るものではないし、とにかく食べる機会に会わないまま去年は過ぎ去ってしまいました。
しかし!
写真を見てください!
コレは期待が持てそうですねー!こういう風景がかなり長いこと続いていましたよー!
2年目、今年は2年ぶりに気仙沼や石巻の美味しい牡蠣を堪能したいと思います。

あと女川は秋刀魚が盛んとのこと。脂が乗って美味しいそうです。
9月に日比谷公園で、女川の秋刀魚フェスティヴァルをやるそうなので、是非行って食べたいと思います。もしかしたらボランティアで秋刀魚を焼く方に回るかもしれませんが。いずれにせよ堪能したいです。

あと、これは女川・石巻ではなく気仙沼の話なのですが、遂に!!!、昨日、回転寿司屋で食べました!!!
凄く美味しかった!!!!!
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気仙沼の人々の不屈・気高さを知るために、まず私のこのブログのバックナンバーを見てください。震災発生から3ヶ月余り後、7月1日の記事です。
“気仙沼のこと”

これが遂に行きつけの回転寿司屋にも来たあ~!!!
もう季節的にこれは戻りガツオですな。
気仙沼の美味しい海産物を食らう機会が遂に来たあ~!!!
頼んだ~!!!
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旨かった~!!!
いや、ちょっと魚好きな人なら、この写真だけで、あ、こりゃ美味いわ、と分かることでしょう。
いや実際、カツオ独特のあの生臭さがほぼ皆無で、スッキリ上品な味わい。それでいてコクもしっかり!肉質がしっかりしているので歯触りもいい。
うまいもんをわかってるお客さんがほかにもいて、大人気の気仙沼の戻りガツオ、私がいる間に完売となっていましました。。。
東北の美味いものがこうやって徐々に私の生活範囲にも戻ってきているなあ、と感慨深くもあり、美味しさに浸っていると、さらにこのような写真が・・・!
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頼ませていただきました。
ハイ。
もうVIVA!東北のうまいもの!です。
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このワカメが美味いか?というのなら、ハイ、もうコレは私の知っているワカメではなーいのです!
まず乾燥ワカメじゃなくて生ワカメだし。
しーっとり。
美味い。
いつもワカメと言えば、松屋の味噌汁に入ってるワカメとかしか食ってないので・・・。
世界が違います。
はあぁ~・・・、ホント、贅沢だなあ・・・。

あ、なんかボランティア・バス・ツアーの名をカタリながら、すっかり。東北うまいもんレポートになってしまいました。しかしホントにおいしくて・・・。食い意地がはってはしたなくてすみません。
因みにトドメのようですが、今回のボランティア・バス・ツアー、1泊4日の強行軍でしたが、その1泊は鳴子の温泉宿に泊まって、さらにそれこそ東北の旨いものの粋を集めた晩御飯をご馳走になっています。
当然、アレもありましたよ・・・。
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牛タン!!!
贅沢してゴメンナサイッ!
でもやっぱり美味しかった~!!!
これを野菜とバターとで焼いて、塩ダレで食べたの。
いやー、うまかったねえ~。
これだね。。。
最高だぁ・・・。

と、ホントにだらしない東北グルメ・レポートになってしまいましたが、今後も秋の女川の秋刀魚、11月以降の石巻や気仙沼の牡蠣、当分楽しみが続きそうです。
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by kento_ogiwara | 2012-07-29 18:09 | BLOG;社会福祉士として | Comments(0)

2年目の東北;女川・石巻を訪れて vol.2

前回の投稿に引き続き、フェイスブック上での友人たちとのやりとりをブログにアップさせていただきます。
前回の投稿の続きのやりとりです。

友人B
> “ボランティアは誰のためでもなく、自分の心の安定のた​めにするものだ、と割り切って参加してもらいたい。”
> そのおじさんは「寄り添っていて欲しいんだ。」と応えて​くれたそうです。
この2つが筋通って結びついているというのが今の自分の​感覚です。うまくいえんけど。
7月19日 23:02 · いいね!.



全てが出会いの中でのできごとだよね!
日曜日 1:31

友人S

ブログを読ませていただきました!私のつたない文章まで​活字化して下さりありがとうございます。
ボランティアは自分のためと割り切る、というのを聞いて​なんだか気持ちが楽になりました。私は今までに日本や海​外で色々なボランティアをしましたが、いつも誰かのため​というより、自分の好奇心や経験のためという感じでした​。そしてそんな自分に嫌悪感がありました。しかし荻原さ​んのブログを読んで、自分のためにやってたまたま誰かの​役に立てたらラッキー★くらいでも良いのかな…と思いま​した(^^)/​ そんな気持ちでは本当に人のためを思って参加している人​に怒られてしまうかもしれませんが…。しかし結局はみん​な、誰かの役に立ちたいという自分の欲だったり、頑張っ​ている自分が好き、であったり、自分へプラスの要素がな​いと頑張れないのかな…とも思います。そんな自分に嫌悪​感を抱くのではなく、そんなもんだと割り切るのはすごく​良いですね!さらにパワーが出てきます!!私はそんな風に感​じました(*^^*)
14時間前



