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ジャズピアニスト荻原健登のブログ

僕たちの音楽

嵐の様な日々。

が、終わって、今日は有給。
木曜金曜は職場で最大のヤマである利用者との宿泊、土曜日はモスクワ在住の友人が帰国しての結婚披露宴とジャズ・クラブを借り切っての2次会、オマケに2次会は幹事。

もちろん2次会の後も友人らとともに3次会で向こう数年分のギャグを言い合い、4次会では幻想的な六本木の夜景に囲まれた店で撃沈、そのまま寝る。

昨日は体、全く動かず。

ここ最近のこのブログでの投稿は、音楽についてが多かった。
色んな人と色んなことを話して、どうやったら僕は僕の音楽に辿り着けるのか、細部にわたってまで考え、煮詰め、煮詰まっていた、ような記事が多かったと思う。

例えば、考えるな、というアドバイスを胸にピアノに向かうと、「考えるな。」と考えながら演奏するからうまくいかない。

かつてこのブログで、私にも自分の音楽があったじゃないか、と書いたことがある。自分のジャズ、と言ってはばかれるのなら、自分がピアノを弾いて出る自分の音楽、があったじゃないか、という趣旨のこと。それは5年間を過ごした大学のジャズ研での友人たちとの演奏、青春の音楽、レパートリーのことだった。それはジャズの世界の中で孤独感ばかりを募らせていた私にいくばくかの安心を与えてくれた。

モスクワからの一時帰国での結婚式とあって、そこにはその青春の音楽を奏でてきた友人たちの多くが一堂に会した。盟友のヒラツイチロウも大阪から駆け付けた。それにモスクワから一時帰国した新郎はこれまた同じ青春の時代を過ごしたマスタニシュウオウ。それと私の3人で学生時代の大半をジャズ研でリズム隊をつとめてきた。

モスクワ・大阪、そして東京の決して普段会うことのない3人によるレユニオン、そのメンバーでピアノ・トリオで披露宴で演奏した。

それで、その時、

あれが私がずっと探してきた僕の音楽、僕のジャズだったのだ、と思った。

私がずっと探してきた僕の音楽、僕のジャズとは、“僕らの音楽”、だったのだな、と思う。

昨日、大阪に帰ったヒラツイチロウにメールした。
「やっぱりオレにとって一番リラックスして音楽に臨めるのがヒラツやマスタニなんだな、と再確認したよ。演奏する上での心の持ちようって語り尽くされてるけど、要はオレはヒラツやマスタニといった昔からの仲間とやるのが一番いい心持ちで、気持ちよく、安心して演奏を楽しめる、というシンプルな結論に至ったよ。」
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もちろん最高の僕らの音楽をあの場で演奏できたのはそれだけが理由じゃない。
モトオカカズヒデ師匠との断続的ながら10数年に渡る付き合いとここ3年の濃密な師弟関係、そこから生まれた沢山のレッスンと日々の練習。さらに様々な東京のジャムセッション小屋におけるプレイヤーたちとの出会い、色々な蓄積があったから今があるのも本当。単にモスクワと大阪から旧友を呼び寄せればいつでも最高の演奏ができる、というものでもない。日々があるから、瞬間がある。
色んな出会いを大切にしていかなければいけないね。それがジャズっていう音楽のいいところでもあり、そこからまた新しい、僕らの音楽、が生まれていく。

2次会では六本木サテン・ドールでさらにシバタトオル、イトウヒロノリ、トリイユウサク、ホンダリョウ、アライナオヒコなどの仲間を加えてライブ。本番もさることながらリハーサルも、ジャムセッションも楽しかった。
みんなに本当に感謝です。
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サテン・ドールを出て、居酒屋へ。
久しぶりに会った旧友たちとたくさんのことを話した。マスタニがモスクワに2年間会わなかった分溜まっていた鬱憤を晴らすかのように共通のギャグを連呼したり、また暫く会えなくなるのでしゃべり溜めしておく勢いでアル・ヤンコヴィックの“Fat”からのネタを連呼。会話はほとんど意味がなくてただブラザーな英語を応酬したり連呼するのみ。
マスタニの友達でウラジオからの飛行機が5時間遅れたせいでこの席から参加になった人と、ウラジオのクラブで録ったというマッチョマンの動画を見たり。ヒラツの蟹工船時代やカムチャッカ時代の話が出たり。
六本木はホントにどうしようもない街で、我が物顔のガキから古今東西老若男女たちがまあ元気なことで眠らない街、というかうるさくて眠れない街だった。そうやって私たちも滅茶苦茶に夜という本来神々の時間とされる夜を騒ぎ倒して汚してやった。
同世代の旧友たちはみんなそれぞれ困難さを抱えて、大変さや難しさの中で生活していて、幸せで行儀のいい奴なんて一人もいなかった。みなが場合によってはゴミみたいに捨てられる生存競争の中で、痛み、苦しみ、悩みながら、必死にもがき生きているように見えた。私も含めてね。それでその中でそれこそゴミみたいに人が捨てられ、売られ、殴られ、くたばっている六本木の夜の中で、同じように自分たちもゴミみたいに騒ぎながら、私はなぜか、
“オレたち最強。”
と思った。
たぶん六本木の夜の中、私たちも傍から見ればゴミみたいな連中だったと思うが、オレに言わせればゴミにも意志がある。ゴミでも必死で生きようとしている。ゴミ箱を汚いものとして嫌ったりもしないよ、オレたちは。むしろゴミ箱の中でもゴミとしてたくましく生きているオレたちのことを、今の社会の食物連鎖の中でも最強だ、と思った。あらゆる苦難とともに生き、あらゆる苦難を請け負っているオレたちこそが最強で、誇りに思えた。
そんなヘンな類の人類愛に満たされながら、薄れゆく意識の中、4次会の店の窓から見えた六本木の夜景が妙にキレイで心に沁みた。
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色んな映画の中で登場人物たちが苦しみ葛藤し闘っているところを目にする。
が、オレたちにすればそんなの映画よりオレたちのほうが苦しみ葛藤し闘っているし、映画のようにそこに終わりはなく、終わりは見えない。映画よりも野蛮で残酷で苦しい日常を生きている。
もっともオレたちが第二次世界大戦中に生まれて、地獄みたいな戦場で過ごすとしたら、それはそれよりはマシかも知れない。ただだからといってそれで今のオレたちのこの苦難が軽いものでとるにたらないものだとも恐らく誰にも言えないと思う。
ただ私はこの大切な友人たちの幸せを願ってやまないし、また何かあるごとに顔を合わせてノドが涸れるまで大笑いをして叫びあってしゃべりあいたい。
そんな夜、私がこの街・東京を離れないのはこうやって友人たちと会うことができて、一緒に僕らの音楽を奏でることができて、しこたま酒を飲むことができるからなんだな、と改めて思った。
友人たちとの再会をうれしく思うのとその幸せを、そしてこのような席を設けてくれた新郎新婦の幸せを願ってやまない。
そして有り余る感謝の気持ちを新郎新婦に伝えたい。

マスタニ・Nさん、本当におめでとう!!!
モスクワにも行ってみたいです。そして東京に帰ってくるときは必ず連絡すること。そしてまた、
“Are you fat? Or what?”
“ding-dong, man, ding-dong, YO!”
とか連呼しよう!!!

そして友人の皆さん、またね。
by kento_ogiwara | 2012-06-11 12:27 | BLOG;音楽について | Comments(0)