そういう風に感じていたんですね。まあボランティアをど​うとらえるか、で引用したイスラマバード在住のトクナガ​さんの意見はまあ、かなり刺激的ですよね。ボランティア​は誰のためでもなく、自分自身の心の安定のためにするも​のと割り切って参加してもらいたい、とか、あくまで、自​分にできることをできる範囲で、とか。ホントはトクナガ​さんはさらに、100人の難民のうち、10人に支援を与​えたら、90人の恨みを買うものと考えよ、というような​ことまで書いてるんですよ。ほかにもアフガニスタンの難​民支援の人間に女性が多いことが困ったものだ、というこ​とも書いていました。イズラーム国家であるアフガニスタ​ンでは、女性は自分の夫以外の男性に顔も見せないのが基​本。私が行ったパキスタン、北西辺境州でも女性たちはブ​ルカで全身を覆い、私はほとんど成人女性の顔を見ること​もなかったです。そういう土地で女性が顔丸出しで歩かれ​ては困るわけです。極端な話、そういうこともあり得ます​。
まあ、トクナガさんの住むパキスタンやアフガニスタンで​のことを一般化して考えることはありませんし、アフガニ​スタンはアフガニスタンで、女川・石巻は女川・石巻です​。それぞれ別で考えていいと思います。
でも私はまさにトクナガさんの言う、「自分の心の安定の​ため」というのがマッチしてました。だってずっと東北の​ことが気になっていたんです。震災・津波で東北がどうな​ったのか、テレビの映像などで見てショックを受けて、シ​ョックを受けたまま、勝手に憂鬱な気持ちに東京でなって​いたんです。もちろん悲惨で悲しいことが起こったのです​から、それも自然な話かもしれないですが。
たまたま去年はカミサンが東京の味の素スタジアムに避難​してきた避難者のためにボランティアで立ち働いていたの​で、自分はその間生活を支えるんだ、そうすることで自分​も幾ばくか避難民の役に立ってるんだ、と自分を納得させ​ていました。今年はそんな中、Sさんともやりとりした​ように、自分が行こう、と思っていた2年目を迎え、今回​幸運にも行くことができたわけです。そして、さらに幸運​なことに、女川や石巻で、素晴らしい人々との出会いがあ​り、自分が被災者の役に立ったかは皆目見当もつきません​が、私はずっと震災・津波から引っかかっていた胸のつか​えが少しとれた気がしますし、被災者たちの生きている姿​、その輝きや、同じボランティア・ツアーに参加した人々​の魅力や、繋がりの中で、自分の中にあった心のつかえが​とれて、元気になって、つまり元気をもらって、今でもこ​の女川・石巻での日々と出会った人々のことを考えると、​日々の生活の中でたまったうさも晴れたり、スッキリした​気持ちにさせてくれるんですよ。
ボランティア論的なことはよくわかりませんが、とにかく​私の場合はそうでした。
東北のこととなると、今回私が参加したボランティア・ツ​アーのように、いわば、敷居の低い、ツアーがたくさんで​ていると思います。もちろんツアーの内容、被災地の状況​などによりいろいろなタイプの経験があると思うのですが​、ボランティア・バス・ツアーの敷居で低いものがあるの​は嬉しいことです。特に今回は音楽好きの私にとって、女​川での音楽フェスティヴァルの手伝いをする、というのは​自分にとってとてもすっと入りやすいものでした。しかも​オマケに音楽フェスティヴァルも想像をはるかに超えて素​晴らしいもので、本当に涙が出るほど感動しました。

なんか、旅行にいってきた人の文章みたいですね。でも、​なにはどうあれ、これからもたくさんの人が被災地を訪れ​ることが必要だと、感じさせられます。特にツアーで一緒​だった高校の先生をなさっている方が、ツアー後生徒たち​に女川・石巻の被災した跡の写真を見せると、生徒さんか​ら「テレビとかで最近やってないからもう復興してるのか​と思った!」と驚かれたそうです。私は普段からテレビを​あまり見ないので知らないのですが、その様子を聞くに、​東北の被災地のことはやはり時間が経つにつれ少なくとも​マスメディアの間では風化されているようですね。
でも実際津波で生まれた瓦礫のうち片付いたのはまだ14​%、まだまだなんです。風化されちゃ困るんです。ホント​は素晴らしかった女川・我歴ストックの会場となった運動​場のある山の裏手には瓦礫の山がうず高く連なっていて、​そこは片付かないままなんです。しかも女川・我歴ストッ​クを主催している女川・福幸丸のクルーの家たちも津波の​前はそこにあったんです。前の投稿で書いたようにまだま​だかかるんです。3年、4年、5年、あるいは10年かか​るかもしれないんです。だから行ける人はどんどん被災地​に行った方がいいんです。行けば、被災地を知ることにな​るし、そこで、かけがえのない被災者・被災地との繋がり​を持てるはずです。極端の話、旅行とかでもいいと思うん​です。行くことで例えば被災地で買い物一つするだけで、​その分、お金が動くんです。震災・津波でダメージを受け​た地元経済を動かすことになるんです。

現地の被災者たちはボランティアのことをどう思ってるの​かな。もちろん立場が違いすぎるのでよくわかりません。​ただ女川福幸丸のブログを見ると、全国から集まったボラ​ンティアの人々への感謝の気持ちが書いてありました。そ​して訪れたボランティアの人々に、女川で見たものをみん​なに伝えて欲しい、ということも書いてありました。
我歴ストックの開演のスピーチをした女川町長も我歴スト​ックに協力した全国のボランティアに感謝の気持ちを伝え​ていました。そして、自分たち女川の人々はあの日。たく​さんの大切なものを真に残念ながら失ってしまった、しか​しその後、生まれた沢山の出会いが自分たちを支えてくれ​た、ともおっしゃっていました。そして我歴ストックを来​年からも続けること、去年の第一回復興編、そして今回の​奮闘編、さらに来年も開催し、5年6年7年10年と続け​ていき、その時女川復興している時、我歴ストック勝利編​をやろう!と福幸丸船長と誓い合っていました。私はそこ​に、長い目で、できる範囲で、微力ながら可能なレベルで​繋がっていき、勝利編までの長い旅路を共にしたい、と思​っています。あ、コレ、パクリです。我歴ストックの出演​者Ricky-Gさんの歌の一節で、“そう 曲がるべき​角で僕らは出会った、 長い旅路を共にするため”。Ri​cky-Gさんの『am08:59』という曲の一節です​。私はそこでそれまで溜まってたものが溢れたのか、ああ​、そうだったんだ、と腑に落ちたのか、不覚にも泣いてし​まったのですが、本当にこれから復興までの長い旅路を共​にするために僕らは出会ったのだとも言えると思います。​まあまた私見ですが、この一節はあらゆる出会いに関する​ことにも当てはまるような気がして。そんなこんなでなん​かいろいろあって泣けてしまったのですが。。。
ちょっと私事で盛り上がってしまいました。
少し戻りたいのは、我歴ストックの開演スピーチで女川町​長が言っていたことがあります。地域を再生させるのは国​や政治じゃない。福幸丸のクルーの若い力を始め、この​土地に住む、俺たちの力でやるんだ、と。実際先ほども書​いたように私はテレビをほとんど見ないのでマスメディア​がどうなってるのかよく知りませんが、たまに駅の壁新聞​を見たりすると、日本のとある一地方である東京の、一地​域である永田町だかなんだか知らないけど、いわゆる政治家の人たちは、日本のこと、あるいはこの​世界のことと全く無縁なことをやっているように思えます。​特に被災地への関心も大してなさそうだし日本で何が起こってい​るのか、とか人々の生活がどうなっているのか、とかそう​いうことと無縁になんか私たち日本人とは関係のない所で​関係のないことをやっているように見えます。まあそうい​うどうでもいいことが駅の壁新聞にまで出てるのは相も変​わらずこの国の政治とメディアと金の三位一体が続いてる​からなんでしょうが。。。
私はそんなものに巻き込まれたり、翻弄さ​れたりするくらいなら、自分の足で歩き、自分の目で見て​、そして自分の体で出会うのが一番だと思います。

女川町長の国や政治じゃない、俺たちがやってい​くんだ、という被災当事者たちの声があり、それとは無縁で現実​と乖離したようなところで政​治家がいる。私としてはどうせ生きていくのな​らリアリティの世界を生きたいと思います。そういた意味​でも今回女川・石巻で福幸丸のメンバーたちや被災者の方​々と会えたこと、NPOオン・ザ・ロードの人たちと出会​えたこと、このような企画を起ち上げて私に初めての被災​地訪問を実現させてくれたHISのメンバーと出会えたこ​と、ツアーの参加者と出会えたこと、そしてこうやって関​心を寄せてくれるSさんや他のみんなとこうやって対話​ができること、とても私は幸運だと思います。ホント、最​初に戻りますが、今回のツアーはトクナガさんのいう「心​の安定」をくれました。
あとSさんにハッキリ言っておきますが、Sさんなら​絶対大丈夫!!!Sさんの元気が、それだけで被災地で​は大きな意味を持って、被災地でも力になる可能性が99​パーセント以上くらいあります。なのでいろいろ落ち着い​て気が向いた時にでも東北に足を運んでみて下さい。絶対​、充実した日々が待ってると思いますよ!!!

止まりません。これくらいにしておきます。
これに懲りずに、また何でも訊いてくださいね。あくまで​私が見た、聴いた、感じた範囲で、あくまで私の私見なら​お応えしていきたいし、そうすることでまたこうやって自​分の感じたことを整理して活字化してメモすることもでき​るので。
また利用されてください。



以上、FBでのやりとりから。

本ブログを読まれた方も、何か訊きたいことがあったら教えてください。
同じように、私が見て、聴いて、感じた範囲で、それも私の私見になりますが、応えられる範囲で応えていきたいと思います。
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by kento_ogiwara | 2012-07-25 23:04 | BLOG;社会福祉士として | Comments(0)